今日の日記2019.7.13(誕生日祝い!) [日記]

今夜は、カトリック町田教会での主日のミサが終わってから、とても素敵なお美しい方から私の誕生日(7月6日)のお祝いをしていただきました。町田市街にある高級なお肉を食べさせてくれる隠れ家的な素敵なお店でした。神戸牛のA5ランクの各種部位をいただきましたヽ(´▽`)/ あまりの美味しさに、ほっぺが落ちそうになりました( ̄◇ ̄;)いろいろな焼き方があり、なんと、最後の方にすき焼きもありました。お腹いっぱいです!至福のひと時でした。
前菜です。
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お肉は8種類くらいありました。
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デザートです。チョコレートでバースデーのデコレーションです!
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教会日記2019.7.13(カトリック町田教会「主日のミサ」土曜日) [教会日記]

今日は、有給休暇で仕事をお休みさせていただき、日中はブログの記事書きと記事のネタ探しのための読書をしていました。記事は10日分10本ほど作成して保存しました。夜は、私の所属するカトリック町田教会で18時30分からのミサに与りました。町田教会は6月29日以来2週間ぶりとなります。

18時30分からのミサでは、今日もご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように。
崇められますように。
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
今日も一日の感謝の気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、妻の母の病気がよくなりますように、同僚の病気がよくなりますように、二人の心に主の平安が訪れますようにとお祈りし、そして同僚のお嬢さんの病気がよくなりますようにとお祈りしてきました。
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口語訳聖書と文語訳聖書における聖句の比較(その2) [聖書]

私の大好きな旧約聖書の「ヤコブの手紙」第2章・第17節の聖句を2つの口語訳聖書と2つの文語訳聖書で比較をします。この聖句の要旨としては、「信仰には行いが必ず伴うものであり、行いが伴って初めて信仰といえるのである。」ということです。聖句の説明は、このブログの「新約聖書:ヤコブの手紙・第2章・第14〜17節 2018.5.30」をご覧下さい。
◯現在、一般的に広く多くの人が使用しているカトリック教会とプロテスタント教会が共同訳した口語訳の『新共同訳新約聖書』は次のとおりとなっています。
「信仰もこれと同じです。行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです。」

◯カトリック修道会のフランシスコ会聖書研究所が訳した『原文校訂による口語訳 フランシスコ会聖書研究所訳注 新約聖書』は次のとおりとなっています。
「信仰もまたこれと同じで、行いを伴わないなら、それ自身、死んだものです。」

◯プロテスタント教会の信徒が使用した『文語訳 舊新約聖書』は、次のとおりとなっています。
「斯かくのごとく、信仰も行為(おこない)なくば、死にたる者なり。」

◯カトリック教会の信徒が使用した『ラゲ訳 イエズス・キリストの新約聖書』は次のとおりとなっています。
「信仰もまたかくのごとし、行いなくば死したるものなり。」

以上の4つを比較すると、口語訳では、フランシスコ会訳聖書よりも新共同訳聖書の方が、よく意味のわかる訳だと思います。また、文語訳では、『文語訳 舊新約聖書』の方が、より分かりやすい訳となっていますね。この聖句も文語訳の方が力強いですね。『原文校訂による口語訳 フランシスコ会聖書研究所訳注 新約聖書』には、註釈として「ここで対比されているのは、信仰の宣言と信仰の実践である。著者は、信仰を否定しているのではなく、真の信仰であれば必ず行いを伴うことを指摘する。」と書いてあります。
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