教会日記2019.9.25(カトリック成城教会「平日のミサ」水曜日) [教会日記]

今日は、出勤前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城教会の7時からの平日のミサに与りました。朝は、随分と涼しくなりましたね〜。今朝も清々しい朝を迎えることができました!

6時50分から「お告げの祈り」をお祈りし、7時からのミサでは、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、同僚の病が癒されますように、同僚のお嬢さんの病が完治しますようにと心を込めてお祈りしました。
さぁ、これから仕事です!
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相田みつをのことば(第7日目) [非キリスト者(ノンクリスチャン)]

「そのうち、そのうち。弁解しながら日が暮れる。」

相田みつをのことは、「相田みつをのことば(第1日目)2019.9.5」をご覧ください。
“先延ばし”は社会人にとっては御法度です!まして先延ばしの弁解をするような人に信用はありません!その日にできることは、その日のうちに行うのです。これが社会人の鉄則です!
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今日の日記2019.9.24(エドウインのブラックジーンズ!) [日記]

株式会社エドウイン(EDWIN)は、ジーンズなどのデニム素材を中心とした日本のファッションブランドの会社です。「エドウィン」と読みますが、表記は「エドウイン」で、「イ」は小文字ではありません。
1950年代に常見米八(つねみ よねはち)商店の商号から発展し、中古ジーンズをアメリカから輸入し市場に提供していましたが、1960年代に入り、日本で初めて独自の製法によりジーンズを製造・販売するようになりました。一時的にアメリカ・イタリアにも工場を設け、MADE IN U.S.A.シリーズ及びMADE IN ITALYシリーズを生産していましたが、数年で中止されています。ちなみに「EDWIN」というブランド名は、デニム(DENIM)の「D」と「E」を逆転し、「NIM」を180度反転し「WIN」として命名されました。

エドウイン・ジーンズの特徴は、ペーパー・ブラシを用いてジーンズにヒゲを出したりく、シェービングを用いて全体的な色落ち加工を施したり、ほつれを出すなどのダメージ加工が挙げられます。デザインの特徴としては、ポケットの「W」のステッチや「EDWIN」のロゴを大きく配した皮ラベルなどが挙げられます。このデザインは1960年代のモデルから引き継がれているデザインですね。
私は、学生時代からエドウインのブラックジーンズ(ブラック・デニム)ばかりはいています。ブルージーンズは、今まで1本くらいしかはかなかったですね。61歳になった今でもブラックジーンズですが、しかし、なぜか?夏前にブルージーンズに目覚め、この夏のプライベートは、すべてブルージーンズで過ごしました。
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◯2012年、不正経理を繰り返して主要金融機関からの借入金690億円の返済が滞り、2014年、伊藤忠商事がエドウイン・ホールディングスの株式を100%取得してスポンサー契約を締結しました。これは子会社化したということですね。現在の社長は、伊藤忠商事の執行役員であった林史郎氏です。林氏は、伊藤忠商事では執行役員ファッションアパレル第一部門長でした。
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新約聖書:ヨハネによる福音書・第2章・第1〜第11節 [聖書]

「さて、三日目にガリラヤのカナで婚礼があり、イエスの母がそこにいた。イエスも弟子たちもその婚礼に招かれていた。ぶどう酒がなくなりかけていたので、母はイエスに、「ぶどう酒がありません」と言った。すると、イエスは母にお答えになった。「婦人よ、それがわたしとあなたとにどんな関わりがあるのでしょうか。わたしの時はまだ来ていません。」。母は給仕たちに、「何でもこの人の言うとおりにしてください」と言った。
ところで、そこにはユダヤ人が清めに用いる石の水瓶が、六つ置いてあった。いずれも二ないし三メトレテス入りのものである。イエスは給仕たちに、『水瓶に、水をいっぱい入れなさい』と仰せになった。彼らは水瓶の縁まで水でいっぱいにした。イエスが、「さあ、それをくんで、宴会の世話役の所に持って行きなさい」と仰せになると、彼らはそれを持って行った。
世話役は、ぶどう酒になった水を味わってみた。水をくんだ給仕たちはそのぶどう酒がどこから来たのか知っていたが、世話役は知らなかったので、花婿を呼んで、言った。「誰でも初めに善いぶどう酒を出して、酔いの回ったころに、質の劣ったものを出すものですが、あなたは善いぶどう酒を今まで取っておいたのですね」。イエスは、最初の徴としてガリラヤのカナで行い、ご自分の栄光を現された。そして、弟子たちはイエスを信じた。」
以上は『原文校訂による口語訳 新約聖書 フランシスコ会聖書研究所訳注』から

このブログに3回目の掲載となります。一部加筆・修正して再掲載しました。この聖句は、イエス・キリストが初めて奇跡を行ったことを描写している聖句です。水がワインになるという奇跡ですが、イエス・キリストは、人々を信仰に招くために多くの奇蹟(=しるし)を行っていました。重い皮膚病(ハンセン病)の人の肌を綺麗にして治したり、耳の聴こえない人を聴こえるように、盲人の目を見えるように、歩けない人を歩けるように、喋れない人を喋れるように、死人を生き返らせたりしています。魔法ではなく奇跡です。

この場面では、水をワインに変えて使徒(弟子)達の信じる心を開かせるために行った最初のしるし(=奇蹟)ですね。水がワインになるという描写は、ファンタジー映画などによく使われています。元々は聖書の中にあるイエス・キリストが行った奇跡のことなのです。キリスト教世界では、一般的に「カナの婚礼」と言われる聖書の有名な箇所です。神学者や聖職者によっていろいろな解釈がなされていますが、私はこの物語でポイントとなるところは、次のマリア様とイエス・キリストの会話の部分にあると思うのです………。

「母はイエスに、『ぶどう酒がありません』と言った。イエスは母にお答えになった、『婦人よ、それがわたしとあなたとにどんな関わりがあるのでしょうか。わたしの時はまだ来ていません。』」(「婦人」と「母」とは、聖母マリア様のこと)」

イエスがキリストの答えは、一見とんちんかんなことを言っているように感じられますね。それに、自分の母親に対して「婦人よ」という言い方は、あまりに冷たい他人に対する言い方のような気がします。これは、イエス・キリストは母であるマリア様に要求されたから答えたのではなく、神の子イエス・キリストとして主体的に恵みを与えるということを発言されたのではないかと推察します。神の子であるイエス・キリストとして、「ぶどう酒」は、ミサにおいてご聖体拝領でいただくイエス・キリストの血を象徴しています。

イエス・キリストの復活とミサにおけるご聖体と御血(おんち)の拝領を念頭に置いてこの箇所を読むと、マリア様とイエス・キリストの会話は、まるで違った解釈ができるのではないかと思います。それは「私(イエス・キリスト)が死に、あなた方がその記念として聖体拝領を行い、私の血の杯を飲む時はまだ到来していない。」とおっしゃられているのではないかと解釈できるからです。イエス・キリストが「神の国の到来を告げ知らせ悔い改めを述べ伝える」宣教活動の最初のところで、最後のところが暗示されているわけです。
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「聖ピオ司祭」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日9月23日は、聖ピオ司祭(以下、親しみを込めて「ピオ神父様」)の記念日です。本名は、フランチェスコ・フォルジョーネ(イタリア:1887年~1968年)です。南イタリアカンパニア州の農村ピエトレルチーナの貧しい農家の家庭に生まれ、7人兄弟の4番目として育ちました。信心深い母親の影響を受けて幼いころから神に一生をささげたいと望むようになり、15歳のときに修道会のカプチン会に入会し、教皇聖ピオ5世にちなんで、ピオという修道名を受けました。
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修道生活に励み1910年に司祭に叙階されました。彼は「聖痕(せいこん)」を受けた聖人として特に有名ですね。それは、1918年9月20日のミサ後に感謝の祈りをささげている時、宗教的法悦を経験されました。ピオ神父様の前に突然イエス・キリストが現れ、イエス様の手足には傷がありました。その示現が終わると、ピオ神父様の手や足の5箇所(両手、両足と脇腹)に聖痕が現れました。その後、生涯の50年にわたり体から決して消えることはなかったそうです。

ピオ神父様が聖痕を受けたという話しは多くの人に広がり、人々がたくさん彼のもとにやってきました。毎朝5時にささげるミサにはたくさんの人が集まり、時には一日に10時間も告解を聞いたそうです。告解をする人が詳しく話さなくても、ピオ神父様はその人がどのように生活しているかを知っていたということです。医師や心理学者によっては「人々の騙されやすさにつけ込んだ、無知で自傷癖のある精神病質者」と断定されたり、教皇ヨハネ23世には「大がかりなペテン」の罵られ、散々な目に遭いながらも激痛と出血に耐えながら信仰と司牧に生涯を捧げられました。

ピオ神父様は、聖痕の痛みとともに断食や徹夜の祈りの生活を送られましたが、ミサと聖体を大切にし、ロザリオを決して手から離すことはなかったそうです。多くの人がピオ神父様の取り次ぎによって、恵みや病のいやしを受けました。ピオ神父様のミサにあずかった人は熱心になり、興味本位で神父に会いに来た人も心を動かされたそうです。1968年9月23日、ロザリオを手にして、「イエス、マリア!」と唱えながら、平和のうちに生涯を終えられました。享年81歳でした。1999年に列福され、2002年にヨハネ・パウロⅡ世が没後34年という異例の早さで列聖されました。

【聖痕】
イエス・キリストが磔刑(たっけい:十字架の刑)となった際についたとされる傷跡のことです。傷は、釘で打たれた両手(計2箇所)と両足(計2箇所)、ロンギニスの槍で突かれた脇腹(1箇所)の合計5箇所です。また、何らかの科学的に説明できない力によって、信徒たちの身体に現れるとされる類似の傷のことをいいます。
新約聖書の「ガラテヤの人々への手紙」第6章・第17節において、聖パウロは聖痕を「イエスの焼印」と呼んでいます。聖痕としての傷は、両手、両足と脇腹だけでなく、キリストがかぶせられた荊冠(いばらの冠)に由来するとされる額の傷や、十字架を背負った際についたとされる背中の傷、血を含んだ涙や汗なども含まれます。

聖痕を得る際には、その前にキリストや聖母マリア、天使の姿を幻視したり、その声を聞いたりすると言われています。傷には出血や激しい痛みを伴い、傷口から芳香を発することがあるそうです。聖ピオ神父様の他に、アッシジの聖フランチェスコをはじめ、ドミニコ会のシエナの聖カタリナも聖痕があったことが知られています。
「聖痕現象」は、磔刑がキリストの図像として成立した13世紀から報告されており、とりわけ宗教的な法悦(恍惚)状態の女性に多く見られるそうですね。イエス・キリストの受難に対して極めて強い共感を抱いて自己同一化する精神状態との関連が指摘され、報告例には、調査の結果、自傷行為による捏造もあるとのことです。

【ロンギニスの槍】
ロンギニスの槍のことは、https://jesus195876.blog.so-net.ne.jp/2019-09-04 をご覧ください。
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相田みつをのことば(第6日目) [非キリスト者(ノンクリスチャン)]

「ともかく具体的に動いてごらん。具体的に動けば具体的な答えが出るから。」

相田みつをのことは、「相田みつをのことば(第1日目)2019.9.5」をご覧ください。
このお言葉のとおりです。まずはアクションを起こすことです!動かなければ(始めなければ)何も変わりませんし、得ることもできませんね。動けば動いただけの結果=成果はついてきます。まずは、アクションあるのみです!
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今日の日記(「ルミナス東京」のご紹介!) [日記]

今はお昼休みです。
愛娘の勤務している会社「ルミナス東京」のご紹介です!
スタッフ(社員)の皆さんお若いですね~………え?お一人だけ………社長です!(⌒-⌒; )
お嬢は一番右端にいます!足、長いですね~!
ルミナス東京2.jpg
「ルミナス東京」のホームページから
「花嫁の心を誰よりも知る、ホスピタリティあふれるスタッフ
写真にフォーカスしたウェディングを実現するうえで、私たちがいちばん大切にしているのがホスピタリティです。ルミナス東京は、単にウェディングの写真を撮影するスタジオではありません。結婚式の一つのかたちとしてのフォトウェディングだからこそ、花嫁の心に寄り添うホスピタリティを何より大切にしています。」

ホームページアドレスは、https://studio-luminous.com です。是非、ご覧になってください!
お嬢はフォトグラファーをやってます!大学4年間、芸術学科デザイン学課程で、映像分野の特にフォトグラフ関係の勉強をしてきたことが仕事に活かされていますね~。NHKで会社のことが放送された時に、カメラを持って仕事をしている様子がテレビに映りました!(*^▽^*)
下の写真は、ホームページから。
ルミナス東京.jpg
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教会日記2019.9.21(カトリック成城教会「平日のミサ」土曜日) [教会日記]

今日は、出勤前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城教会の7時からの平日のミサに与りました。今日は曇り空ですが、雨はどうでしょうか。でも涼しくなりそうですね。今朝も清々しい朝を迎えることができました!

6時50分から「お告げの祈り」をお祈りし、7時からのミサでは、「聖マタイ使徒福音記者」の記念日をお祝いしてお祈りしました。そして、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、同僚の病が癒されますように、同僚のお嬢さんの病が完治しますようにと心を込めてお祈りしました。
さぁ、これから仕事です!夜はホテルニューオータニで祝賀会です!
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「聖マタイ使徒福音記者」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日9月21日は、「聖マタイ使徒福音記者」の祝日です。聖マタイは、聖書に書いてあるとおり、カファルナウムの町でユダヤの徴税人として働いていました。当時の徴税人は、ローマ帝国の手先(代理人)となって同胞からお金を取る者(多く搾取する者)として、罪人(つみびと)とみなされ、同胞であるユダヤ人から嫌われていました。ある日、収税所の前を通られたイエス・キリストから「私に従いなさい」と声をかけられ、イエス・キリストの12使徒の一人となったのです。

聖書の3福音書(共観福音書)には、次のとおり書かれています。
◯新約聖書:マタイによる福音書・第9章・第9節
「イエスはさらに進み、マタイという人が収税所に座っているのをご覧になり、呼びかけられた。「わたしに従いなさい」。すると、彼は立ち上がってイエスに従った。」
◯新約聖書:マルコによる福音書・第2章・第14節
「そして、通りがかりに、アルファイの子レビが収税所に座っているのを見て、「わたしについて来なさい」と仰せになった。すると、彼は立ち上がって、イエスに従った。」
※聖句中にある「アルファイの子レビ」は聖マタイのこと。
◯新約聖書:ルカによる福音書・第5章・第27~第28節
「さて、その後、イエスはそこを出ていき、レビという徴税人が収税所に座っているのをご覧になり、「わたしに従いなさい」と仰せになった。すると、レビは一切を捨てて立ち上がり、イエスに従った。」
※聖句中にある「レビ」は聖マタイのこと。
【共観福音書(きょうかんふくいんしょ)】
新約聖書の4つの福音書のうち、ヨハネによる福音書を除くマタイによる福音書、マルコによる福音書、ルカによる福音書のことを指します。この3つ福音書には、共通する記述が多くあり、同じような表現もみられます。聖書学の研究の結果、本文を相互に比較し、一覧にした共観表(シノプシス)が作られたことから共観福音書と呼ぶようになりました。

福音記者である聖マタイは、福音書を当時のユダヤ社会で使われていたアラム語で著わし、旧約聖書に書かれた預言が、イエス・キリストにおいて実現されたと主張しました。そして、イエス・キリストが真の救い主、神であることを強調しています。特にイエス・キリストのお言葉を「山上の説教」として記しています。その後、聖マタイがどのような生涯を辿ったかは明らかではありませんが、一説によると、エチオピアまで福音宣教に行き、そこで殉教したと伝えられています。

この絵は、イタリアの有名な画家であるカラヴァッジョの「聖マタイの召命」です。ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(1571年~1610年)は、バロック期のイタリア人画家です。この絵の一番右端がイエス・キリストです。一番左端の人物を指さしていますね。そして一番左端の机に座って下を向いて金勘定をしいているのが聖マタイです。この絵は、誰が聖マタイであるのか?昔から議論されてきたという経緯があります。従来は、テーブルの真ん中に座ってイエス・キリストを見ているヒゲを蓄えた人が聖マタイであるという説が定説となっていましたが、近年では、その人物が一番左端の下を向いて金勘定をしている人を指さしていることから、聖マタイは、この絵の一番左端の人というのが有力な説となっています。
聖マタイの召命.jpg
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教会日記2019.9.20(カトリック田園調布教会「平日のミサ」金曜日) [教会日記]

今はお昼休みです。
今朝は、カトリック田園調布教会の7時からの平日のミサに与りました。田園調布教会での早朝ミサは、8月17日(土)から6週連続の訪問となります。毎週土曜日にお伺いさせていただいていたのですが、明日の土曜日は、仕事の関係で早く出勤しなけれはならず、今日になりました。田園調布教会は、ミサの前に「聖務日課」のお祈りを行っており、今一つ祈り方のわからない私には、一緒にお祈りさせていただいて大変勉強になっています。

ミサでは、「聖アンデレ金と同志殉教者」の記念日をお祈りしました。そして、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、同僚の病が癒されますように、同僚のお嬢さんの病が完治しますようにと心を込めてお祈りしました。

そして、今日はフランシスコ教皇訪日に際して行われる「教皇ミサ・イン・東京(東京ドーム)」の応募申込み受付開始日(午前11時から)です。先ほどカトリック中央協議会ホームページの特設サイトで申込みをしました。先着順ではありませんので、定員をオーバーした時は抽選となります。応募締切は10月15日です。結果はまだ先ですね~。
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