教会日記2019.7.5(カトリック麹町・聖イグナチオ教会「平日のミサ」金曜日) [教会日記]

今日は、「初金(はつきん)」のため、どの教会もだいたい10時(又は10時30分)からの「初金(はつきん)のミサ」になるため、早朝7時(又は6時30分)からのミサはありません。都内ではカトリック麹町・聖イグナチオ教会くらいですか………ということで、麹町・聖イグナチオ教会の早朝7時のミサに与りました。毎度のことですが、都心なのにいつもより30分遅く起きて間に合います!恐るべしJR中央線!今日は少し晴れ間もあり、清々しい朝を迎えています!

7時のアンジェラスの鐘が響き渡る中、「お告げの祈り」をお祈りし、7時からのミサでは、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の神よ、
御名(みな)讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、妻の母親の病が癒やされますように、同僚の病が癒されますように、お二人の心に平安が訪れますように、そして、同僚のお嬢さんの病気が治りますようにと、心を込めてお祈りしてきました。
さぁ、今から職場に向かいます!
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「誘惑」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今日のお話しは「誘惑」です。
次の「ヤコブの手紙」は、このブログの6月9日に4回目の掲載をしたばかりの記事ですが、説明のため改めて掲載いたしした。この誘惑について、聖書には次のとおり書いてあります。
◯新約聖書:ヤコブの手紙・第1章・第14〜第15節
「人はそれぞれ、自分の欲に引かれ、
そそのかされて誘惑に陥るのです。
そして、欲は身籠って罪を生み、
罪は熟して死を生み出します。」

邪悪な欲のあるところに誘惑があり、その誘惑に負ける(陥る)と罪が待っています。罪は、死と直結するのですね。私達が気をつけなければならないことは、まず悪い誘惑に絶対にのらないことです。これに負けてしまっては罪を犯すことになります………反省です(⌒-⌒;)この世の中の悪いことの始まりはすべて誘惑ですね。良い(善い)ことで誘惑するとは言わないですから。すべて悪いことに使われる言葉です。私達クリスチャンで、一番重要なお祈りである「主の祈り」の最後の言葉は「………誘惑におちいらせず、悪からお守りください。」です。この一番重要なお祈りに誘惑という言葉が出てくることからも理解できますね。私達の最も自戒とする言葉です。」

………ということで、「自分の欲に引かれ、そそのかされて誘惑に陥る」の解釈です。
先ほどの記事にも書いてあるとおり、キリスト教で一番大切なお祈りとして「主の祈り」という祈祷文があります。その最後のところに「………私たちを誘惑におちいらせず、悪からお救い下さい。」とあります。また、私が毎日お祈りする「聖母の御助け(おんたすけ)を求める祈り」の祈祷文にも、「………私たちをお助けくださいますよう、心から祈り求めます。特に、困難に出会時、病気の時、誘惑を受けた時、罪を犯した時………」とあります。それほど、昔からこの「誘惑」が人間の最大で永遠の課題なのです。それは食欲、金欲、物欲、性欲、名誉欲などなど、誘惑は欲から発生するのです。

最初に、結論として述べますが、私の解釈では「そそのかされて誘惑に陥る」のではなく、「自ら進んで自発的に行った」ということになります。う~ん、少々分かりにくいですかね~(⌒-⌒;)誘惑の意味は、辞書には「人を迷わせて、悪い道にさそいこむこと。」とありますから、「自分の外から(相手から)きた誘惑を自分が受けて(陥って)悪い道に誘い込まれた・悪いことを行った」という解釈になりがちですが、私はそうのうな解釈はしません。「自分の意思で行ったもの」ということです。つまり、自分の“欲”が行わせているのですね。ですから、「自分がそそのかされた」ではなく、「自らが進んで行った」と解釈します。誘惑した相手が悪いのではなく、自分が悪いのですね。逆に相手を誘惑したということにもなりますから、相手にも悪いことをしてしまうことになるのです。欲を制御できない者は、この誘惑の呪縛から逃れることはできません。すべては自分の意思しだい、自分の善悪の判断しだいです。
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