教会日記2019.9.4(カトリック成城教会「平日のミサ」水曜日) [教会日記]

今日も出勤前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城教会の7時からの平日のミサに与りました。まだまだ蒸し暑いですね~ (⌒-⌒; ) でも、私は今日も清々しい朝を迎えています!

6時50分から「お告げの祈り」をお祈りし、7時からのミサでは、「聖グレゴリオⅠ世教皇教会博士」の記念日をお祝いしてお祈りし、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の神よ、
御名(みな)讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、同僚の病が癒されますように、同僚のお嬢さんの病が完治しますようにと心を込めてお祈りしました。
さぁ、これから仕事です!
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「聖ロンギニスの槍(聖槍:せいそう)」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

ピーテル・パウル・ルーベンス(ドイツ:1577年~1640年)作の「キリストの磔刑」です。兵士が馬上からイエス・キリストの脇腹に槍を突き刺しています。絵の右下の黒い服の女性は、イエス・キリストの母親である聖母マリア様です。マリア様を支えている赤いマント姿の人は、使徒の聖ヨハネです。マリア様は、脇腹を突き刺したところを顔を背けて、今にも崩れ落ちそうなお姿で描かれています。
「聖ロンギニスの槍(聖槍:せいそう)」は、磔刑に処せられた十字架上のイエス・キリストの死を確認するため、わき腹を刺したとされる槍のことで、「ロンギニス」とは、刺した兵士(左絵の馬上の兵士)の名前です。このブログの2016年11月19日に掲載した記事を一部加筆して掲載しています。
ルーベンス.jpgロンギニスの槍.jpg
この槍は、イエス・キリストの血に触れたものとして尊重されている聖遺物の一つになっています。ヨーロッパ中世の“聖遺物崇敬”が高まった時代にいくつかの「聖槍」が発見され、現在も複数のロンギニスの槍が世界のあちこちで保存されています……ということは、本物がどれなのか?誰にもわからないということですね~。
「所有するものに世界を制する力を与える。(手放すと滅びる。)」との伝承があり、小説や映画にたびたび使われています。第二次世界大戦時のナチス・ドイツのアドルフ・ヒトラーによる世界征服の野望は、彼がウィーンのホーフブルク王宮で保存されていた”聖槍(写真)”の霊感を受けた時より始まったという俗説もあります(; ̄O ̄)

聖ロンギヌス(Longinus)は、ローマ帝国の百卒長(100人の兵隊を率いる隊長のこと)の名前です。イエス・キリストがゴルゴタの丘で磔(はりつけ)になった際に、生死を確かめるために、イエス・キリストの左脇腹に槍を突き刺したとされています。4つの福音書のいずれにもこの百卒長の名前は記されておらず、新約聖書の外典の1つ「ニコデモ福音書(ピラト行伝)」にその名前を見つけることができます。彼は目が悪く(目が不自由、白内障か?)で、イエス・キリストの脇腹を槍で刺した際に、イエス・キリストの血が眼に入り、視力を取り戻したということです。このことから、彼は改心してその後洗礼を受けたとされています。

◯新約聖書:ヨハネによる福音書・第19章・第28~第37節(イエス・キリストがゴルゴタの丘で十字架に磔(はりつけ)となったところから記載)
「……この後、イエスは、すべてが成し遂げられたことを知って仰せになった、「渇く」。こうして、聖書の言葉は成就した。そこには、酸いぶどう酒のいっぱい入った器が置いてあった。兵士たちは、このぶどう酒をたっぷり含ませた海綿をヒソプにつけて、イエスの口もとに差し出した。イエスは酸いぶどう酒を受けると仰せになった、「成し遂げられた」。そして、頭を垂れ、霊をお渡しになった。さて、ユダヤ人たちは、その日が準備の日で、その安息日は大切な祭日であったので、安息日に死体を十字架に残しておかないように、三人の脚を折り、体を取り除いてほしいとピラトに願った。そこで、兵士たちが来て、イエスとともに十字架につけられた第一の者と、もう一人の者の脚を折った。イエスの所に来ると、すでに死んでおられるのを見て、その脚を折らなかった。しかし、兵士の一人が槍でイエスの脇腹を突き刺した。するとすぐに、血と水とが流れ出た。それを目撃した者が証しをしており、その証しは真実である。その者は、自分が真実を語っていることを知っている。 あなた方も信じるようになるためである。これらのことが起こったのは、「その骨は砕かれることはない」という聖書の言葉が成就するためであった。また、聖書は別の所で、「自分たちの突き刺した者を、彼らは見るであろう」とも言っている。」
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