2019年6月の訪問教会記録 [訪問教会・支援活動記録]

今年の6月は、30日間ある中の20日間(66.6%)、7つの教会に25回訪問し、25回ミサに与り25回ご聖体を拝領させていただきました。先月の5月に引き続き半月以上もミサに与ることができました。今月も感謝、感謝です!

1日(土)町田教会:主日のミサ・18時30分から
2日(日)………
3日(月)麹町・聖イグナチオ教会:平日のミサ・18時から
4日(火)松原教会:平日のミサ・7時から
5日(水)松原教会②:平日のミサ・7時から
6日(木)………
7日(金)麹町・聖イグナチオ教会②:平日のミサ・18時から、初金の祈りの集い・19時から
8日(土)成城教会:平日のミサ・7時から
  〃  成城教会②:聖霊降臨の主日のミサ・18時から
9日(日)………
10日(月)成城教会③:平日のミサ・7時から
11日(火)………
12日(水)松原教会③:平日のミサ・7時から
13日(木)成城教会④:平日のミサ・7時から
  〃   麹町・聖イグナチオ教会③:平日のミサ・18時から
14日(金)成城教会⑤・平日のミサ・7時から
15日(土)成城教会⑥:平日のミサ・7時から
  〃   神奈川県横浜市・藤が丘教会:三位一体の主日のミサ・17時から
16日(日)………
17日(月)………
18日(火)成城教会⑦:平日のミサ・7時から
19日(水)成城教会⑧:平日のミサ・7時から
20日(木)成城教会⑨:平日のミサ・7時から
  〃  麹町・聖イグナチオ教会④・平日のミサ・18時から
21日(金)成城教会⑩:平日のミサ・7時から
22日(土)田園調布教会:キリストの聖体の主日のミサ・19時から
23日(日)………
24日(月)………
25日(火)………
26日(水)成城教会⑩:平日のミサ・7時から
27日(木)麹町・聖イグナチオ教会⑤・平日のミサ・7時から
28日(金)成城教会⑪:平日のミサ・7時から
29日(土)麹町・聖イグナチオ教会⑥:平日のミサ・7時から
  〃  町田教会②:主日のミサ・18時30分から
30日(日)………
以上です。
nice!(0)  コメント(0) 

星野富弘のことば(第4日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「辛いという字がある。
もう少しで幸せになれそうな字である。」

星野富弘さんのことは、「星野富弘のことば(第1日目)2019.6.26」をご覧ください。
星野さんは、頸髄損傷の重傷を負い、肩から下の機能が麻痺してしまいましたが、その後、9年間におよぶ入院生活に耐えて、口にくわえた筆で水彩画、ペン画を描き始め、後に詩を添えるようになり、退院後、故郷に帰って創作活動を続けていらっしゃいます。私ごときが理解できるような苦悩、苦労ではありません。それを星野さんは、私のような凡人の考え方はしないのです。今日の言葉のように、すべてがプラス思考なのです。星野さんならではの言葉だと思います。
確かに、「辛」に一画を足せば「幸」という字になりますね。辛くても、あともう少し頑張れば幸せになれる気がします。いや、必ず幸せななれます!
nice!(0)  コメント(0) 

教会日記その二2019.6.29(カトリック町田教会「主日のミサ」土曜日) [教会日記]

今日は有給休暇でお休みですが、職場の大学外部団体の役員会と定時総会のため、職場に出かけておりました。すべてが終わってから、私が所属するカトリック町田教会で18時30分からの主日のミサに与ってきました。町田教会は、6月1日(土)以来となります。
ミサでは、第2朗読「使徒パウロのガラテヤの教会への手紙」を朗読しました。聖書朗読は久しぶりでしたね。そして、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の神よ、
御名(みな)讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、妻の母親の病が癒やされますように、同僚の病が癒されますように、お二人の心に平安が訪れますようにと、心を込めてお祈りしてきました。
nice!(0)  コメント(0) 

教会日記2019.6.29(カトリック麹町・聖イグナチオ教会「聖ペトロ・聖パウロ使徒・平日のミサ」土曜日) [教会日記]

今日は有給休暇でお休みですが、職場の大学外部団体の役員会と定時総会のため、出勤?ではないのですが、職場に出かけます(⌒-⌒; )その前に、一昨日に引き続き四ッ谷にあるカトリック麹町・聖イグナチオ教会の平日のミサに与りました。都心にある教会ですが、土日の場合はいつもより30分遅く起きてミサの時間に間に合います。雨天ですが、今朝も清々しい朝を迎えています!

7時のアンジェラスの鐘が響き渡る中、「お告げの祈り」をお祈りし、7時からのミサでは、今日の「聖ペトロ・聖パウロ使徒」の祭日をお祝いしてお祈りを捧げました。そして、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の神よ、
御名(みな)讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、妻の母親の病が癒やされますように、同僚の病が癒されますように、お二人の心に平安が訪れますようにと、心を込めてお祈りしてきました。
さぁ、今から仕事………じゃなくて、カフェでモーニングです!余裕です!

さて、今日は「聖ペトロ・聖パウロ使徒」の祭日です。聖ペトロは、ゲネサレト湖畔のベトサイダの貧しい漁師の子として生まれ、弟アンドレと共に漁をしながら信心深い生活を送っていたそうです。聖ペトロは、漁をしているとき、イエス・キリストから「人をすなどる者にしよう」と言われ、イエス・キリストに従いました。彼の名は、初めはシモンでしたが、イエス・キリストが「岩」を意味する「ペトロ」という名前をつけられました。聖書にあるとおり、イエス・キリストから「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなくことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる」(マタイによる福音書・第16章・第18〜第19節)と約束されました。復活されたイエス・キリストから「わたしの羊を飼いなさい」と言われ、カトリック教会の礎を築きました。ローマ教会の司教を務め、後に、ローマの司教は全教会の司教団の教皇として、聖ペトロの使命を受け継いでいくことになりました。
次の絵は、エル・グレコ(1541年10月~1614年4月7日)作の「聖ペトロと聖パウロ」です。グレコは、ギリシャ出身のスペイン画壇の巨匠で、私の大好きな画家です。
聖ペトロと聖パウロ.jpg
聖パウロは、キリストの時代に、小アジアのタルソに生まれ、使徒になる前はサウロと呼ばれていました。ユダヤの律法や母国語以外に、ギリシャ語などを学んでいました。エルサレムで当時有名だった律法学者のガマリエルから学び、生粋のファリサイ派となりました。そしてサウロは、イエスの新しい教えに反対して徹底的にキリスト教徒を迫害しました。ある日、キリスト教徒を捕らえるためにダマスコに向かう途中に、突然天から「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」というイエス・キリストの声を聞き、地面に倒れました。この復活したイエス・キリストとの出会いによって、サウロは回心し、「イエス・キリストこそ神の子である」と熱心に宣べ伝え始めました。アンティオキアで宣教して、そこに初めて教会を建てました。そのころから、サウロは、パウロと呼ばれるようになりました。聖パウロは、宣教旅行に3回出かけ、小アジア、ギリシャ、ローマ、コリント、アテネに福音を伝えました。また、多くの難に遭いながらも、ゆらぐことのない信仰によって、イエス・キリストの愛を伝えるため宣教活動に力を注ぎました。聖ペトロが殉教したのと同じころ、ネロ皇帝の迫害時代に、ローマで捕えられて殉教しました。パウロはイスラエル以外の新しい地の人々に宣教したことから、「異邦人の使徒」と呼ばれています。新約聖書中にある彼の書いた書簡は、イエス・キリストの教えが、いかに素晴らしいものであるかを私たちに伝えています。
以上です。
nice!(0)  コメント(0) 

星野富弘のことば(第3日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「『人生が二度あれば』とは、
今の人生を諦めてしまうから
出てくる言葉です。
今を精一杯生きられないで、
どうして次の人生を
しっかり生きられるでしょう。」

星野富弘さんのことは、「星野富弘のことば(第1日目)2019.6.26」をご覧ください。
今を頑張れない人が、次に頑張ろうと思っても無理なことです。星野さんのおっしゃるとおりですね。
昨年60歳となって還暦を迎え、定年退職まであと5年となりました。「二度人生があれば………。」と思ったことは度々あまります。まだ若い!と思っていたのは、いつの間にか過去のことになってしまいました。歳をとったからでしょうか?一日一日を信仰にしたがった生き方をしようと、意識して生活するようになりました。素敵な人との出会いがあって、素敵な経験をすることができ、素敵な言葉に巡り会えて幸せであることを実感しています。毎日毎日このブログを書き続け、自然にそう思うようになりました。(*^▽^*)
nice!(0)  コメント(0) 

教会日記2019.6.28(カトリック成城教会「イエスの御心(みこころ)・平日のミサ」金曜日) [教会日記]

今日は、出勤前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、一昨日に引き続きカトリック成城教会の7時からの平日のミサに与りました。雨は降っていませんが、すでに蒸し暑くなっています(; ̄O ̄)でも、私は清々しい朝を迎えています!

6時50分から「お告げの祈り」をお祈りし、7時からのミサでは、今日の「イエスの御心(みこころ)」の祭日を祝いお祈りを捧げました。そして、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の神よ、
御名(みな)讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、妻の母親の病が癒やされますように、同僚の病が癒されますように、お二人の心に平安が訪れますようにと、心を込めてお祈りしてきました。

ところで、今日は「イエスの御心(みこころ)」の祭日です。イエスの御心は、全人類に対する神の愛の象徴としてイエスの心臓を表し、その信心はイエスのみ心に表される神の愛を思い起こし、その無限の愛のしるしであるみ心をたたえるものとして中世に始りました。特に聖マルガリタ・マリア・アラコック(1647〜90)が、御心の信心についての啓示を受け、17世紀にフランスで広まりました。1675年6月16日、この聖女はご聖体を前にして、イエスの愛にこたえたいという思いに駆られました。そのときイエスは、愛情に燃えている御心を示して、人々の間に存在する冷淡な心を嘆かれ、イエス自身の愛に倣ってその心を尊ぶことを勧められました。
イエスのみ心2.jpg
また、このようなイエスの出現が数回にも及び、ご聖体の祝日(キリストの聖体)後の金曜日を御心を礼拝する特別な祝日として定めるようにとのお告げにより、御心の信心の内容と形式が明確にされるようになりました。そして1856年に教皇ピオ9世によって、イエスの御心の祭日がご聖体の祝日後の金曜日に全世界で祝うことが定められました。ご聖体と御心の主日がおおよそ6月に祝われるというこのような歴史からして、次第に6月が「イエスの御心の月」と自然に浸透して制定されてきたことは十分に考えられます。(このブログの2018年6月8日に掲載・「カトリック中央協議会のホームページ」から転載)
nice!(1)  コメント(0) 

星野富弘のことば(第2日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「よろこびが集まったよりも
悲しみが集まった方が
しあわせに近いような気がする。
強いものが集まったよりも
弱いものが集まった方が
真実に近いような気がする。
しあわせが集まったよりも
ふしあわせが集まった方が
愛に近いような気がする。」

星野富弘さんのことは、「星野富弘のことば(第1日目)2019.6.26をご覧ください。
①喜びの集合<悲しみの集合=幸せに近い、②強い者の集合<弱い者の集合=真実に近い、③幸せの集合<不幸せの集合=愛に近いという図式ですね。この3つの図式に共通することは、悲しみも、弱さも、不幸も、いわゆる「負」の部分が大きければ大きいほど、すべては神様により近くなるということです。この悲しい者、弱い者、不幸せな者、この人々を救うために、この世にイエス・キリストは来られたのですから。
nice!(0)  コメント(0) 

教会日記2019.6.27(カトリック麹町・聖イグナチオ教会「平日のミサ」木曜日) [教会日記]

今日は、午前中に近郊出張で都心に直行するため、その前に四ッ谷にあるカトリック麹町・聖イグナチオ教会の平日のミサに与りました。都心にある教会ですが、いつもより20分遅く起きてミサの時間に間に合います。自宅の玄関から最寄りのJR相原駅まで徒歩3分、JR相原駅からJR八王子駅まで9分、JR八王子駅からJR四ツ谷駅まで通勤特快で42分です。今日も晴れてますが、今夜から雨になるようです。今朝も清々しい朝を迎えています!

7時のアンジェラスの鐘が響き渡る中、「お告げの祈り」をお祈りし、7時からのミサでは、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の神よ、
御名(みな)讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、妻の母親の病が癒やされますように、同僚の病が癒されますように、お二人の心に平安が訪れますようにと、心を込めてお祈りしてきました。
さぁ、今から近郊出張です!
nice!(0)  コメント(0) 

『我主イエズスキリストの新約聖書』のご紹介 [聖書]

カトリック教会における文語訳聖書の定番聖書!
『主イエズスキリストの新約聖書』は、パリ外国宣教会の宣教師エミール・ラゲによって訳され、明治43年に発行された文語体の日本語訳聖書です。通称は「ラゲ訳」。当時の東京大司教の出版認可を受けています。ラテン語訳聖書のヴルガータ訳をもとに訳されたもので、カトリック教会の伝統に従って、細かい注釈がついています。当時の天主公教会(カトリック教会)において、戦後も口語訳聖書が発行されるまで暫く用いられました。発行当時は、プロテスタント教会からも評価されました。

ヴルガータ訳を基礎としてネストレ版ギリシャ語聖書を参照とし、伝道士加古義一に口述させ、明治38年頃に脱稿しましたが、さらに小野藤太、山田準、武笠三らの添削を受けました。明治41年頃、ラゲ宣教師は上京し、築地司教座聖堂に居を定め、聖書印刷に経験のある横浜福音印刷合資会社で印刷。明治43年に近代以降のカトリック教会としては初めて新約聖書全体の発行に至りました。出版経費は司教座から捻出され、その他の費用はラゲ宣教師の私財と有志の寄付金でまかなわれたそうです。

写真は、古本・古書店探索Webサイト「日本の古本屋」で、群馬県前橋市にある大閑堂書店(古書店)から10,000円で購入した『我主イエズスキリストの新約聖書』です。発行年の掲載がないのですが、書店によると「戦前(昭和期)の出版ではないか」とのことでした。保存状態はバツグンに良いです。大きさは文庫本くらいですね。全482頁です。ちなみに、明治43年の初版本は、保存状態によって150,000円〜210,000円もします!半端な金額じゃないですね( ̄◇ ̄;)貴重本なのですね。
カトリック文語訳聖書3.jpg
中表紙です。戦前のものとしては保存状態はよく、綺麗に保たれています。こんなに綺麗なのは珍しいですね。収められている文書は、「マテオ(マタイ)聖福音書」、「マルコ聖福音書」、「ルカ聖福音書」、「ヨハネ聖福音書」及び「使徒行録(使徒言行録)」です。
カトリック文語訳聖書2.jpg
昔から訳註が掲載されているのがカトリック聖書の特徴です。日ごろ馴染みのない文語体で、しかも現在の出版物と比べ印刷状態もよくないのですが、ルビが振ってありますから案外すらすらと読めますね。(*^▽^*)当時は、カトリック教会のロングセラー聖書でした。
カトリック文語訳聖書1.jpg
nice!(0)  コメント(0) 

教会日記2.19.6.26(カトリック成城教会「平日のミサ」水曜日) [教会日記]

今日は、出勤前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城教会の7時からの平日のミサに与りました。今日も晴れてますね〜蒸し暑くなるのでしょうか(; ̄O ̄)でも、今朝も清々しい朝を迎えています!

6時50分から「お告げの祈り」をお祈りし、7時からのミサでは、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の神よ、
御名(みな)讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、妻の母親の病が癒やされますように、同僚の病が癒されますように、お二人の心に平安が訪れますようにと、心を込めてお祈りしてきました。
さぁ、仕事に行ってきます!
nice!(0)  コメント(0)