旧約聖書:箴言・第12章・第18節 [聖書]

「軽々しく話す人は傷を与える剣のようなもの。
しかし、知恵ある者の舌は人を癒やす。」

このブログの2016年4月24日に掲載した記事を大幅に加筆・修正して掲載いたしました。この言葉は重要です。なにげなく話した言葉のつもりが、その人にとっては非情にショックで、心に傷を負わすことになる時もあります。極端かもしれませんが自殺に追い込むことになるかもしれません。
クリスチャン作家の三浦綾子さんは、著書の『新しき鍵 結婚について考える』の中で、「私は泥棒より悪口が罪が深いと思います。人間は何かを盗まれただけで心が傷つくことはほとんどありません。しかし、悪口はどんなに小さくても人を傷つけます。」とその罪深さを強く述べています。

話す内容だけでなく、話す時期や場所など、そのような状況をよく考えて話すことも大切ですし、普段から相手のこと(相手の立場)を思いやり、気配りをして話すということを習慣づけることですね。罪びとの私には、最も自戒とするところですね。
反対に、「知恵ある人の舌は癒す。」とあります。「舌」とは話す言葉や話し方のことですね。一般的に賢いと言われる人は、話す言葉を聴いていればわかります。決して他人を傷つけるような話し方をしません。私もこのような人間でありたいです。

もう一つ三浦綾子さんの著書『それでも明日は来る』から
「受洗以後の四十年、ただの一言も人の悪口を言わなかった。いかに大きな平和が氏の胸を占めていたことか。」

この言葉にある「受洗」とは、キリスト教用語で洗礼を受けることをいいます。この言葉は、菅原豊さんという方のことです。札幌にお住まいの、生涯の半分以上を病気療養者として生きた方でした。病気療養の身でしたが、自ら「いちじく」という短歌の機関誌を編集・発行され、三浦さんはその読者の一人でした。菅原さんは洗礼を受ける時に、「ぼくは今後生涯、人の悪口を言わないと神に誓いました」と決意され、六十代半ばで天に召されるまで、約四十年ほど固く守って生きられたそうです。俗人の私には、まだまだ愚痴っぽく言ってしまう時があります。人の悪口は言いやすいものです。しかし、菅原さんのような生き方を倣らわなければなりませんね。
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