2019年9月の訪問教会記録 [訪問教会・支援活動記録]

今年の9月は、30日間ある中の16日間(53.3%)、8の教会に20回訪問し、18回ミサに与り17回ご聖体を拝領させていただきました。8月のようにはいきませんでしたが、半月以上はミサに与ることができました。感謝、感謝です。

1日(日)………
2日(月)………
3日(火)成城教会:平日のミサ・7時から
4日(水)成城教会②:平日のミサ・7時から
5日(木)成城教会③:平日のミサ・7時から
6日(金)麹町・聖イグナチオ教会:平日のミサ・7時から
  〃  麹町・聖イグナチオ教会②・平日のミサ・18時から
7日(土)田園調布教会:平日のミサ・7時から
  〃  カトリック府中墓地・墓地聖堂(お祈り)
  〃  府中教会:主日のミサ・17時から
8日(日)………
9日(月)………
10日(火)成城教会④:平日のミサ・7時から
11日(水)成城教会⑤:平日のミサ・7時から
12日(木)成城教会⑥:平日のミサ・7時から
13日(金)………
14日(土)田園調布教会②:平日のミサ・7時から
15日(日)………
16日(月)神奈川県相模原市:相模原教会:平日のミサ・8時から
17日(火)………
18日(水)成城教会⑦:平日のミサ・7時から
19日(木)………
20日(金)田園調布教会③:平日のミサ・7時から
21日(土)成城教会⑧:平日のミサ・7時から
22日(日)………
23日(月)………
24日(火)………
25日(水)成城教会⑨:平日のミサ・7時から
26日(木)………
27日(金)………
28日(土)町田教会:主日のミサ・18時30分から
29日(日)神奈川県相模原市:日本長老教会さがみのキリスト教会
30日(月)………
以上です。
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新約聖書:マタイによる福音書・第25章・第31〜第46節 [聖書]

「また、天の国は次のように言えよう。
ある人が旅に出るにあたって、僕たちを呼んで、自分の財産彼らに預けた。主人は僕たちの能力に応じて、ある者には5タラントン、ある者には2タラントン、ある者には1タラントンを預け、旅に出た。
すると、ただちに、5タラントンを手にした者は出かけでいき、それで商いをし、さらに5タラントンもうけた。同じように、2タラントン預かった者も、ほかに2タラントンもうけた。ところが、1タラントン預かった者は、出かけていって土を掘り、主人の金を埋めておいた。かなり日がたって、僕たちの主人が帰って来て、決算を求めた。
そこで、5タラントン預かった者が進み出て、別に5タラントンを差し出して言った。『ご主人さま、わたしに5タラントンお預けになりましたが、ご覧ください。わたしはさらに5タラントンもうけました』。主人は言った、『よくやった。善良で忠実な僕よ。お前はわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させる。さあ、お前の主人と喜びをともにしなさい』。
2タラントン預かった者も進み出て言った。『ご主人さま、わたしに2タラントンお預けになりましたが、ご覧ください。さらに2タラントンもうけました』。主人は言った。『よくやった。善良で忠実な僕よ。お前は僅かなものに忠実であったから、多くのものを管理させる。さあ、お前の主人と喜びをともにしなさい』。
1タラントン預かった者も進み出て言った。『ご主人さま、わたしは。あなたがきびしい方で、ご自分で蒔かなかった土地から収穫し、ご自分でふるいにかけなかったものをかき集める方であることを知っています。わたしは怖かったので、出かけていって、あなたのタラントンを土の中に埋めておきました。ご覧ください。これがあなたのものです』。
すると、主人は言った。『怠け者の悪い僕よ。わたしが蒔かない土地から収穫し、自分でふるいにかけなかったものをかき集めることを、お前は知っていたというのか。それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうすれば、わたしは帰ってきたとき、利子と一緒に払い戻してもらえたのに。さあ、この男からそのタラントンを取り上げて、10タラントンを持っている者に与えよ。持っている者は与えられて、さらに豊かにり、持っていない者は、持っているものまでも取り上げられる。役立たずのこの僕を、外の闇に投げ出せ。そこには嘆きと歯ぎしりがある』。」
以上は『原文校訂による口語訳 新約聖書 フランシスコ会聖書研究所訳注』から

この聖書の箇所は、前後の話しを含めて読んでいないと分かりにくいですね。それから信徒でない方には難しいかもしれません。これは「タラントンのたとえ話し」といわれる聖書の有名な聖句ですが、この聖句の直前には「十人の乙女のたとえ話し」があります。このたとえ話しは、この世の終わり(終末)にイエス・キリストが再臨して“最後の審判”を行うことになっていますが、いつこの世が終わりを迎えて、イエス・キリストが再臨するのかわからないわけですから、いつも起きて備えていなさい=日ごろから信仰に励み、「善き行い」を行いなさいという戒めのたとえ話しですね。ということは、この文脈からして「タラントンのたとえ話し」も、この世の終わりにイエス・キリストが再臨することと関係のある話しだと私は解釈します。

その解釈とは、旅に出た主人とは、十字架の磔刑で死に、3日目に復活して父なる神様のみもとで右の座にお着きになった御子イエス・キリストのことです。帰ってきた主人とは、この世の終わり(終末)に、現世に再臨して“最後の審判”を行うイエス・キリストのことです。3人の僕とは私達のことですね。渡される金額が違うということは、人それぞれに才能や信仰心が違うということだと思います。その私たちですが、それぞれの能力に応じて、神様から賜った才能などの財産を活かして信仰を開花させた人(この聖句では、1番目と2番目の人)=信仰に励んで善き行いを行った人は、死んで復活した後に住むことになる永遠の住まい=天国でもっと大きな祝福にあずかります。

しかし、そうしなかった人(3番目の人)、つまり神様から才能などの財産を授かっていたにもかかわらず、不信心でこの世の貧困者や弱者などの救いを求める人々のために使わなかった=善き行いを行わなかった人は、天国には入れないどころか、以前は与えられていた祝福もすべて剥ぎ取られ(持っているものまでも取り上げられ)、地獄に落とされる(外の闇に投げだされる)という解釈となります。まぁ、「地獄に落ちる」という表現はどうかなと思いますが、やはり「神様を信じる」という言葉だけでなく、イエス・キリストの福音を述べ伝え、善き行いに励まない人たちは、イエス・キリストのみ心(御心)には適いませんね。主の期待に応えてみ心に適う人になりましょう!
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