教会日記2023.1.27(カトリック成城・聖タデオ教会「聖アンジェラ・メリチの記念日のミサ」金曜日)  [教会日記]

今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会での早朝7時からの「聖アンジェラ・メリチの記念日のミサ」に与りました。今日も極寒・厳寒の日となり、天気予報では夕方から雪になるそうです。積もらなければいいのですが。今日も清々しい朝を迎えています。

ミサでは、先唱を担当しました。
そして、「聖アンジェラ・メリチ」の記念日をお祈りし、まず、主を讃えるお祈りです。
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と祈りました。
そして、主に感謝です。
「今日も清々しい朝を迎えさせていただき、ご聖体を拝領させていただいたことを感謝申し上げます。」

次に、主により頼むお祈りです。
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と祈りました。

次に、派遣のお祈りです。
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と祈りました。

終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』です。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と祈りました。
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「聖アンジェラ・メリチ」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日1月27日は、聖アンジェラ・メリチの記念日です。
聖アンジェラ・メリチ(イタリア:1474年頃~1540年)は、カトリック教会の修道女で教育者です。また、女子修道会である「聖ウルスラ修道会」の創立者です。
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聖アンジェラ・メリチは、北イタリアの裕福な農民の家庭で生まれました。10歳の頃に両親、13歳の頃に姉が亡くなり、彼女はフランシスコ会第三会に入会し、一般社会で修道者のような生活を送りました。 ある日、湖沿岸の町に住む子供の教育水準の低さに驚嘆し、彼らの教育について考え始め、同じ第三会会員の女性らを集めて計画を立てました。活動は農村から都会へと移しましたが、戦争により混乱状態にありました。その中で彼女は、和睦に力を注ぎ、敵対した貴族同士を和解させ、神聖ローマ帝国皇帝や各地の領主から大切に扱われたといわれています。平和に貢献したのですね。

56歳のとき、自分の人生を振り返り自分が信仰教育を活動とする会を作ることが使命だと気づき、信仰教育を中心とする新しい形態の団体を設立し、その保護者としてドイツのケルンで有名であった殉教者の一人である聖ウルスラを選び、後にその会を 「ウルスラ会」 としました。当時の女子修道会は、観想生活が中心であり、外部への活動は革命的なことでありました。最初は一般信者の会として発足し、彼女の死後、女子への一般教育を授ける修道会へと発展しました。晩年は世間から聖人として慕われたが、彼女は素朴な女性でありました。1540年に死去。1808年に列聖されました。
彼女の死後、会はミラノ司教 カロロ・ボロメオによって正式に組織化され、アンジェラ会とウルスラ会に分かれました。聖ウルスラ修道会は、シスターたちあ1936年に来日し、仙台市、東京などで、学校教育や福祉活動などを行ない社会に貢献しています。

◯<聖アンジェラ・メリチのことば>
「彼女たちの唯一の宝として、イエス キリストを持つように。
なぜなら、愛もまた、そこに存在するからです。
固い信仰と希望を神に置きなさい。
なぜなら、神はすべてにおいて、あなた方を助けてくださるからです。
いそいそと元気よく行いなさい。
信じなさい。
努力しなさい。
希望しなさい。
心から神に向かって叫びなさい。
親愛なるあなた方の子供たちに対して、
やさしさと人間味をもってください。
あなた方が神に願われるすべての恵みが、間違いなく願われるよりも、
もっと豊かに与えられることを、わたしはあなた方に堅く約束いたします。
彼女たちがしばしば悩みや困難にぶつかるとしても、
それらは、速やかに過ぎ去り、
確かに、喜びと幸せに変わってゆくでしょう。
イエス キリストにおいて、尊敬しあい、助けあい、
支えあう愛徳の強い絆によってお互いが結ばれますように。
時代と必要に従って、もし、新しい規定、
または、何らかの修正をしなければならないならば、
よき勧告と賢明さをもってしてください。」

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私の支援活動!:その9「特定非営利活動法人国境なき医師団日本」献金 [支援活動日記]

一昨日「特定非営利活動法人国境なき医師団日本」から感謝状のお手紙と1年間の領収証が届きました。
私は「特定非営利活動法人国境なき医師団日本」の活動趣旨に賛同して毎月献金3,000円を支援し、また、「国際連合児童基金(UNICEF:ユニセフ)」や難民救済支援組織の「特定非営利活動法人国連NUHCR協会」にも毎月献金3,000円づつを支援をしています。
困っている人たちを救うという、イエス・キリストの教えである「隣人への愛=善き行い」が、現地に行って行う<直接支援>は物理的にできないものですから、現在、私にできる寄付という<間接支援>によって行っています。ただ、毎度のことですが「寄付しているから善い行いをしている。」と思うのは、傲慢であり自惚れにしか過ぎません。危険なことです。やはり、可能な限りは実際の現場において手と足で行う支援活動を行いたいですね。なお、献金(募金)の方法は、銀行預金口座から自動引き落としです。(振込の手間が省けます!)
◯「特定非営利活動法人国境なき医師団日本」からの感謝状、1年間の寄付金の領収証です。
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◯「国境なき医師団」とは
国境なき医師団(Médecins Sans Frontières=MSF)は、 独立・中立・公平な立場で医療・人道援助活動を行う民間・非営利の国際団体です。1971年に設立し、1992年には日本事務局が発足しました。MSFの活動は、緊急性の高い医療ニーズに応えることを目的としています。紛争や自然災害の被害者や、貧困などさまざまな理由で保健医療サービスを受けられない人びとなど、その対象は多岐にわたります。
シリアやアフガニスタンなどの紛争地や、感染症が繰り返し流行する地域、自然災害の被災地、貧困により医療が不足している地域など、約70の国と地域で、医療・人道援助活動を行っています。1971年にフランスで設立。どんな権力からの影響も受けず、自らの決定で医療を必要としている場所へ行くために、活動資金のほとんどを民間からの寄付でまかなっています。その活動が評価され、1999年にはノーベル平和賞を受賞しました。日本事務局からは、医師や看護師をはじめとする医療系スタッフのほか、物流や財務管理などを担う非医療系スタッフを活動地に派遣しています。
特定非営利活動法人国境なき医師団日本のホームページは、https://www.msf.or.jp/ です。
また、私が支援している特定非営利活動法人国連NUHCR協会、このブログの2023年1月6日に「特定非営利活動法人国連NUHCR協会献金」を掲載していますのでご覧ください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2023-01-06-1
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教会日記2023.1.26(カトリック成城・聖タデオ教会「聖テモテ司教・聖テトス司教の記念日のミサ」木曜日)  [教会日記]

今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会での早朝7時からの「聖テモテ・聖テトス司教の記念日のミサ」に与りました。昨日は、10年に一度の極寒・厳寒の日と言われていましたが、私の住む町田市相原町は、今朝の5時時点でマイナス6.4度でした( ̄◇ ̄;) 東京都ではなく、どこかの北国のようです!でも、今日も清々しい朝を迎えています。

ミサでは、先唱を担当して「聖テモテ・聖テトス司教」の記念日をお祈りしました。
そして、まず、主を讃えるお祈りです。
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と祈りました。
そして、主に感謝です。
「今日も清々しい朝を迎えさせていただき、ご聖体を拝領させていただいたことを感謝申し上げます。」

次に、主により頼むお祈りです。
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と祈りました。

次に、派遣のお祈りです。
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と祈りました。

終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』です。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と祈りました。
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「聖テモテ司教・聖テトス司教」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日1月26日は、聖テモテ司教・聖テトス司教の記念日です。
聖テモテは、新約聖書の『使徒言行録』に登場するリュストラ(現代のトルコ南部)出身の古代(初期)キリスト教会時代の信徒で、使徒聖パウロの協力者で弟子です。ギリシア語ではティモテオス。『使徒行伝』によれば、テモテの父はギリシア人で母はユダヤ人でした。使徒聖パウロはテモテを気に入り、自らの宣教旅行に連れて行きたかったので、ユダヤ人の手前、彼に割礼を受けさせました。これは西暦50年前後のことであると推察されます。テモテはパウロの第2回宣教旅行、第3回宣教旅行に同行し、マケドニアなど、パウロがすでに宣教活動を行った場所に派遣されて司牧に当たっています。

この宣教旅行の間に書かれたと想定される『コリントの人々への第二の手紙』からも、テモテが使徒聖パウロのよき協力者であったことがわかります。ここでは使徒聖パウロは、テモテをコリントスの教会に派遣し、その司牧に当たらせようとしており、また『フィリピ人への手紙』などでは、テモテは使徒聖パウロと並んで書簡の差出人とされています。伝承によれば、65年に使徒聖パウロはテモテを按手し、エフェソスの司教としています。ローマ帝国の皇帝ドミティアヌスのキリスト教迫害下において殉教したと伝えられています。新約聖書にある『テモテへの第一の手紙』および『テモテへの第二の手紙』は使徒聖パウロがこのテモテに宛てる形で書かれている書簡といわれています。
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聖テトスは、新約聖書の『ガラテヤの人々への手紙』に登場する使徒聖パウロの協力者で弟子です。ギリシャ語ではティトス。『使徒言行録』にはその名前は出ていませんが、『ガラテヤの信徒への手紙』では、使徒聖パウロやバルナバと共にエルサレムでの使徒会議に参加したという記述があります。使徒聖パウロは、ギリシア人であるテトスが割礼を受けずにキリスト教徒として受け入れられたことを強調しており、テトスの両親はともに異邦人(非ユダヤ人)であった可能性が高いと思われます。

使徒聖パウロはテトスを高く評価しており、「仲間」「協力者」と呼び、その熱心さを賞賛しています。『コリントの人々への第二の手紙』では、テトスはエルサレム教会のための募金をコリントで行い、また使徒聖パウロの手紙をコリントへ届けるために派遣されています。『テモテへの第二の手紙』では、テトスはダルマティアに滞在しています。新約聖書には彼の死についての記事はありませんが、伝承によればテトスは使徒聖パウロによってクレタ島の主教(司教)に任じられ、1世紀始めにクレタ島で生涯を終えたということです。彼の名を冠した『テトスへの手紙』は、使徒聖パウロがクレタ島のテトスに宛てた手紙です。
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教会日記2023.1.25(カトリック成城・聖タデオ教会「聖パウロの回心の祝日のミサ」水曜日)  [教会日記]

今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会での早朝7時からの「聖パウロの回心の祝日のミサ」に与りました。今日は、10年に一度の極寒・厳寒の日です。私が住んでいる町田市相原町は、明方5時時点でマイナス5度ほどありました!( ̄◇ ̄;) 東京都に住んでいる感じがまったくしませんね(⌒-⌒; ) でも、今日も清々しい朝を迎えています。

ミサでは、「聖パウロの回心」の祝日をお祈りしました。
そして、まず、主を讃えるお祈りです。
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と祈りました。
そして、主に感謝です。
「今日も清々しい朝を迎えさせていただき、ご聖体を拝領させていただいたことを感謝申し上げます。」

次に、主により頼むお祈りです。
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と祈りました。

次に、派遣のお祈りです。
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と祈りました。

終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』です。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と祈りました。
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「使徒聖パウロの回心」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日1月25日は、「使徒聖パウロの回心」の祝日です。
パウロの回心のお話しの前に、まずは新約聖書の「使徒言行録」に記載されている事がらを語源とする「目からウロコが落ちる。」のお話しから説明いたしましょう。
”ことわざ”としての意味は、「あることをきっかけとして、急に物事の真相や本質が分かるようになる」ということですね。これは、新約聖書の使徒言行録の第9章・第3~第18節に記載されているお話しが“目からウロコ”の語源となったのです。少々長くなりますが掲載しますね。

◯新約聖書:使徒言行録・第9章・第3〜第18節
「ところが、旅を続けてダマスコに近くまで来たとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」という声を聞いた。「主よ、あなたはどなたですか」と尋ねると、その声は仰せになった、「わたしはお前が迫害しているイエスである。さあ、立って町に入れ。お前のなすべきことが告げられであろう。」。彼に同行していた者たちには、声は聞こえたが、誰も見えないので、物も言えず立ち尽くしていた。サウロは地面から起き上がって、目を開いたが、何も見えなかった。そこで、人々は彼の手を引いてダマスコに連れて行った。

サウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった。ところで、ダマスコにアナニアという弟子がいた。幻の中で主が、『アナニア』と呼びかけると、アナニアは、『主よ、ここにおります』と言った。すると、主は言われた。『立って、<直線通り>と呼ばれる通りへ行き、ユダの家にいるサウロという名の、タルソス出身の者を訪ねよ。今、彼は祈っている。アナニアという人が入って来て自分の上に手を置き、元どおり目が見えるようにしてくれるのを、幻で見たのだ。』しかし、アナニアは答えた。『主よ、わたしは、その人がエルサレムで、あなたの聖なる者たちに対してどんな悪事を働いたか、大勢の人から聞きました。ここでも、御名を呼び求める人をすべて捕らえるため、祭司長たちから権限を受けています。』

すると、主は言われた。『行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう。』そこで、アナニアは出かけて行ってユダの家に入り、サウロの上に手を置いて言った。『兄弟サウル、あなたがここへ来る途中に現れてくださった主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです。』すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。そこで、彼は立ち上がって、洗礼を受け、食事をとって元気を取り戻した。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

◯フランスの画家ニコラス・バーナード(1733~1784)作の『聖パウロの回心』です。この絵は、聖句にある「突然、天からの光が彼の周りを照らした。」情景を描いています。パウロは落馬していますね。
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これは、イエス・キリストの使徒(弟子)である聖パウロ(当時はサウロと名乗っていた)に起こった出来事に由来しており。本来は「誤りを悟り、迷いから覚める意味」で使われていました。イエス・キリストの死後、聖パウロは当初、ユダヤ教徒としてキリスト教徒を捕まえて牢獄に送る役をしていた“キリスト教徒を迫害する側の人間”でしたが、このようにして、キリスト教徒を迫害する側から、洗礼を受けてキリスト教を信仰し、福音を述べ伝える側へと正反対に“激変”したのです。そして、この聖パウロがユダヤ人以外のギリシャ人やローマ人などの異邦人と言われる人々に福音宣教したことが、キリスト教が全世界に広まった理由なのです。キリスト教の興隆は、聖パウロの功績が大きいのです。
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教会日記2023.1.24(カトリック成城・聖タデオ教会「聖フランシスコ・サレジオ司教教会博士の記念日のミサ」火曜日)  [教会日記]

今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会での早朝7時からの「聖フランシスコ・サレジオ司教教会博士の記念日のミサ」に与りました。日曜日から寒さが一段と厳しくなりました。最新の天気予報では、25日の水曜日は、私の住む町田市は最高気温が4度、最低気温がマイナス5度になるそうです( ̄◇ ̄;) 東京じゃないみたいな寒さになりますね。
今日も清々しい朝を迎えています。

ミサでは、「聖フランシスコ・サレジオ司教教会博士」の記念日をお祈りしました。
そして、まず、主を讃えるお祈りです。
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と祈りました。
そして、主に感謝です。
「今日も清々しい朝を迎えさせていただき、ご聖体を拝領させていただいたことを感謝申し上げます。」

次に、主により頼むお祈りです。
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と祈りました。

次に、派遣のお祈りです。
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と祈りました。

終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』です。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と祈りました。
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「聖フランシスコ・サレジオ司教教会博士」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日1月24日(火)は、「聖フランシスコ・サレジオ司教教会博士(フランス:1567年~1622年)」の記念日です。
サレジオは、ジュネーヴ(現スイス)の司教で、カトリック教会と聖公会での聖人となっています。17世紀の宗教改革の困難な時代にあって、カトリック教会の司牧者として大きな働きをしました。著作をよくしたことから作家、ジャーナリストの守護聖人となっています。著作としては「信心生活入門」などが有名ですね。貧者の友としても知られています。1622年12月28日、サヴォイア公の随員として訪れたパリで客死。長く活躍したアヌシーに葬られ、今でもその墓がアヌシーにあります。1661年に列福、1665年に列聖、1877年には教皇ピウス9世によって「教会博士」の称号を与えられました。
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サレジオは、イタリア語で「サール(地名)Salesの」という意味です。彼はサヴォイア地方の貴族の家に生まれ、自由学芸を修めたあとでアヌシーや名門パリ大学で法学を学んでいましたが、周囲の期待を裏切って世俗の栄達を捨ててカトリック教会の司祭になる道を選びました。
宗教改革期、ジュネーヴはカルヴァン派の拠点となっていたため、カトリックのジュネーヴ司教は(現南フランスの)アヌシー滞在を余儀なくされていました。この時代にジュネーヴ司教となったサレジオは、困難な状況にあっても熱心な説教やわかりやすく書かれた著作によって活躍し、優れた精神的指導者として名声を得ました。1610年には霊的指導者をしていたシャンタルの聖フラシスカと共に女子修道会「聖母訪問会」を設立しました。
19世紀、北イタリアのトリノで活躍した司祭ヨハネ・ボスコは自らの修道会の名前を聖フランシスコ・サレジオにちなんでサレジオ会と命名しました。これはフランシスコがサヴォイアゆかりの聖人であるだけでなく、彼の柔和な人柄、著作による宣教活動、貧しい人々への共感などにヨハネ・ボスコが大きな影響を受けていたからでした。
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教会日記2023.1.23(カトリック成城・聖タデオ教会「平日のミサ」月曜日)  [教会日記]

今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会での早朝7時からの「平日のミサ」に与りました。昨日から寒さが一段と厳しくなりました。週間天気予報では、25日の水曜日は、私の住む町田市は最高気温が5度、最低気温がマイナス3度になるそうです( ̄◇ ̄;) 半端じゃない寒さです!………今日も清々しい朝を迎えています。

ミサでは、まず、主を讃えるお祈りです。
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と祈りました。
そして、主に感謝です。
「今日も清々しい朝を迎えさせていただき、ご聖体を拝領させていただいたことを感謝申し上げます。」

次に、主により頼むお祈りです。
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と祈りました。

次に、派遣のお祈りです。
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と祈りました。

終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』です。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
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