教会日記2019.7.4(カトリック成城教会「平日のミサ」木曜日) [教会日記]

今朝も出勤前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城教会の7時からの平日のミサに与りました。まだ梅雨ですが、この2日間は晴間もありました。でも、さすがに今日は雨が降りましたね。今朝も清々しい朝を迎えています!

6時50分から「お告げの祈り」をお祈りし、7時からのミサでは、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の神よ、
御名(みな)讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、妻の母親の病が癒やされますように、同僚の病が癒されますように、お二人の心に平安が訪れますようにと、心を込めてお祈りしてきました。
さぁ、仕事に行ってきます!
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旧約聖書:詩編・第38編 [聖書]

「主よ、立腹してわたしを責めないでください。
憤ってわたしを懲らしめないでください。
まことにあなたの矢がいくつもわたしに突き刺さり、
あなたの御手がわたしの上にのしかかり、
あなたの逆鱗に触れて、わたしの肉にはまともなところがなく、
わたしの罪のゆえに、わたしの骨には健やかなところがありません。
まことにわたしの数々の罪悪は、わたしの頭を越え、
荷物のように重くて重くて耐え切れません。
わたしのいくつもの傷は、炎症を起こして膿みただれています。
わたしが愚かだったからです。
わたしはこの上もなく肩を落とし、落胆し、
一日中うなだれて歩きまわるばかりです。
まことにわたしの腰部は高熱に満ち、
わたしの肉にはまともなところはなく、
この上もなく疲れきって打ちのめされ、
呻いて、心から悲鳴をあげています。
わたしの主よ、あなたに向かってわたしのすべての憂いを曝け出し、
わたしの嘆きはあなたには隠されてはおりません。
わたしの心はこみ上げてくるは、わたしの力は抜けてしまうは、
悲しいことに、わたしの目の光はありません。
わたしの友人も隣人も、わたしの重体を前に立ちすくみ、
わたしの親族たちもただ遠く離れて立つだけ。
わたしの魂を狙う者たちが罠を仕掛け、
わたしの不幸を求める者たちが悪意ある言葉を浴びせ、
終日いんちきな口をきく。
しかし、わたしは耳が遠いかのように何も聞かず、
口がきけないかのように口を開くことはありません。
わたしは、耳が聞こえないような人、
そのためその口に咎められることのない人のようになりました。
主よ、まことにわたしが期待しているのはあなたです。
わたしの主権者、わたしの神よ、あなたは答えてくださるはずです。
まことに彼らがわたしのことで喜ぶことのないように、
わたしの足がよろめくとき、わたしの前で勝ち誇ることのないようにと、
思っています。
まことにわたしは転び落ちそうなのです。
わたしはわたしの苦痛を絶えず前にしています。
まことにわたしはわたしの悪行を告白し、
わたしの罪をいたく悔やんでいます。
わたしの活力ある敵どもは強力で、
虚偽にまみれた、わたしの相手は数多くいます。
善の代わりに悪の仕返しをする者どもが、
わたしが善を追い求める代りにわたしを中傷します。
主よ、わたしを見放さないでください。
わたしの神よ、わたしから遠く離れないでください。
わたしの主よ、わたしの救いよ、急いでわたしを助けてください。」

旧約聖書から5月26日以来の詩編です。
この詩編第38編は、病気に苦しむ人の嘆きの詩編です。昔は不治の病といわれていた病気が、今では医療技術の発達・発展により、ある程度の病気は完治するようになってきました。しかし、いくら進歩しても、直らない病気はまだまだあります。これは、誰の人生にとっても避けられない深刻な問題です。ここに書かれていることは、病人が唱えた極めて敬虔な信仰を持った信徒の祈りです。病気を表現しながら罪を表現し、罪を表現しながら病を表現し、病の重さと共に罪の重さが表現されています。
それだけにこの詩編は、今日の私達にも病気とは何なのかということを考えさせられます。イエス・キリストもお祈りになった詩編です。皆さんも病気になった時は、是非ともこの詩編第38編で祈ることをお勧めいたします。ただし、イエス・キリストは病気になったりしませんので、38編ではお祈りしていません………だよね(⌒-⌒;)
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