新約聖書:コロサイの人々への手紙・第3章・第8〜第16節 [聖書]

「しかし、今はもう、これらすべてのこと、すなわち怒り、憤り、悪意を捨て去り、ののしりや顔を赤らめるような言葉を口にしてはなりません。互いに欺いてはなりません。あなた方は古い人とその行いを脱ぎ捨て、深い知識へ進むようにと、創造主の姿にかたどって絶えず新しくされる新しい人を身にまとっているのです。そこにはもはやギリシア人もユダヤ人も、割礼を受けた者も受けていない者もなく、未開人とスキタイ人、奴隷と自由の身の区別もありません。キリストこそがすべてであり、すべてのもののうちにおられるのです。
ですから、あなた方は神に選ばれた者、愛されててる者として、思いやりの心、親切、へりくだり、優しさ、広い心を身にまといなさい。互いに耐え忍び、誰かに不満があったとしても、互いに心から赦し合いなさい。主があなた方を心から赦してくださったように、あなた方もそうしなさい。これらすべてのことの上に愛をまといなさい。愛は完全さをもたらす帯です。そして、キリストの平和にあなた方の心を支配させなさい。あなた方が一つの体に結ばれる者として招かれたのも、この平和のためなのです。そうして、感謝の人になりなさい。キリストの言葉をあなた方のうちに豊かに宿らせなさい。」

久しぶりに「コロサイの人々への手紙」です。この手紙は、フリギア地方の古代都市コロサイにいるキリスト教の信徒達の共同体に送った手紙です。この地方に間違った教えが広まりつつあったことに対する、誤った教えを論破するために書かれました。使徒パウロの死後に書かれたものです。キリスト教の信徒ではない方でも理解しやすい内容であると思います。

すべての罪の表れである怒り、憤り、悪意を捨て去り、罵り(ののしり)や顔を赤らめるような言葉と決別して、主イエス・キリストの教えに従って、人間の差別なくすべての人に思いやりの心、親切、へりくだり、優しさ、広い心を身に着けるよう説いています。人間として大切なのは「思いやりの心」です。人に対する思いやりの心や優しさを持つことです。

そして、イエス・キリストの最も重要な教えである「愛」と「赦し」です。愛を身にまとう人になること=愛のある人になりなさい、人を赦すことのできる人になりなさいと説いておられます。そして、「平和」です。平和を享受する人ではなく、自分を平和に支配させ、平和を生む人=平和を作る人になりなさいと説いておられます。愛と赦しによる平和です。

【顔を赤らめるような言葉】
「エッチな言葉」ということですね。エッチ (H)とは、性的にいやらしい様(性的に露骨なこと)又はそういう人を指す日本語の俗語です。エッチ(H)は、Hentai(変態)の頭文字からです。
(⌒-⌒; )
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今日の日記2019.9.19(りんごのパン) [日記]

自宅の最寄りの駅のJR横浜線相原駅では、時折、駅構内で「パンの木」という名前のパン屋さんがお店を出しています(通常は相原町内のお店で営業)。「パンの木」は、来週9月23日(月)に日本テレビの朝の情報番組「Z I P!」で放送されるそうです!
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昨夜、仕事帰りにこのお店で売られている「りんごのパン」を買い求め、野菜ジュースとともに今朝の朝食にしました。りんご丸ごと1個入っています。美味しかった~!
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りんごの芯の部分にはクリームがあります。とっても美味しいですよ!
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◯「パンの木」
有限会社パンの木
住所:東京都町田市相原町1667-3
営業:午前6時~午後6時
電話:042-774-7858
定休:月曜日
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『公教會祈禱文』のお祈り [祈り]

今日は、『公教會祈禱文(こうきょうかい きとうぶん)』のご紹介です。「公教會(公教会)」とは、カトリック教会のことで、「祈禱文(祈祷文)」とは、お祈り(祈祷)の言葉ということです。現在出版するなら、名称は「カトリック教会お祈り集」となりますね。写真のとおり、随分と古いのですが、昭和24年6月10日発行(初版)となっています。戦後まもなくで、まだ物資の乏しい時代に印刷・製本されたものですから、すべて紙製です。編集者は「天主公教々聯盟(天主公教教区連盟)」です。天主公教(会)とは、カトリック教会のことで、これはカトリック教会の教区の連盟ですね。大きさは縦12.5㎝、横9㎝、厚さ2㎝です。非売品となっています。
文庫本よりも小さいですね。
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ガリ版刷りのような印刷です(⌒-⌒; )
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この中の祈祷文をご紹介しましょう。もちろん文語体です。文語は力強いですね~!それに格調高いです。たくさんある祈祷文の中から、自戒を込めて私にピッタリの痛悔の祈りを選びました(⌒-⌒; )
◯痛悔の祈り
「ああ天主、
われ、主の限りなくきらい給う罪をもって、
限りなく愛すべき御父(おんちち)に背きしを深く悔やみ奉る。
御子(おんこ)イエズス・キリストの流し給える、
御血(おんち)の功徳によりて、
わが罪を赦し給え。
聖寵(せいちょう)の助けをもって今より心を改め、
再び罪を犯して、
御心(みこころ)に背くことあるまじと決心奉る。
アーメン」

【聖寵】
イエス・キリストの十字架上の死による、神の人間に対する救いの業をはじめ、神から無償で与えられる超自然の恵みのことをいいいます。
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教会日記2019.9.18(カトリック成城教会「平日のミサ」水曜日) [教会日記]

今日は、出勤前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城教会の7時からの平日のミサに与りました。一時は涼しくなったのですが、この数日はまた暑くなりました~( ̄◇ ̄;) でも、 私は今日も清々しい朝を迎えています!

6時50分から「お告げの祈り」をお祈りし、7時からのミサでは、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、同僚の病が癒されますように、同僚のお嬢さんの病が完治しますようにと心を込めてお祈りしました。
さぁ、これから仕事です!
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相田みつをのことば(第5日目) [非キリスト者(ノンクリスチャン)]

「他人のものさし、自分のものさし、それぞれ寸法がちがうんだな。」

相田みつをのことは、「相田みつをのことば(第1日目)2019.9.5」をご覧ください。
人や物を見る目(物差し)は、人によって違いがあります。それは、生まれた場所も育った環境も性格も違うわけで、寸法は人それぞれなのですから。自分や他人を比較したり、評価した結果に一喜一憂する必要はありません。それぞれ人や物を見る目(物差し)は違うのです。また、人の物差しに合わせることも時には必要となりますが、人と同じ物差しになることはありません。自分らしさを大切にしたいですね。
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「いちじく」のお話し [聖書]

昨日は、妻が買ってきたいちじくを食べました。いちじくは漢字で「無花果」と書きますが、花がないわけではなく、実の中に小さな花をつけるため、外からは確認できないのです。果実を半分に切ると赤いつぶつぶがたくさんつまっていますが、それが花なのですね。分類はクワ科イチジク属で、原産地はアラビア半島南部、地中海沿岸地方です。日本では、5月ごろから11月くらいまでがシーズンです。ちなみに、いちじくという名前の由来は、毎日1つずつ熟すことから「一熟」→「いちじく」になったという説や、ひと月で実が熟すため「一熟」→「いちじるく」という説もあります。また呼び名としては南蛮柿(なんばんがき)、唐柿(とうがき)と呼ばれることもあります。
愛知県産のいちじくです。美味しい!ものすごく甘かったー!
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いちじくは、古代エジプトの壁画にもブドウと共に描かれており、さらには、聖書にも数多く登場する歴史ある果物なのです。あの旧約聖書の創世記に登場するアダムとイブが、裸を隠すのに使ったのもいちじくの葉でした!ご存知でしたか?(⌒-⌒; ) 新約聖書には「実のならないいちじくの木のたとえ」として、いちじくが登場しますね。はるか昔にアラビア半島で誕生したいちじくは、少なくとも6000年前には栽培が始まっていたといわれています。その後ヨーロッパからペルシャ、中国へと伝わり、日本へは江戸時代に中国から長崎に運ばれました。当初は薬用として栽培されていましたが、生産量が増えるにつれ食用として親しまれるようになったそうです。美味しい!\(^◇^)/

ところで、このいちじくが、次のとおり新約聖書に「実のならないいちじくの木のたとえ」として登場します。では、ご紹介しましょう!
◯新約聖書:ルカによる福音書・第13章・第6〜第9節
「そして、イエスは次の喩えを語られた、「ある人が、自分のぶどう園にいちじくの木を植えておいた。ある日、その実を探しにいったが、一つも見つからなかった。そこで、ぶどう園の番人に言った。『三年このかた、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、一つも見つけたことがない。切り倒しなさい。なぜ、土地を無駄に使っているのか』。すると、番人は答えた、『ご主人さま、今年もう一年、このままにしておいてください。木の周りを掘って、肥料をやってみます。そうすれば、来年は実を結ぶでしょう。もしそれでもだめなら、切り倒してください』」

ぶどう園の持ち主が、ぶどう園にいちじくの木を植えていました。ぶどう園の持主(農夫)にとっては、普通の行為であって珍しいことではありません。いちじくの木は根を広く張りますので、実がならなければ、その木が占めている土地は無駄になってしまうのです。そのため、切り倒して他の実のなる木を植えることは理にかなったことです。この喩え話しは「実のならないこのいちじくの木を切り倒すことをもう少し待ってほしいという番人の願い」が聖句のポイントとなっています。喩え話しに出てくるほど、いちじくは当時から一般的だったのですね。この喩え話しの教えは次のとおりです。

イエス・キリストは、悔い改めない当時のユダヤ人への非難として、この喩え話しを語っておられます。「実のならないいちじく」とは、神様の教えを守らずに背信し続けたイスラエルの民、つまり当時のユダヤ人を表しており、「実り」とは、悔い改め、隣人への愛、赦しのある行為のことを指しています。そして、「番人の願い」とは、忍耐と愛を持って実りを切望する神様の願いを表しています。また、ぶどう園の持ち主が父である神様だとすれば、ぶどう園は神様が造った世界を表しており、「番人」とはイエス・キリスト自身を表していますね。喩え話しに登場する人や物には意味があるのです。

実を実らせないという、神の教えを守らず背信しているイスラエルの民(当時のユダヤ人)を救うために、父である神様によって地上に降誕されたイエス・キリストは、逆に救おうとしたイスラエルの民(当時のユダヤ人)によって十字架に付けられて殺されてしまうのです。それは、すべての人々の罪を背負われてお亡くなりになったイエス・キリストの贖罪が、悔い改めた新しい民となり、いちじくの木に豊かな実がつく=悔い改め、隣人への愛、赦しのある行為を神様は忍耐を持って切望しているのですね。この喩え話しは、そのような神様の恵みと裁きの両方の意味をもって私たちに教えているのです。

この喩え話しによる教えは、昔のイスラエルの民(当時のユダヤ人)だけの昔話しではありません。現在を生きる私たちに与えられた教えでもあります。私たちは、いつも罪を犯してしまいます。でも、その度に何度でも繰り返し立ち直って、神様の恵みにふさわしい実を実らせる生活をしなければなりません。神様の恵みにふさわしい実を実らせることのできない者は、この聖句にあるとおり「もしそれでもだめなら、切り倒してください」となります。つまり、地獄行き!という言い方はどうかな?と思いますが、天の国で神様の食卓に与るという報いを受けることはできないということですね(⌒-⌒; )

【贖罪(しょくざい)】
広い意味では神の救済,償い,和解,ゆるしと同義ですが,イエス・キリストの生と死と復活を通じての神の恩恵として実現される人間の罪からの解放と、これによってもたらされる神との交わりの回復をいいます。
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教会日記2019.9.16(カトリック相模原教会「平日のミサ」月曜日) [教会日記]

今日は、大学は月曜日の授業日数が少ないため授業日となっています。したがって、事務組織の各部課も業務をやっています。でも、私は、出勤すると平日は取りにくい振替休日を取らなけばならないのでお休みにしました。しかし、明日の仕事で片付けておくべき用件があるので、お休みのまま出勤しょうとしたら、駅の雨に濡れたスベスベの床に痛めている膝のある方の足をとられ、またまた関節の靭帯を伸ばしてしまいました!( ̄◇ ̄;) 何回もやってますが、正直痛いです(T_T) そこで、予定を変更し、電車を途中下車してカトリック相模原教会の8時からの平日のミサに与って、養生のため帰ることにしました(⌒-⌒; )

8時からのミサでは、聖コルネリオ教皇と聖チプリアノ司教殉教者の記念日をお祝いしてお祈りしました。そして、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、同僚の病が癒されますように、同僚のお嬢さんの病が完治しますようにと心を込めてお祈りしました。
さぁ、これから自宅に帰り、一日中おとなしくしています(⌒-⌒; )
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「四つ葉のクローバー」のお話し [日記]

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このブログの2016年10月12日に掲載した記事を全面的に加筆・修正して掲載いたします。
一般的に、日本で「クローバー」と呼ばれている植物は、「ジャジクソウ(属)」のことで、「シロツメクサ」と呼ばれていますね。クローバーの葉は、普通は3枚ですが、4枚あるものは珍しく、その葉脈の筋が十字架の形に見えることから、4枚葉のクローバーは幸せの象徴だと言われています………これは、アイルランドにキリスト教を伝えた聖パトリック司教に由来しています。聖パトリック司教は三つ葉は「三位一体の神」又は「信仰、希望、愛」を表し、四つ葉を「キリストの十字架」を思い起こさせるものとして教えたそうです。そういうこともあって、シロツメクサはアイルランドの国花になっており、聖パトリック司教はアイルランドの守護聖人となっています。聖パトリック司教の詳しいことは、https://jesus195876.blog.so-net.ne.jp/2017-03-11をご覧ください。

ちなみにアメリカでは、この4枚の葉っぱに次の意味があるそうです。なんとなくアメリカならではといった感じがします。1枚目 Wealth <富>、2枚目 Fame  <名声>、3枚目 Faithful Love <満ちた愛情>、4枚目 Glorious Health <素晴らしく健康>、となっています。4枚の葉にそれぞれにこんな言葉・意味があるのですね。そしてその全てを合わせて 「True Love“真の愛”」という意味があるそうです。
現在の住まい(町田市相原町)に引っ越してきて、妻が庭にシロツメクサのタネを蒔いたら、瞬く間に生え広がりました。もう12年になりますが、たまに四葉のクローバーを探します。それが意外と見つかるのです。20回以上は見つけていますかね〜。なんか珍しくもないような感じがしますが………いけないですね、見つけた時は感謝しなければ(⌒-⌒; )
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今日の日記2019.9.15(亡き母の17回忌) [日記]

今日は、亡き母の17回忌で、故郷の三重県四日市市に行ってきました。平成15年10月1日が命日です。昭和4年生まれ、享年74歳でした。生きていれば今年で90歳になりますね………学生時代、帰省して東京に戻る時、駅に向かう私を姿が見えなくなるまで手を振って見送ってくれた優しい母でした。
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相田みつをのことば(第4日目) [非キリスト者(ノンクリスチャン)]

「美しいものを美しいと思える、あなたの心が美しい。」

相田みつをのことは、「相田みつをのことば(第1日目)2019.9.5」をご覧ください。
ありのままの姿を自然に素直に見つめることができれば、その人の心は美しいのです。そのような心を持つことができれば、自分の心も美しくなれるというこです。美しさは、物理的なものだけではないということですね。心も美しさの対象になります。見た目の視覚的な美しさではなく、心的に美しい人になりたいものです。
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