「第56回世界平和の日」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今日1月1日は、「第56回世界平和の日」でもあります。フランシスコ教皇は、「世界平和の日」のためのメッセージを発表しました。(2022年12月16日「バチカン・ニュース」から)

「毎年1月1日、カトリック教会は「世界平和の日」を記念し、戦争や分裂、憎しみや飢餓などのない平和な世界を祈ります。2023年の「世界平和の日」のテーマは、「誰も一人では救われない。Covid-19からの再出発、平和の小径を共に開くために」(仮訳)です。
教皇はこのメッセージで、「新型コロナウイルスの感染拡大が人々の生活を不安定化し、多くの社会問題を明るみに出したことを振り返りつつ、パンデミックから3年が経過した今、わたしたちはこの経験を問い直し、学び、成長し、変わっていくべき時にある。」と述べています。そして、「わたしたちは、このパンデミックの状況から何を学んだか。より良く準備するために、わたしたちの古い習慣を断ち切り、どのように新たに歩むべきか。前進し、世界をより良くするために、どのような生活のしるしや希望を選び取っていくべきか。」と教皇はこのように問いかけられました。
教皇は、新型コロナウイルスがわたしたちに残した最も大きな教えとして、「「皆が互いを必要としていること」、「同じ神の子としての人類の兄弟愛こそ最も貴重な宝であること」、「誰もが一人では救われないこと」を挙げています。また、教皇は、パンデミックがもたらしたポジティブな発見として、「謙虚さへの回帰」、「行き過ぎた消費主義の見直し」、「利己主義から脱し、他者の苦しみや必要に自らを開くことを促す新たな連帯精神」などを指摘しています。これらの経験から引き出されたものは、「一緒に、共に」という言葉を再び中心に据えるようすべての人と国々を招く強い意識であり、事実、兄弟愛と連帯のうちに共にあってこそ、平和を築き、正義を保証し、様々な辛い出来事を乗り越えることができる。」と記しています。
一方で、新型コロナウイルスによるパンデミックが最悪の状態を脱したかと思われた時、もう一つの恐ろしい災難が人類を襲った、と新たに勃発した戦争に教皇は言及し、ウクライナにおける戦争が無実の人たちの命を奪い、人々を不安に陥れているだけでなく、小麦や燃料問題に代表されるように、遥かかなたにいる人々にまで苦しみを与えている状況を示されました。「当然、この状況はパンデミック後の時代にわたしたちが待ち望んでいたものではなかった。」と述べた教皇は、「この戦争は他の地域で起きているすべての戦争と同様、全人類の敗北を表すもの。」と強調。「新型コロナウイルスにはワクチンが見つかったことに対し、この戦争にはいまだ適切な解決が見つかっていない」、「人間のからだを襲うウイルスよりも、戦争のウイルスを打ち負かす方が難しい。なぜならば、それは外からやって来たものではなく、罪によって腐敗した人間の心の内側から来るものだからである」と記されました。
では、「わたしたちはどうすべきなのか。まず心を変え、自分たちや自国のことだけに関心を向けずに、普遍的な兄弟愛の精神をもって、共通善の光に照らして考えることから始めなくてはならない。」と教皇は説いています。そして、「パンデミック危機に続く時代をより良い形で生きるためには、すべての人に公的医療制度を保証し、犠牲者と貧困を生み続ける紛争や戦争に終止符を打つための平和への働きかけを推進し、わたしたちの「共通の家」を守り、気候変動に対する確固とした効果的な方策を実行し、貧しい人たちを支えることを真剣に考える必要がある。」と述べています。「この状況において、神の無限のいつくしみの愛に啓発された利他主義的な熱望をもって努力してこそ、わたしたちは新しい世界を築き、愛と正義と平和の王国である、神の御国の建設に寄与することができるだろう。」と教皇は記されました。」

今年も主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが皆さんと共にありますように。主に救いを求める人々に、主の平安と主の豊かな恵みがありますようにとお祈りしましょう。
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「神の母 聖マリアの祝日」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今日1月1日は「神の母 聖マリア」の祝日です。
絵は、ドメニコ・コルヴィ作(18世紀後半)の「聖母子像」です。イエス様のぷくぷくの腕と手がかわゆいですね〜!
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新しい年を迎えた今日、イエス様の降誕8日目に当たる1月1日に、カトリック教会はローマの古い伝統に従い、“神の母聖マリア”の祭日を祝います。聖母マリア様を「神の母」と宣言したのは、431年のエフェソ公会議でした。年の初めを聖母マリア様の記念日として祝い・祈るのは、古いローマ教会の伝統によっています。また、この日が特に大事にされるようになったのは、12月25日から数えてちょうど8日目に当たるからです。8日目に当たる今日、誕生した神の子は「イエス」と命名されることにより、正式に神の民の歴史・人類の歴史の一員となりました。そして、聖母マリア様には、救い主としてのイエス様の使命に、自分も深く一致するという母の姿があります。聖母マリア様は、羊飼いたちにイエス様を示し、彼らを喜びで満たしましたが、今日も私たちに恵みそのものであるイエス様を示して与え続けられます。
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年の初めの聖句・新約聖書:コリントの人々への第一の手紙・第13章・第1〜第13節 [聖書]

今年も、新年の初めにこの聖書の聖句を皆様に捧げます。
◯新約聖書:コリントの人々への第一の手紙・第13章・第1節~第13節
「たとえ、わたしが人間の異言(いげん)、み使いの異言を話しても、愛がなければ、わたしは鳴る銅鑼(どら)、響くシンバル。
たとえ、預言の賜物があり、あらゆる神秘、あらゆる知識に通じていても、たとえ、山を移すほどの完全な信仰があっても、愛がなければ、わたしは何ものでもない。
たとえ、全財産を貧しい人に分け与えて、たとえ、賞賛を受けるために、自分の身を引き渡しても、愛がなければ、わたしには何の益にもならない。

愛は寛容なもの、
慈悲深いものは愛。
愛は、妬まず、高ぶらず、誇らない。
見苦しい振る舞いをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人の悪事を数え立てない。不正を喜ばないが、人とともに真理を喜ぶ。
すべてをこらえ、すべてを信じ、
すべてを望み、すべてを堪え忍ぶ。
愛は決して滅び去ることはない。

預言の賜物なら廃れもしよう。
異言なら、やみもしよう。
知識なら、無用となりもしょう。
わたしたちが知るのは一部分、
また、預言するのも一部分であるが故に。
完全なものが到来するときは、
部分的なものは廃れ去る。

わたしは、幼い子供であったとき、
幼い子供のように語り、
幼い子供のように考え、
幼い子供のように思い巡らした。
だが、一人前の者となったとき、
幼い子供のことはやめにした。

わたしたちが今、見ているのは、
ほんやりと鏡に映ったもの。
『その時』に見るのは、顔と顔を合わせたもの。
わたしが今、知っているのは一部分。
『その時』には、
自分が完全に知られるようになる。
だから、引き続き残るのは、
信仰、希望、愛、この三つ。
このうち最も優れているのは、愛」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

終わりの方で神学的な内容を含むため、初めての方には少々理解しにくいところがあると思いますが、最後の3行が重要なところです。すなわち、「信仰、希望、愛」の3つが重要であり、その中でも最も重要なのは「愛」と言うことを説いています。イエス・キリストの教えは、この「愛」と「赦し(ゆるし)」です。今年も、私の自戒としてこの教えを実践していきます。
主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、今年も皆さんと共にありますように!
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