紅茶日記2023.1.9(スコーン!) [紅茶日記]
紅茶ではありませんが、紅茶のお供としてのスコーンについて書きます。
昨年12月末からamazon(アマゾン)のprime video(プライムビデオ)で、イギリスのBBC放送が制作したドラマ「ブラウン神父」を見ていますが、その中で、紅茶とスコーンが毎回というか、頻繁に出てきてきます。イギリスですから日常において紅茶やスコーンは当たり前なのですね。紅茶については、最近このブログで書いていますが、「紅茶セット」をいただいたこともあり、このドラマと相まって好きになりました。
その紅茶のお供としてのスコーンですが、たまにというか稀にしか食べませんでしたが、いろいろと種類があるのですね。スコーン(英: scone)とは、スコットランド発祥の食べ物です。主な材料は、小麦、大麦、オーツ麦などで、小麦粉、大麦粉、あるいはオートミールにベーキングパウダーを加え、牛乳でまとめてから軽く捏ね、成形して焼き上げるます。粉にバターを練り込んだり、レーズンやデーツなどのドライフルーツを混ぜて焼き上げられることも多いようです。粗挽きの大麦粉を使って焼いたバノック(bannock)というお菓子がその起源とされ、文献に初めて登場するのは1513年といわれています。19世紀半ばに、ベーキングパウダーやオーブンの普及によって、現在の形になったそうです。現在では発祥地のスコットランドのみならずイギリス全土で食べられており、また大西洋を渡ってアメリカでもよく食べられています。
◯イギリスの伝統的な形のスコーンです。
スターバックスコーヒーで販売しているスコーンです。写真上がチョコレートチャンクスコーンで、下がキャラメルトフィースコーンです。
昨年12月末からamazon(アマゾン)のprime video(プライムビデオ)で、イギリスのBBC放送が制作したドラマ「ブラウン神父」を見ていますが、その中で、紅茶とスコーンが毎回というか、頻繁に出てきてきます。イギリスですから日常において紅茶やスコーンは当たり前なのですね。紅茶については、最近このブログで書いていますが、「紅茶セット」をいただいたこともあり、このドラマと相まって好きになりました。
その紅茶のお供としてのスコーンですが、たまにというか稀にしか食べませんでしたが、いろいろと種類があるのですね。スコーン(英: scone)とは、スコットランド発祥の食べ物です。主な材料は、小麦、大麦、オーツ麦などで、小麦粉、大麦粉、あるいはオートミールにベーキングパウダーを加え、牛乳でまとめてから軽く捏ね、成形して焼き上げるます。粉にバターを練り込んだり、レーズンやデーツなどのドライフルーツを混ぜて焼き上げられることも多いようです。粗挽きの大麦粉を使って焼いたバノック(bannock)というお菓子がその起源とされ、文献に初めて登場するのは1513年といわれています。19世紀半ばに、ベーキングパウダーやオーブンの普及によって、現在の形になったそうです。現在では発祥地のスコットランドのみならずイギリス全土で食べられており、また大西洋を渡ってアメリカでもよく食べられています。
◯イギリスの伝統的な形のスコーンです。
スターバックスコーヒーで販売しているスコーンです。写真上がチョコレートチャンクスコーンで、下がキャラメルトフィースコーンです。
教会日記2023.1.9(カトリック町田教会「主の洗礼の祝日のミサ」月曜日) [教会日記]
今朝は、カトリック成城・聖タデオ教会で、早朝7時からの「主の洗礼の祝日のミサ」に与りました。寒いですね〜!( ̄◇ ̄;) ここのところ厳しい寒い朝が続いていますが、清々しい朝を迎えています。
ミサでは、「主の洗礼」の祝日をお祈りしました、
そして、まず、主を讃えるお祈りです。
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と祈りました。
そして、主に感謝です。
「今日も清々しい朝を迎えさせていただき、ご聖体を拝領させていただいたことを感謝申し上げます。」
次に、主により頼むお祈りです。
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と祈りました。
次に、派遣のお祈りです。
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と祈りました。
終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』です。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と祈りました。
ミサでは、「主の洗礼」の祝日をお祈りしました、
そして、まず、主を讃えるお祈りです。
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と祈りました。
そして、主に感謝です。
「今日も清々しい朝を迎えさせていただき、ご聖体を拝領させていただいたことを感謝申し上げます。」
次に、主により頼むお祈りです。
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と祈りました。
次に、派遣のお祈りです。
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と祈りました。
終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』です。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と祈りました。
「主の洗礼」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]
今日1月9日は、「主の洗礼」の祝日です。
昨年11月27日から始まった待降節、そして降誕祭(巷では一般的に「クリスマス」)、降誕節と続き、その締めくくりは、今日の“主の洗礼”の祝日となります。
初代教会では、主イエスの洗礼の中にキリスト者の洗礼の原型を見ていました。さらに主の受洗によって、「神の霊が降り」、主が神のメッセージを伝える預言者として立てられたという重大な出来事をも見ていました。主の洗礼は、イエスが福音宣教という使命を果たしていくための準備でもありました。そのため、福音記者はいずれも“主の洗礼”を伝えています。主イエスの場合、この洗礼の出来事は、終末的な出来事として描写されています。東方教会では、主の降誕、主の公現、主の奉献、主の洗礼、カナの婚宴の出来事を主の顕現(イエスのうちに神の栄光が現れたこと)の神秘として、一つの祝日として祝っていましたが、東西両教会の交流により主の降誕、主の公現と別々に祝うようになった時に、主の洗礼も別に祝われるようになりました。
◯新約聖書:マタイによる福音書・第3章・第13~第17節
「そのころ、イエスはガリラヤからヨルダン川にいるヨハネのもとに来られ、彼から洗礼を受けようとされた。しかし、ヨハネはそれを思い留まらせようとして言った、「わたしこそあなたから洗礼を受けるべきです。あなたがわたしのもとにおいでになったのですか」。イエスは仰せになった、「今は、止めないでほしい。このように、なすべきことをすべて果たすのは、わたしたちにふさわしいことだから」。そこで、ヨハネはそのとおりにした。イエスは洗礼を受けると、すぐに水から上がられた。すると、みるみる天が開かれ、神の霊が鳩のようにご自分の上に降って来るのをご覧になった。そして、天から声がした。「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者である」。
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から
この絵の題名は「キリストの洗礼」です。ヴェロッキオ作ですが、後にレオナルド・ダ・ヴィンチが完成させています。この場面を画いた絵は多くありますが、構図的に主題が分かりやすく画かれている絵ですね。イエス様は中央、右側が洗礼者聖ヨハネ、左側はイエス様にお仕えしている天使です。
◯祈り
「全能永遠の神よ、
ヨルダン川で洗礼を受けられたイエスに
あなたは聖霊を注ぎ、
愛する子であることを示してくださいました。
洗礼によって新たに生まれ、
あなたの子どもとされたわたしたちが、
いつもみ心に従うことができますように。」
昨年11月27日から始まった待降節、そして降誕祭(巷では一般的に「クリスマス」)、降誕節と続き、その締めくくりは、今日の“主の洗礼”の祝日となります。
初代教会では、主イエスの洗礼の中にキリスト者の洗礼の原型を見ていました。さらに主の受洗によって、「神の霊が降り」、主が神のメッセージを伝える預言者として立てられたという重大な出来事をも見ていました。主の洗礼は、イエスが福音宣教という使命を果たしていくための準備でもありました。そのため、福音記者はいずれも“主の洗礼”を伝えています。主イエスの場合、この洗礼の出来事は、終末的な出来事として描写されています。東方教会では、主の降誕、主の公現、主の奉献、主の洗礼、カナの婚宴の出来事を主の顕現(イエスのうちに神の栄光が現れたこと)の神秘として、一つの祝日として祝っていましたが、東西両教会の交流により主の降誕、主の公現と別々に祝うようになった時に、主の洗礼も別に祝われるようになりました。
◯新約聖書:マタイによる福音書・第3章・第13~第17節
「そのころ、イエスはガリラヤからヨルダン川にいるヨハネのもとに来られ、彼から洗礼を受けようとされた。しかし、ヨハネはそれを思い留まらせようとして言った、「わたしこそあなたから洗礼を受けるべきです。あなたがわたしのもとにおいでになったのですか」。イエスは仰せになった、「今は、止めないでほしい。このように、なすべきことをすべて果たすのは、わたしたちにふさわしいことだから」。そこで、ヨハネはそのとおりにした。イエスは洗礼を受けると、すぐに水から上がられた。すると、みるみる天が開かれ、神の霊が鳩のようにご自分の上に降って来るのをご覧になった。そして、天から声がした。「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者である」。
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から
この絵の題名は「キリストの洗礼」です。ヴェロッキオ作ですが、後にレオナルド・ダ・ヴィンチが完成させています。この場面を画いた絵は多くありますが、構図的に主題が分かりやすく画かれている絵ですね。イエス様は中央、右側が洗礼者聖ヨハネ、左側はイエス様にお仕えしている天使です。
◯祈り
「全能永遠の神よ、
ヨルダン川で洗礼を受けられたイエスに
あなたは聖霊を注ぎ、
愛する子であることを示してくださいました。
洗礼によって新たに生まれ、
あなたの子どもとされたわたしたちが、
いつもみ心に従うことができますように。」