旧約聖書:イザヤ書・第6章・第1〜第8節 [聖書]

「ウジヤ王が死んだ年に、わたしは高く上げられた玉座に座しておられる主を見た。
その衣の裾は、神殿いっぱいに広がっていた。
そばにはセラフィムが使えていた。
各々が六つの翼を持ち、二つは顔を覆うため、二つは足を覆うため、二つは飛ぶためのものであった。
互いに呼びかわし、言った。
『聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主。その栄光は全地に満つ。』
その呼ぶ声によって、神殿の敷居の軸は揺れ動き、神殿は煙に満たされた。わたしは言った、
『災いだ、わたしは破滅だ。
わたしは汚れた唇の者、
汚れた唇の民の中に住んでいるのに、
わたしの目は、王である万軍の主を
見てしまったのだから。』
すると、わたしの所にセラフィムのひとりが飛んできた。
その手には祭壇から火ばさみで取った、赤く焼けた炭をもっていた。
セラフィムはそれをわたしの口に触れさせて言った。
『見よ、これがお前の唇に触れたので、
お前の悪は取り去られ、
お前の罪は贖われた。』
その時、わたしは主の声を聞いた。
『わたしは誰を遣わそうか。誰がわれわれのために行くだろうか。』
わたしは言った。
『ここに、わたしがおります。
このわたしを遣わしてください。』」
「原文校訂による口語訳 フランシスコ会聖書研究所訳注 聖書」から

この聖句(聖書の言葉)は、イザヤ書の第6章・第1~8節です。この部分は、イザヤが預言者として神様から召命されるところを描いています。イザヤの召命が、やっと6章に出てくるのですね。この最後のところにある「ここに、わたしがおります。このわたしを遣わしてください。」が、今日の重要な言葉となります。
この世の創り主である神様が、人々の嘆き苦しむ声を聞き、人々を救うために「誰か代わりに行ってくれないか。」と人間達に呼びかけます。するとその呼びかける神様の声を聞いたイザヤが「わたしがここにおります。わたしでよろしければお遣わしください」と答えます。この聖句は、そのような状況を描いています。

この旧約聖書時代のイザヤが生きていた時の状況が、現代社会にも当てはまる感じがします。今の世も苦しんで助けを求めている人がたくさんいるのです。コロナの影響で倒産やリストラに遭って仕事を失った大人達、受験や就職などの競争社会で苦しんでいる子ども達、社会から見捨てられた高齢者達、このような幸せから見放された人々の叫び声は、この私たちが生きている現在社会に充満し、その叫び声は神様に届いているのです。

このような世の中にあって、誰かが泣き叫ぶ人たち = 救いを求める人たちに愛の善き行いと善き知らせである福音を伝えなければなりません。その役目を負うのが、キリスト者(クリスチャン)である私たち信徒ではないでしょうか。今まさに神様に呼ばれているのは、他の誰でもない私たち自身なのです。いつでも、どこにいても「ここにわたしがおります。このわたしを遣わしてください。」と神様に積極的に応えたいものですね。

私の<教会用(信仰生活用)>の名刺です。「ここにわたしがおります。このわたしを遣わしてください」と書いてあります!アウグスティヌスは私の洗礼名です。
IMG_4541.jpg
【預言者(よげんしゃ)】
神様から召命され、神様から降る声を聴いて = 預かって、人々に伝えて正しい生き方に導く役目をする人のことです。正しい生き方 をしていない = 悪い生き方をしている人たちに預言を語るわけですから、神様の言葉だからと素直に受け入れる人たちはいいですが、受け入れずに抵抗する人たちはこの預言者を迫害したり殺したりしたのです。ですから、神様から預言者に召命されると、逃げ出す人たちもいました。ちなみに、将来を予知する「予言者」ではありません。
【セラフィム】
熾天使(してんし)といいます。天使の位階の一つで、偽ディオニシウス・アレオパギタが定めた天使の九階級のうち最上位とされています。三対六枚の翼を持ち、2つで頭を、2つで体を隠し、残り2つの翼ではばたく。神への愛と情熱で体が燃えているため、熾(燃える、などの意)天使といわれています。なお、偽ディオニシウス・アレオパギタが定めた天使の九階級は、このブログの「天使のお話し」に書いていますのでご覧下さい。https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2020-11-18-4
ジョット・ディ・ボンドーネ作のフラスコ画『聖痕を受ける聖フランチェスコ』 です。修道士フランシスコ(聖フランシスコ)が、セラフィムから聖痕(せいこん)を受けているところを描いています。
セラフィム.jpg
【聖痕】
聖痕(せいこん)は、イエス・キリストが磔刑となった際についたとされる傷、また何らかの科学的に説明できない力によって信者らの身体に現れるとされる類似の傷のことをいいます。これらはスティグマータ(ラテン語: stigmata)とも呼ばれ、カトリック教会では奇跡の顕現と見なされています。聖痕は、キリストの受難において釘を打たれた①左手、②右手、③右足、④左足、「ロンギヌスの槍」によって刺された⑤脇腹の5箇所に現れるとするのが一般的ですが、キリストがかぶせられた荊冠(けいかん:いばらで編んだ冠のこと)に由来するとされる額の傷や、十字架を背負った際についたとされる背中の傷、血を含んだ涙や汗なども含まれます。
聖痕を得る際は、イエス・キリスト、聖母マリア様や天使の姿を幻視したり、その声を聞いたりするとされます。傷には出血や激しい痛みを伴い、傷口から芳香を発することがあるそうです。アッシジのフランチェスコをはじめ、ドミニコ会のシエナのカタリナなど、聖人に列せられた修道士や修道女たちにこのような聖痕が現れたと伝えられています。2002年に列聖されたカプチン会のピオ神父も聖痕があったことで知られています。

◯「ロンギヌスの槍」のことは、このブログの2019年9月4日に掲載した記事をご覧ください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2019-09-04
◯「聖フランチェスコ(聖フランシスコ)」のことは、このブログの2020年10月4日に掲載した記事をご覧ください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2020-10-04
◯「シエナのカタリナ(シエナの聖カタリナおとめ教会博士)」のことは、このブログの2020年4月29日に掲載した記事をご覧ください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2020-04-29
◯「ピオ神父(聖ピオ司祭)」のことは、このブログの2020年9月23日に掲載した記事をご覧ください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2020-09-23
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「神のことばの主日」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今日は、「神のことばの主日」です。
フランシスコ教皇が、年間第三主日を「神のことばの主日」と定められました。要旨は次のとおりです。(カトリック中央協議会のホームページから)
https://www.cbcj.catholic.jp/2020/01/24/20015/

教皇フランシスコの意向による「神のことばの主日」の制定について
(2020/01/24)
日本司教団関連 お知らせ 典礼委員会
「教皇フランシスコは、自発教令の形式による使徒的書簡『アペルイット・イリス(Aperuit illis)』を、2019年9月30 日(聖ヒエロニモ司祭の記念日)に公布して、年間第三主日を「神のことばの主日」と名付け、「神のことばを祝い、学び、広めることにささげる」(3)ことを宣言されました。また、「神のことばの主日」は、キリスト教一致祈禱週間(毎年1月18日~25日)とも重なり、「わたしたちがユダヤ教を信じる人々との絆を深め、キリスト者の一致のために祈るように励まされる」(3)よう、エキュメニカルな意味を深めるものでもあります。
上記書簡の日本語訳は以下からダウンロードすることができます。
教皇フランシスコ自発教令『アペルイット・イリス』ダウンロード(PDF)」
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教会日記2023.1.21(カトリック成城・聖タデオ教会「神のことばの主日のミサ」土曜日) [教会日記]

今日は、仕事はお休みをいただき、カトリック成城・聖タデオ教会での「神のことばの主日のミサ」に与りました。「神のことばの主日」の詳しいことについては、このブログに明日掲載いたします。今日からしばらく極寒の日が続きます!( ̄◇ ̄;) 最高気温は一桁台、最低気温はマイナスです!夜は早めに帰った方がいいですね。皆さん!お風邪を召しませんように!

ミサでは、まず、主を讃えるお祈りです。
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と祈りました。
そして、主に感謝です。
「今日も清々しい朝を迎えさせていただき、ご聖体を拝領させていただいたことを感謝申し上げます。」

次に、主により頼むお祈りです。
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と祈りました。

次に、派遣のお祈りです。
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と祈りました。

終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』です。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と祈りました。
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2023年「聖母マリア様の祭日・祝日・記念日」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

カトリック教会が定めている2023年の「聖母マリアの祭日・祝日・記念日」は次のとおりです。その他、「神のお告げ(祭日:3月25日)」と「聖マリアの御名(みな)(記念日:9月12日)」が間接的に聖母マリア様に関係する任意の祭日・記念日として祝われ、また5月の一月間を「聖母の月」として祝われ、10月の一月間は「ロザリオの月」となります。

1.「神の母聖マリア」
大祭日は、1月1日(日)です。

2.「ルルドの聖母」
記念日は、2月11日(土)です。

3.「日本の信徒発見の聖母」
祝日は、3月17日(金)です。

4.「神のお告げ」
任意の祭日は、3月25日(土)です。

5.「聖母の月(5月)」
5月の一ヶ月間は、「聖母の月」となります。

6.「ファティマの聖母」
記念日は、5月13日(土)です。

7.「聖母の訪問」
祝日は、5月31日(水)です。

8.「聖母の御心(みこころ)」
記念日は、「イエスの御心(みこころ)」の翌日の土曜日、今年は6月17日(土)です。

9.「教会の母 聖マリア」
記念日は、「聖霊降臨の主日」の翌日の月曜日、今年は6月29日(月)です。

10.「聖母の被昇天」
大祭日は、8月15日(火)です。

11.「天の元后聖マリア」
記念日は、8月22日(火)です。

12.「聖マリアの誕生」
祝日は、9月8日(金)です。

13.「聖マリアの御名(みな)」
任意の記念日は、9月12日(火)です。

14.「悲しみの聖母」
記念日は、9月15日(金)です。

15.「ロザリオの月(10月)」
10月の一ヶ月間は、「ロザリオの月」となります。

16.「ロザリオの聖母」
記念日は、10月7日(土)です。

17.「聖マリアの奉献」
記念日は、11月21日(火)です。

18.「無原罪の聖マリア」
大祭日は、12月8日(金)です。

聖母マリア様の祭日・祝日・記念日を相応しく祝うために、第二バチカン公会議文書の『典礼憲章(第5章・典礼暦年・第103「聖母の崇敬」)』では、次のとおり述べられています。
「キリストの諸秘儀を、一年の周期をもって祝う際、聖なる教会は、神の母・聖母マリアを、特別の愛をもって敬う。聖母は、切り離すことができない絆によって子の救いのわざに結ばれている。教会は聖母のうちに、あがないの最も優れた実りを感嘆し、ほめたたえ、あたかも最も純粋な姿のうちにおけるものとして、聖母のうちに、自分が完全にそうありたいと欲し、希望しているものを、喜びをもって見つめるのである」

この文章は、次の3つの点から聖母の祝日を祝う態度を教えています。
第1に、聖母マリア様の祝日は、イエス様の過越の秘儀の中で統合されるものであるということです。これは教会暦の祝祭が、①イエス様と直接関係があるもの、②聖母マリア様と関係しているもの、③聖ヨセフを含む諸聖人と関係しているものに分けられていますが、実際これらすべては、イエス様の過越の神秘を、それぞれ異なった側面から照らしているのです。つまり、公会議が述べているように、「聖母は切り離すことができない絆によって、神の救いのわざに結ばれている」方であり、それぞれの聖母マリア様の祝日は、イエス様によってもたらされた救いのみわざのある部分を表しています。
第2に、教会の中で聖母マリア様が崇敬される理由は、聖母マリア様が「あがないの最も優れた実り」だからです。聖母マリア様は、自分の固有の信仰の歩みにおいて、神のあがないの実りとなりました。聖母マリア様は「神がわたしに偉大なわざを行われた」(新約聖書:ルカによる福音書・第1章・第49節)ことを信じ、その信仰を最後まで生き抜いたのです。それゆえにすべての信仰は、聖母マリア様を「感嘆し、ほめたたえる」とともに、聖母マリア様の信仰に倣うことを願うものです。
第3に、教会は「彼女の希望に託し、喜びのうちに観想する」ということがあげられます。教会は、目に見える現実を超えて働きかけられる神のみ摂理に自らを委ねた聖母マリア様の希望に学ぶ共同体です。教会は、自分のすべてを神の恵みに委ねた聖母マリア様のように、神への信頼のうちに真の喜びを味わうということです。
聖母マリア様の取次ぎを願ってお祈りしましょう。
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「聖アグネスおとめ殉教者」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日1月21日は、聖アグネスおとめ殉教者(イタリア:291年~304年1月21日)の記念日です。
ローマの聖アグネスや聖イネス、聖女アグネス、聖女アニエスとも呼ばれ、13歳で殉教したと伝えられています。聖アグネスは、カトリックのミサで記念される女性の中で聖母マリア様を除いた7人の中の1人です。西方教会において、彼女は純潔・庭師・若い女性(少女)・夫婦・強姦被害者の守護聖人となっています。
聖アグネス.jpg
ローマの上流階級の名門の家庭に生まれ、若く聡明な美少女であったアグネスには、多くの縁談がありましたが、すべて断ったのでした。そのため、彼女がキリスト信者であることが分かるとすぐ訴えられ、どんな拷問にあっても決して信仰を捨てない彼女は、ついに死刑を言い渡されました。彼女は「キリストはわたしの花婿です。最初に選んでくださったのはキリストですから、わたしはその方に従います」と言って、13歳になった304年1月21日にローマ帝国の皇帝ディオクレティアヌスの統治下で殉教しました。
後に彼女は有名になり、キリスト教を国教としたローマ皇帝コンスタンティヌスは、自分の娘に彼女の墓の前で洗礼を受けさせたといわれています。その後、墓の上には聖アグネス聖堂が建てられました。アグネスは、<羊を抱いて描かれる(羊がアトリビュート)>絵画が多いのですが、ラテン語で「子羊」を意味する「アグヌス」と似ているためだといわれています。

【アトリビュート】
西洋絵画、特に宗教画(キリスト教絵画)には、「アトリビュート(=持物:じぶつ)」というものがあります。これは、絵を描く時の“約束事”として、特定の人物(聖人など)に密接に結びつけられたもの、例えば花、動物、小物、道具や背景などが画かれるのです。
例えば、聖母マリア様ですと、必ず画かれているのが純潔の象徴である「百合の花」ですね。「受胎告知」の絵で、大天使ガブリエルが百合の花を持っています。そして、天の真実を意味する「青色(濃紺色)のマント」です。「祈りの聖母」と「悲しみの聖母」の絵もそうですね。他にも、「12の星の冠」や足の下に「三日月」と「蛇」が画かれています。聖母マリア様の絵を見るときはよく観察しましょうね。
他にも、聖母マリアの夫である聖ヨセフは、大工であったことから大工道具がアトリビュートになっていますし、聖アガタは、乳房を切り取られたことから、乳房がアトリビュートになっています。旧約聖書の「トビト記」に出てくるトビアスを描いた絵は、必ず魚が画かれています。(「トビト記」を読めばわかります。)マグダラのマリアの絵は、必ず香油の壺とドクロが画かれています。
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教会日記2023.1.20(ミサ奉仕) [教会日記]

今週は、ミサの中でいろいろな奉仕を担当しました。まず、15日(日)の「主日のミサ」では、聖歌隊の一員として聖歌奉仕を担当しました。翌日からの「平日のミサ」では、まず16日(月)に朗読奉仕を担当し、19日(木)は朗読奉仕を代行し、今日20日(金)は先唱奉仕を担当させていただきました。

ただ一会衆(信徒)として席に座ってミサに与るのではなく、私たちの信仰生活の中心であり、イエス・キリストのご聖体を拝領するというミサそのものに、奉仕活動を通して信徒一人ひとりが参画することは、これこそ私たち信徒にとって尊い大切な務めだと思います。是非とも皆様にもお勧めいたします。
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教会日記2023.1.20(カトリック成城・聖タデオ教会「平日のミサ」金曜日)  [教会日記]

今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会での早朝7時からの「平日のミサ」に与りました。昨夜は、仕事が終わってから「山谷夜回りの会」でホームレス支援活動に参加し、帰ってきたのが午前様でしたから4時間ほどしか寝ていません。はっきり申し上げて眠いです!( ̄▽ ̄;) でも、今日も清々しい朝を迎えています。

ミサでは、先唱奉仕を担当しました。
そして、まず、主を讃えるお祈りです。
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と祈りました。
そして、主に感謝です。
「今日も清々しい朝を迎えさせていただき、ご聖体を拝領させていただいたことを感謝申し上げます。」

次に、主により頼むお祈りです。
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と祈りました。

次に、派遣のお祈りです。
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と祈りました。

終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』です。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と祈りました。
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「聖セバスティアヌス殉教者」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日1月20日は、聖セバスティアヌス殉教者(フランス:不詳~287年)の祝日です。
聖セバスティアノとも呼ばれ、フランスのナルボンの貴族の家に生まれました。若いころにキリスト信徒となりましたが、ローマ帝国の皇帝ディオクレティアヌスのキリスト教迫害が最も激しい時代で、セバスティアヌスは自ら信徒であることを隠してローマの軍隊に入隊しました。皇帝の目にとまって近衛兵となり、野心を抱かず皇帝への忠誠と神のために働くことだけに力を注いでいました。

キリスト教徒への迫害が激しくなってくると、セバスティアヌスは信者仲間を励ますために支援をしていましたが、ついに密告によってセバスティアヌスがキリスト信者であることを知った皇帝は激怒し、弓で彼を射殺すよう命じました。セバスティアヌスはかろうじて一命を取りとめ、皇帝のキリスト教徒に対する残虐な迫害を公然と非難し、再び死刑に処せられ殉教しました。遺体が発見されるとアッピア街道そばに葬られ、のちに聖セバスティアヌス教会が建てられました。

カトリック教会のクリスチャンである有名なピーテル・パウル・ルーベンス(ドイツ:1577年~ 1640年)作の「聖セバスティアヌス」です。中世ごろには、すでに<矢をあびる青年(矢がアトリビュート)>として絵画などに描かれ、兵士・弓術家の保護者になっていました。とにかく、セバスティアヌスの描かれている絵は多いのですが、裸で木に縛られて全身に矢が刺さり、血を流してしている描写のものばかりですから、とっても痛そうな絵になっていますΣ( ̄ロ ̄lll)
聖セバスティアヌス.jpg
【アトリビュート】
西洋絵画、特に宗教画(キリスト教絵画)には、「アトリビュート(=持物:じぶつ)」というものがあります。これは、絵を描く時の“約束事”として、特定の人物(聖人など)に密接に結びつけられたもの、例えば花、動物、小物、道具や背景などが画かれるのです。
例えば、聖母マリア様ですと、必ず画かれているのが純潔の象徴である「百合の花」ですね。「受胎告知」の絵で、大天使ガブリエルが百合の花を持っています。そして、天の真実を意味する「青色(濃紺色)のマント」です。「祈りの聖母」と「悲しみの聖母」の絵もそうですね。他にも、「12の星の冠」や足の下に「三日月」と「蛇」が画かれています。聖母マリア様の絵を見るときはよく観察しましょうね。
他にも、聖母マリアの夫である聖ヨセフは、大工であったことから大工道具がアトリビュートになっていますし、聖アガタは、乳房を切り取られたことから、乳房がアトリビュートになっています。旧約聖書の「トビト記」に出てくるトビアスを描いた絵は、必ず魚が画かれています。(「トビト記」を読めばわかります。)マグダラのマリアの絵は、必ず香油の壺とドクロが画かれています。
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新約聖書:ヤコブの手紙・第4章・第17節 [聖書]

「なすべき善いことを知っていながら行わないなら、それはその人にとって罪です。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

この聖句(イエス・キリストの言葉・聖書の言葉)は、私にとってホームレス支援活動の一つの根拠であり、原動力となっている大切な聖句です。この『ヤコブの手紙』は、書いた人物は結論的には不明ですが、イエス様の弟子である12使徒の大ヤコブではないことはわかっているようです。3世紀の半ば以降、教父(きょうふ・初期キリスト教の教義の基礎を築いた人)たちは、イエス様の兄弟(聖書解釈では従兄弟などの親類を含む)で、「義人」と呼ばれたヤコブという人がこの書簡の著者であるとしてきました。

義人ヤコブが著者なら、書簡がかかれた場所は、義人ヤコブが62年の殉教まで暮らしていたエルサレムであろうと言われています。新約聖書の正典として取り上げられるまで時間がかかっていますが、それは、この書簡の内容が主にユダヤ人キリスト教徒に向けられたものということで、非ユダヤ人達があまり読まなかったためではないかと思われています。書簡の内容は、前段で神に対する間違った求め方が指摘され、中段でこの世との妥協が批判され、後段で悔い改めて神に立ち返るようにとの勧告がなされています。

この聖句ですが、人として、行わなければならない善い行いを知っていながら、それを行わないのは罪になると説いています。知らないことを行わない = 罪にならないということですが、場合によっては知らなくても罪になることもあります。しかし、知っていて行わないのは、なおさら罪になるということです。ヤコブの手紙は、このように「善い行い」を強調しているところに特徴のある書簡となっています。

この書簡の前段部分にある第2章・第14~第17節で、次のとおり書かれています。
「わたしの兄弟たちよ、たとえ、誰かが自分は信仰をもっていると言っても、行いが伴わないなら、何の役に立つでしょう。そのような信仰は、その人を救うことができるでしょうか。仮に兄弟か姉妹かが、着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いているとしましょう。あなた方のうち、誰かが、その人に、「安心して行きなさい」「たくさん着なさい」「十分食べなさい」と言うだけで、体に必要なものを何一つ与えないなら、何の役に立つでしょう。信仰もまたこれと同じで、行いが伴わないなら、それ自身、死んだものです。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から
………とあります。最後のところで「行いが伴わないなら、信仰だけでは死んだものである」と説いています。これは非常に大切なことで、信仰とは善い行いが伴って初めて信仰といえます。信じるだけでは信仰とはいえないのです。すべては「善い行い」が伴うのです。
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支援活動日記2023.1.19(山谷夜回りの会活動) [支援活動日記]

今日は冬季休業期間最終日で、19時30分から令和5年度第2回目のホームレス支援活動グループ「山谷夜回りの会」の活動に参加しました。毎回毎回このブログに書いていることですが、私は一人の人間としてもキリスト者(クリスチャン)としても、人道のための支援活動を行うことが本望であり、若い時からの念願でもありました。働けなくて経済的に困窮し、路上生活を余儀なくされている人、家族に見放され精神時に不調をきたし、路上生活を余儀なくされている人、ホームレスの皆さんにはいろいろな理由があります。国や自治体など行政では、手が回らないところを私たちが支援するということですね。
ところで、私たちキリスト教の信徒は、前述したような生活に困窮している人のことをイエス様だと思って支援しています。これは聖書にあるイエス・キリストの教えです。新約聖書の『マタイによる福音書』第25章・第31~第46節に書かれています。このブログの2022年11月11日に掲載した「聖マルティヌス司教のお話し」を是非ともお読みください。https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2022-11-11

今宵もキレイな東京スカイツリーです!今日は、路地裏の通りから撮影しました。
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今夜も台東区端の泪橋交差点から少し歩いた所にある、「いろは商店街(以前は実測250mほどのアーケード商店街でした)」に、ビニールシートのテントで寝ている方を含め30人ほどのホームレスの皆さんが私達を待っていましたが、やはり年明けすぐはあまり集まらないですね。支援活動に集まった16人で、ホームレスの皆さんにおにぎり、マスク、軍手、石鹸、歯ブラシ、髭剃り、靴下、上下の下着類、厚手のシャツ、ズボン、寝袋、葛根湯などをお配りしました。最近は、女性の方もいらっしゃいますから生理用品も配ります。おにぎりを配る時は、毎回約200〜350個ほどのおにぎりをカトリック板橋教会や松戸教会の信徒の皆さんの善意で作ってもらっています。数年前までは、私が以前所属していたカトリック町田教会も「山谷の会(現在は解散)」があり、おにぎりを作っていました。今日は、たくさん余りましたので、玉姫公園に集まっているホームレスの方にも配布しました。
支援活動に集まっている皆さんの年齢構成は、70歳代の方、私のような仕事帰りの60歳代の社会人や主婦は少数派ですが、中心になるのは大学生や若い20歳代~30歳代の社会人です。若い人たちは使命感を持って支援活動に取り組んでいる立派な人ばかりです。明け方の気温は氷点下になる本格的な極寒の季節になってきました。ホームレスの皆さんは路上で寝る方も多く、寒さだけでなく、雨や雪が降ったりして衛生的にも極めて悪い環境にあります。健康を維持するためにも体には特に気をつけてもらいたいものです。活動が終了してから反省会を行い21時に解散しました。今は、すでに帰りの電車の中です。
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