教会日記2019.7.17(カトリック成城教会「平日のミサ」水曜日) [教会日記]

今日は、出勤前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城教会の7時からの平日のミサに与りました。昨日は雨がよく降りました。今日は今のところ曇り空ですが、晴れ間がありそうな感じがします。今朝も清々しい朝を迎えています!

6時50分から「お告げの祈り」をお祈りし、7時からのミサでは、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の神よ、
御名(みな)讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、妻の母親の病が癒やされますように、同僚の病が癒されますように、お二人の心に平安が訪れますように、そして同僚のお嬢さんの病が癒されますようにと、心を込めてお祈りしてきました。
さぁ、これから仕事です。行ってきます!
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「愛」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

このブログの2016年10月8日に掲載した「愛のお話し」の記事を再掲載いたします………ということで、記事の内容は一部カット及び加筆・修正し、他は当時(2016年10月8日)のまま掲載しています。

「今日は、キリスト教における教えの一つである「愛」についてお話しいたします。キリスト教の愛は、「フィーリア(philía)」であり、最も重要な「アガペー(agápē)」のことを意味します。その「アガペー」などの愛とはどういうものなのかについて、その概要を簡潔に説明しますね。
「愛」は、古代キリスト教時代から西洋におけるいろいろな文献によると、次の4種類に分けられます。いずれも古代ギリシア時代から考えられていた4種類の「愛」に関係して説明されています。
1 「ストルゲー(storgē)」
キリスト教では“家族愛”を意味します。(古代ギリシアでは風、火、水、土を結合させる愛でした。)
2 「エロース(érōs)」
キリスト教では“性愛(性的な愛=恋愛)”を意味します。(古代ギリシアでは自己を充実させる愛でした。)
3 「フィーリア(philía)」
キリスト教では“隣人愛”や“友愛”を意味します。(古代ギリシアでは友人の友人に対する愛でした。)
4 「アガペー(agápē)」
キリスト教では“真の愛”を意味します。(古代ギリシアではあるものを他よりも優遇する愛でした。)
以上の4つですが、フィーリアはアガペーに含むと解釈できます。

では、聖書でのアガペー(フィーリアを含む)を見てみましょう。
◯新約聖書:ヨハネの手紙第一・第4章・第7~第11節
「愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです。」
ここではアガペーやフォーリアの愛を説いています。この聖書の箇所に代表されるように、神の本質が愛であり、特にイエス・キリストをとおして愛が説かれていますね。「アガペー」と「フィーリア」は聖書に用いられていますが「エロース」は用いられていません。

◯新約聖書:マタイによる福音書・第5章・第43~第45節
「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。」
これはイエス・キリストの聖句(言葉)ですが、ここに自分を中傷し迫害するという敵対する相手であっても、神の子どもとして、また、罪を贖われた者として、隣人とみなして赦し合うべきであるという“人類愛”の宣言がここにあるのですね。

さて、私もそうですが、クリスチャンは、“愛してる!”ということを平気で言います。先ほど掲載した聖書をお読みいただければ、これはアガペーだということが理解できると思います。恋愛関係を求めない限りは、フィーリアであり、アガペーということです。これをいわゆるキリスト教の信徒ではない方に、アガペーの愛のつもりで「愛しています」と話すと、ほぼ確実に100%エロースの愛と受け止められます。ここに誤解が生じるのです。恋いの愛(恋愛)ではなく“真心の愛”だからと説明はしますが、理解してもらえないのですね。私はクリスチャンであり、その前に既婚者ですから、妻以外にエロースの愛はないわけですね。もちろん妻にもアガペーの愛もあります。

私は、社会活動や教会活動などで、外国人と一緒になる機会が多いこともあり(その割には英会話はまったくダメですが(⌒-⌒; ))、アガペーの「愛してる」という言葉は平気で言っていますし、挨拶のハグも男女問わず普通にやってますね。ただし、私の私的な活動範囲内においてですよ(⌒-⌒;)イタリアやスペインなどのラテン系の方などは、親しくなると男女かまわず親愛を込めてチークキス(エアキスともいいます。左右の頬する挨拶のキスのこと)………ですが、エアではなく本当にしてきます!。先日も、スパゲッティ・ナポリタンを食べている最中なのに、「そのケチャップだらけの唇でキスなんてやめてください~!」と言っても聞いてくれませんでした(; ̄O ̄)

これに慣れてしまい、外国人と日本人とのギャップに気をつけるのを忘れてしまって、まったく親しくもないのに一方的に親しいと勘違いしてハグやキスをしてしまうと大変なことになります!この場合はセクハラではなく、確実に「強制わいせつ罪」という刑罰で現行犯逮捕(6ケ月以上、10年以下の懲役刑)となりますから要注意です!気をつけましょうね!(⌒-⌒;)ちなみに、イタリア人音楽家の話しでは、イタリアには「スパゲッティ・ナポリタン」なるものはないそうですよ。でも「おいし~い!」と言って食べてました。」
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