教会日記2019.7.22(カトリック麹町・聖イグナチオ教会「平日のミサ」月曜日) [教会日記]

今日は、仕事が終わってから都心に用事があり、時間があったものですから四ツ谷にあるカトリック麹町・聖イグナチオ教会の18時からのミサに与りました。
夕刻18時のアンジェラスの鐘が響き渡る中、「ロヨラの聖イグナチオの取り次ぎを願う9日間の祈り」をお祈りし、ミサでは、「マグダラの聖マリア」の祝日を祝いしてお祈りを捧げました。そして、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の神よ、
御名(みな)讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、妻の母親の病が癒やされますように、同僚の病が癒されますように、お二人の心に平安が訪れますように、そして、同僚のお嬢さんの病気が治りますようにと、心を込めてお祈りしてきました。

私の大好きなスペイン出身の画家エル・グレコの「悔悛するマグダラのマリア」です。グレコはマグダラのマリアを複数枚描いています。エル・グレコの作品に限らず、マグダラのマリアを主題とした宗教画では、アトリビュートとして頭蓋骨・どくろ・が描かれることが多いですね。結わずに長くのばされた髪、若干露出が高めの肌の描写が多く、元娼婦という伝説上の固定観念が若干色濃く反映されているようにも見えます。なお、マグダラのマリアの長い髪については、フランスの洞窟で隠者として苦行をしていた頃に、服をまとわず髪を伸ばして毛皮のように体をおおっていたという伝説が元となっているそうです。
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【マグダラの聖マリアの祝日こと】
(ブログ掲載文献表示:「女子パウロ会ホームページ」から引用、一部加筆・修正)
エルサレムの裕福な家に生まれ、幼くして両親を失い、兄のラザロと姉のマルタといっしょに暮らしていたといわれています。自由奔放な生活をし、やがて7つの悪霊につかれて苦しみ、人々から「罪の女」というレッテルをつけられて疎まれるようになりました。その時に、イエス・キリストと出会い、悪霊からも解放され、真の愛を知って回心して徹底して信仰の道を歩みました。復活したイエスが最初に現われたのは、このマリアであり、彼女が他の弟子たちにイエスの復活を告げました。その後は、使徒たちの宣教活動を助けて、イエス昇天後、兄弟ラザロ、マルタ (マリアの姉) らとともに南仏マルセイユ(あるいはサント=マリー=ド=ラ=メール)に着き、晩年はサント=ボームの洞窟で隠士生活を送った後にその一生を終え、遺骸はいったんエクス=アン=プロヴァンス郊外のサン=マクシマン=ラ=サント=ボームに葬られたと信じられていました。ヴェズレーのサント=マドレーヌ大聖堂はその遺骸(頭蓋骨)を移葬したものと主張しています。しかし、サン=マクシマン側は今も遺骸を保持していると主張しており、一部はパリのマドレーヌ寺院にも分骨されているそうです。

◯新約聖書:ヨハネによる福音書・第20章・第1~2節、第11~18節
「週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」
マリアは墓の外に立って泣いていた。泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っていた。天使たちが、「婦人よ、なぜ泣いているのか」と言うと、マリアは言った。「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません。」こう言いながら後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。しかし、それがイエスだとは分からなかった。イエスは言われた。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」 マリアは、園丁だと思って言った。 「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。」イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。イエスは言われた。「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。 わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの父であり、あなたがたの父である方、 また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と。」 マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、「わたしは主を見ました」と告げ、また、主から言われたことを伝えた。」

【アトリビュート】
西洋絵画、特に宗教画(キリスト教絵画)には、「アトリビュート(=持物:じぶつ)」というものがあります。これは、絵を描く時の“約束事”として、特定の人物(聖人など)に密接に結びつけられたもの、例えば花、動物、小物、道具や背景などが画かれるのです。「聖母マリア様」は、その名を讃える名称として「マリア・ステラ(Maria Stella)=海の星」が古くから使われていますが、その海の星から来る青い海のイメージから、①青色(濃紺色)のマントや聖母マリア様の象徴である②百合の花がアトリビュートとなっています。また、皆さんよくご存知の「正義の女神」は、手に持った①秤と②剣、それに③目隠しがアトリビュートです。ヨーロッパの街中にある銅像として見かけますね。
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職場のデスク:その113(かぶせ茶) [職場のデスク&カウンター]

今日から、職場で飲むお茶は「かぶせ茶」となります。もちろん生産日本一の三重県四日市市水沢町山産です。先週まで伊勢茶の新茶を飲んでいたのですが、丁度なくなったころに注文していた「かぶせ茶」が届きました。
銅製の茶筒に入れた「かぶせ茶」です。お茶のいい匂いがします。
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【かぶせ茶(冠茶)】
「煎茶(せんちゃ)」に属し、製造方法は煎茶や玉露と基本的には同じですが、栽培方法に違いがあります、かぶせ茶は、玉露や碾茶と同じく寒冷紗(黒い合成繊維ビニロン糸、テトロン糸や高強力ポリエステル糸などを遣って布状にしたもの)や藁などの遮光幕で茶の木を覆う覆下法によって栽培され、20日ほど遮光する玉露や30日ほどの碾茶と違い、かぶせ茶の遮光期間は摘む前の一週間前後、多くは3日から10日ほどです。また、玉露や碾茶が大きな遮光幕を茶園全体にさしかける方式であるのに対し、かぶせ茶は茶の木そのものに直接遮光幕をかけます。この遮光幕を直接木にかぶせる栽培方法が、「かぶせ茶」という名の由来です。
風味味は、煎茶のさわやかさと玉露の旨みを併せ持ち、淹れ方によってやや味が異なり、熱めの湯で抽出時間が短いほど煎茶よりのさわやかな味に、ぬるめの湯で抽出時間が長いほど玉露よりの旨み中心の味になります。抽出方法は、私の場合、湯の温度は約60度、煎出時間は2分程度としています。これが一番美味しい煎れ方です。
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レオナルド・ダ・ヴィンチのことば(第1日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「シンプルさは究極の洗練である。」

レオナルド・ダ・ヴィンチ (イタリア:1452年~1519年・ユリウス暦)は、キリスト教カトリックのクリスチャンで、イタリアのルネサンス期を代表する芸術家です。正式名称のフルネームは、レオナルド・ディ・セル・ピエーロ・ダ・ヴィンチと言います。

絵画、彫刻、建築、音楽、科学、数学、工学、発明、解剖学、地学、地誌学、植物学など様々な分野に顕著な業績を残し、“ダヴィンチ”の名で親しまれています。
ダ・ヴィンチは、ルネサンス期を代表する芸術家であり、「飽くなき探究心」と「尽きることのない独創性」を兼ね備えた人物として傑出した存在です。絵画作品中もっとも有名なのは肖像画の『モナ・リザ』と最も多くの複製画や模写が描かれたサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の壁画である宗教画『最後の晩餐』ですね。他にも『岩窟の聖母』、『受胎告知』など、有名な作品が数多くあります。皆さんも一度は見たことがあると思います。また、ドローイングの『ウィトルウィウス的人体図』も有名ですね。 まぁ、ハンググライダーやヘリコプターのような飛行器具も考案していますから画家というよりは“芸術的発明家”といったほうがいいのでしょうね。とにかく超博学な人でした。

なんと的を得た、これこそシンプルな言葉ではないでしょうか。シンプルさが、“究極の洗練”というところがいいですね。【洗練(せんれん)】とは、優雅・高価なものにすること。と辞書にはあります。この言葉の中には“無駄がない”ということも隠されていて、これがシンプルさに繋がっているのでしょうね。Simple is the best ダ・ヴィンチの芸術を表してるような言葉です。
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