教会日記2023.1.28(カトリック麹町・聖イグナチオ教会「主日のミサ」土曜日) [教会日記]
今日は、仕事はお休みをいただきました。
午後から、四ツ谷にある上智大学でボランティア活動をしている学生との会合があり、終わってから上智大学と同じ敷地内というか、大学に隣接しているカトリック麹町・聖イグナチオ教会(もどちらも修道会のイエズス会が関係する大学・教会)での18時からの「主日のミサ」に与らせていただきました。聖イグナチオ教会でミサに与るのは、2020年2月18日(火)18時からの「平日のミサ」に与って以来、約3年ぶりとなりました( ̄▽ ̄;) 聖イグナチオ教会での「主日のミサ」は、先ほど与った土曜日の18時からと日曜日の7時から、8時30分から、10時から、18時からの4回あります。ちなみに、「主日のミサ」も「平時のミサ」も、ミサの司式に入る前に、会衆(信徒)全員で『お告げの祈り』をお祈りします。
◯四ツ谷駅前交差点から撮影した聖イグナチオ教会の外観です。
聖イグナチオ教会は、私の大好きな教会の一つです。コロナ渦になるまでは、仕事が終わってから又は都心に近郊出張した帰りなどに、毎月2~3回(8月は15回前後)は18時からの「平日のミサ(たまに早朝7時からの平日のミサ)」に与っていました。しかし、緊急事態宣言が発出されてからは教会に所属する信徒だけの予約制になり、教会自体が一時的に閉鎖されることもあったり、なかなかミサに与ることができませんでした。聖イグナチオ教会の「平日のミサ」は、月曜日から土曜日までの6日間、毎日7時から、12時から、18時からの3回あります。いずれの時間もアンジェラスの鐘が鳴り響く『お告げの祈り』の時ですね。ただし、土曜日の18時からのミサは「主日のミサ」となります。
◯ミサ40分前の聖堂内の風景です。まだ信徒の皆さんは少しですね。祭壇もまだ準備されていません。大きなパイプオルガンがあります。
それでも、教会が閉鎖されるまでは、仕事が終わってから静寂な聖堂の中で『ロザリオの祈り』や、休みの日に都心に出てきた折、正午12時のアンジェラスの鐘が鳴り響く中で「お告げの祈り」を聖堂の外にあるベンチに座ってお祈りしていました。しかし、もう3年にもなるのですね………月日が経つのは早いものです。やはり、聖イグナチオ教会のミサはいいですね〜!18時のアンジェラスの鐘が鳴る直前に「お告げの祈り」が始まり、お祈りが始まってアンジェラスの鐘が鳴り初め、司祭が入堂する入祭の歌が始まってもアンジェラスの鐘は鳴り響いていました。とても荘厳です!
◯聖堂の外から見たステンドグラスです。中の明かりがあまり明るくないですね。
ミサでは、まず、主を讃えるお祈りです。
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と祈りました。
そして、主に感謝です。
「今日も清々しい朝を迎えさせていただき、ご聖体を拝領させていただいたことを感謝申し上げます。」
次に、主により頼むお祈りです。
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と祈りました。
次に、派遣のお祈りです。
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と祈りました。
終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』です。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と祈りました。
午後から、四ツ谷にある上智大学でボランティア活動をしている学生との会合があり、終わってから上智大学と同じ敷地内というか、大学に隣接しているカトリック麹町・聖イグナチオ教会(もどちらも修道会のイエズス会が関係する大学・教会)での18時からの「主日のミサ」に与らせていただきました。聖イグナチオ教会でミサに与るのは、2020年2月18日(火)18時からの「平日のミサ」に与って以来、約3年ぶりとなりました( ̄▽ ̄;) 聖イグナチオ教会での「主日のミサ」は、先ほど与った土曜日の18時からと日曜日の7時から、8時30分から、10時から、18時からの4回あります。ちなみに、「主日のミサ」も「平時のミサ」も、ミサの司式に入る前に、会衆(信徒)全員で『お告げの祈り』をお祈りします。
◯四ツ谷駅前交差点から撮影した聖イグナチオ教会の外観です。
聖イグナチオ教会は、私の大好きな教会の一つです。コロナ渦になるまでは、仕事が終わってから又は都心に近郊出張した帰りなどに、毎月2~3回(8月は15回前後)は18時からの「平日のミサ(たまに早朝7時からの平日のミサ)」に与っていました。しかし、緊急事態宣言が発出されてからは教会に所属する信徒だけの予約制になり、教会自体が一時的に閉鎖されることもあったり、なかなかミサに与ることができませんでした。聖イグナチオ教会の「平日のミサ」は、月曜日から土曜日までの6日間、毎日7時から、12時から、18時からの3回あります。いずれの時間もアンジェラスの鐘が鳴り響く『お告げの祈り』の時ですね。ただし、土曜日の18時からのミサは「主日のミサ」となります。
◯ミサ40分前の聖堂内の風景です。まだ信徒の皆さんは少しですね。祭壇もまだ準備されていません。大きなパイプオルガンがあります。
それでも、教会が閉鎖されるまでは、仕事が終わってから静寂な聖堂の中で『ロザリオの祈り』や、休みの日に都心に出てきた折、正午12時のアンジェラスの鐘が鳴り響く中で「お告げの祈り」を聖堂の外にあるベンチに座ってお祈りしていました。しかし、もう3年にもなるのですね………月日が経つのは早いものです。やはり、聖イグナチオ教会のミサはいいですね〜!18時のアンジェラスの鐘が鳴る直前に「お告げの祈り」が始まり、お祈りが始まってアンジェラスの鐘が鳴り初め、司祭が入堂する入祭の歌が始まってもアンジェラスの鐘は鳴り響いていました。とても荘厳です!
◯聖堂の外から見たステンドグラスです。中の明かりがあまり明るくないですね。
ミサでは、まず、主を讃えるお祈りです。
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と祈りました。
そして、主に感謝です。
「今日も清々しい朝を迎えさせていただき、ご聖体を拝領させていただいたことを感謝申し上げます。」
次に、主により頼むお祈りです。
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と祈りました。
次に、派遣のお祈りです。
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と祈りました。
終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』です。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と祈りました。
紅茶日記2023.1.28(紅茶の効能!) [紅茶日記]
今日は、紅茶の効能についてお話しいたします!
紅茶の効能はいろいろあります。まず、活性酸素の働きを抑える抗酸化作用があることがわかっており、紅茶ポリフェノールの摂取は、生活習慣病の予防につながります。 具体的には、血糖値上昇の抑制作用、血中コレステロールの調整、血圧上昇抑制、動脈硬化予防などにつながるという報告がなされています。
今日、特に注目したいのは、紅茶によって新型コロナウイルスが無害化する効果が確認されているといことです。試験管内でウイルスが1分間お茶に触れることで、最大99%が感染力を失います。感染対策の一つとして大いに期待されているそうです。また、同じ茶飲料でも、茶葉から淹れた紅茶が最も効果が高く、感染力のあるウイルスは1分間で100分の1、10分間で千分の1以下にまで減少したそうです。インフルエンザでカテキンの効果は確認されており、紅茶を飲むことで同じような効果が期待されます。カテキンはインフルエンザウイルスなどの表面にある突起状のタンパク質に付着し、感染力をなくすことが確認されており、新型コロナウイルスでも同様の効果が推測されています!これはもう紅茶を飲むしかない!ですね(^◇^)
紅茶の効能はいろいろあります。まず、活性酸素の働きを抑える抗酸化作用があることがわかっており、紅茶ポリフェノールの摂取は、生活習慣病の予防につながります。 具体的には、血糖値上昇の抑制作用、血中コレステロールの調整、血圧上昇抑制、動脈硬化予防などにつながるという報告がなされています。
今日、特に注目したいのは、紅茶によって新型コロナウイルスが無害化する効果が確認されているといことです。試験管内でウイルスが1分間お茶に触れることで、最大99%が感染力を失います。感染対策の一つとして大いに期待されているそうです。また、同じ茶飲料でも、茶葉から淹れた紅茶が最も効果が高く、感染力のあるウイルスは1分間で100分の1、10分間で千分の1以下にまで減少したそうです。インフルエンザでカテキンの効果は確認されており、紅茶を飲むことで同じような効果が期待されます。カテキンはインフルエンザウイルスなどの表面にある突起状のタンパク質に付着し、感染力をなくすことが確認されており、新型コロナウイルスでも同様の効果が推測されています!これはもう紅茶を飲むしかない!ですね(^◇^)
今日の日記2023.1.28(少々雪化粧!) [日記]
「聖トマス・アクィナス司祭教会博士」のお話し [聖人・福者・尊者]
今日1月28日は、「聖トマス・アクィナス司祭教会博士(イタリア:1225年頃~1274年)」の記念日です。なお、典礼歴にはありません。
中世ヨーロッパ、イタリアの神学者、哲学者で、シチリア王国出身のドミニコ修道会士です。大著である『神学大全』で知られるスコラ学の代表的神学者です。カトリック教会と聖公会で聖人とされており、カトリック教会の33人の教会博士の一人となっています。
この《聖トマス・アクィナス》は、画家のカルロ・クリヴェッリによって制作された作品で、制作年は1476?年から1476年です。イギリスのロンドン・ナショナルギャラリーに所蔵されています。
『聖トマス・アクィナスの祈り』
「私の神よ、私があなたを忘れても
あなたは私を忘れないでください
私があなたを見捨てても
あなたは私を見捨てないでください
私があなたから離れても
あなたは私から離れないでください
私が逃げだしても呼びもどし
反抗しても引き寄せ
倒れても起きあがらせてください
私の神、主よ、お願いいたします
いかなるむなしい考えによっても
あなたから遠ざかることのない目覚めた心を
いかなるよこしまな意向によっても
ゆがめられることのないまっすぐな心を
いかなる逆境にもめげず
勇敢に立ち向かう強い心を
いかなる卑しい情欲によっても
打ち負かされることのない自由な心を
主よ、私にお授けください
主よ、お願いいたします
あなたを求める意志を
あなたを見いだす希望を
信仰をもってあなたを待ち望む堅忍を
そして、ついにあなたを所有できる確信を
主よ、この私にお与えください。」
このお祈りの言葉を読むと、信徒ではない一般の皆さんは「なんとわがままで自分勝手なご都合主義的な言葉なのでしょうか!」と思われるでしょうね。しかし、キリスト教の信徒であれば、この祈りの言葉は、「なんと素直な神を信頼したお祈りの言葉なのでしょうか!」となります。そうなのです。私たちクリスチャンの祈りは、神を信頼した神に願う祈りなのです。聖トマス・アクィナスのように、自分をさらけ出して、すべてを神に委ねる姿勢が大切なのです。私たちも幼子のように素直になって祈らなければなりませんね。
中世ヨーロッパ、イタリアの神学者、哲学者で、シチリア王国出身のドミニコ修道会士です。大著である『神学大全』で知られるスコラ学の代表的神学者です。カトリック教会と聖公会で聖人とされており、カトリック教会の33人の教会博士の一人となっています。
この《聖トマス・アクィナス》は、画家のカルロ・クリヴェッリによって制作された作品で、制作年は1476?年から1476年です。イギリスのロンドン・ナショナルギャラリーに所蔵されています。
『聖トマス・アクィナスの祈り』
「私の神よ、私があなたを忘れても
あなたは私を忘れないでください
私があなたを見捨てても
あなたは私を見捨てないでください
私があなたから離れても
あなたは私から離れないでください
私が逃げだしても呼びもどし
反抗しても引き寄せ
倒れても起きあがらせてください
私の神、主よ、お願いいたします
いかなるむなしい考えによっても
あなたから遠ざかることのない目覚めた心を
いかなるよこしまな意向によっても
ゆがめられることのないまっすぐな心を
いかなる逆境にもめげず
勇敢に立ち向かう強い心を
いかなる卑しい情欲によっても
打ち負かされることのない自由な心を
主よ、私にお授けください
主よ、お願いいたします
あなたを求める意志を
あなたを見いだす希望を
信仰をもってあなたを待ち望む堅忍を
そして、ついにあなたを所有できる確信を
主よ、この私にお与えください。」
このお祈りの言葉を読むと、信徒ではない一般の皆さんは「なんとわがままで自分勝手なご都合主義的な言葉なのでしょうか!」と思われるでしょうね。しかし、キリスト教の信徒であれば、この祈りの言葉は、「なんと素直な神を信頼したお祈りの言葉なのでしょうか!」となります。そうなのです。私たちクリスチャンの祈りは、神を信頼した神に願う祈りなのです。聖トマス・アクィナスのように、自分をさらけ出して、すべてを神に委ねる姿勢が大切なのです。私たちも幼子のように素直になって祈らなければなりませんね。