今日の日記2019.9.11(チャイニーズレストランきんき) [日記]

昨夜のことになりますが、世田谷区祖師谷三丁目にある「チャイニーズレストラン欣喜(きんき)」で中華のコース料理をいただきました。お店は、小田急線祖師ヶ谷大蔵駅の北口からメイン通りを5分ほど歩き、路地に入ったところにある隠れ家的な素敵なお店です。カウンターに4組が座れる席と個室が1室のこぢんまりとした店内ですが、オーナーシェフがお客様の目の前で調理するので、確かな本格中華料理が食べれます。とにかく美味しかったですね~!久しぶりに美味しい本物の中華料理をいただきました。厳選された食材を引き立てる調理の良さが光っているお店です。このブログをお読みの皆様は写真でお楽しみ下さい!お店のことやお料理のことは、ホームページ https://kinki-aoki.com/ をご覧ください(クリックしてください)。ホームページを見ているだけで美味しそうです!(⌒-⌒; )

本日のメニューです。
欣喜7.jpg
「本日の前菜盛り合わせ」です。
このお皿にある一つ一つが微細にわたって丁寧に調理されており、とっても美味しかったですね~。
欣喜1.jpg
「海鮮きしめん包み」です。
とってもシンプルですが、包まれているプリップリの海老がたまりません!
欣喜2.jpg
「温野菜の蟹入りピリ辛仕立て」です。
ピリ辛ですが、あっさりスープが野菜とマッチして美味しかったですね。
欣喜3.jpg
「牛肉と松茸のあっさり炒め」です。
この牛肉は美味い!松茸の香りとうま味がたまりません!
欣喜4.jpg
「白身魚の甘酢ソース」です。
ほどよい甘酢が白身魚の味を活かしていますね~!美味い!
欣喜5.jpg
「広東式中華粥」です。
このお粥がたまりません!味といい風味といい最高です!美味い!これは何杯でもいけそうですね。付け合わせも凝っています!この後に、デザートの「黒酢アイス・イチジクのコンポート添え」がありました。この逸品は逃せませんが、写真を撮るのを忘れてしまいました!(; ̄O ̄)残念!
欣喜6.jpg
nice!(0)  コメント(0) 

教会日記2019.9.11(カトリック成城教会「平日のミサ」水曜日) [教会日記]

今日も出勤前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城教会の7時からの平日のミサに与りました。この2日間は台風一過の猛暑続きでしたが、今日も暑くなりますね( ̄◇ ̄;) 私は今日も清々しい朝を迎えています!

6時50分から「お告げの祈り」をお祈りし、7時からのミサでは、18年前にアメリカで起きた同時多発テロのような事件が2度と起こらないようにお祈りしました。そして、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、同僚の病が癒されますように、同僚のお嬢さんの病が完治しますようにと心を込めてお祈りしました。
さぁ、これから仕事です!
nice!(0)  コメント(0) 

旧約聖書:箴言・第12章・第18節 [聖書]

「軽々しく話す人は傷を与える剣のようなもの。
しかし、知恵ある者の舌は人を癒やす。」

このブログの2016年4月24日に掲載した記事を大幅に加筆・修正して掲載いたしました。この言葉は重要です。なにげなく話した言葉のつもりが、その人にとっては非情にショックで、心に傷を負わすことになる時もあります。極端かもしれませんが自殺に追い込むことになるかもしれません。
クリスチャン作家の三浦綾子さんは、著書の『新しき鍵 結婚について考える』の中で、「私は泥棒より悪口が罪が深いと思います。人間は何かを盗まれただけで心が傷つくことはほとんどありません。しかし、悪口はどんなに小さくても人を傷つけます。」とその罪深さを強く述べています。

話す内容だけでなく、話す時期や場所など、そのような状況をよく考えて話すことも大切ですし、普段から相手のこと(相手の立場)を思いやり、気配りをして話すということを習慣づけることですね。罪びとの私には、最も自戒とするところですね。
反対に、「知恵ある人の舌は癒す。」とあります。「舌」とは話す言葉や話し方のことですね。一般的に賢いと言われる人は、話す言葉を聴いていればわかります。決して他人を傷つけるような話し方をしません。私もこのような人間でありたいです。

もう一つ三浦綾子さんの著書『それでも明日は来る』から
「受洗以後の四十年、ただの一言も人の悪口を言わなかった。いかに大きな平和が氏の胸を占めていたことか。」

この言葉にある「受洗」とは、キリスト教用語で洗礼を受けることをいいます。この言葉は、菅原豊さんという方のことです。札幌にお住まいの、生涯の半分以上を病気療養者として生きた方でした。病気療養の身でしたが、自ら「いちじく」という短歌の機関誌を編集・発行され、三浦さんはその読者の一人でした。菅原さんは洗礼を受ける時に、「ぼくは今後生涯、人の悪口を言わないと神に誓いました」と決意され、六十代半ばで天に召されるまで、約四十年ほど固く守って生きられたそうです。俗人の私には、まだまだ愚痴っぽく言ってしまう時があります。人の悪口は言いやすいものです。しかし、菅原さんのような生き方を倣らわなければなりませんね。
nice!(0)  コメント(0)