カトリック成城教会信徒館の壁画のお話し [教会案内]

写真は、カトリック成城教会の信徒館の壁画(タイル画)「主の変容(キリストの変容)」です。信徒館入口の上部(2階外壁)にあります。1997年10月に完成しました。「主の変容」の詳しい説明は、このブログの2020 年8月6日に、「主の変容のお話し」として掲載しましたのでご覧ください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2020-08-06
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教会日記2020.11.1(カトリック成城教会「主日のミサ」日曜日) [教会日記]

今日は、カトリック成城教会の10時からの主日のミサに与りました。秋も深まってきましたね。街路樹は、徐々に色付いてきましたが、色が深まるのはまだこれからです。今朝も爽やかな日を迎えています。
ミサは、いつものように3蜜を避けるため、ソーシャルディスタンスで入堂制限があります。普段は200人以上入れる聖堂ですが、今は47人しか入れません。ですから、聖堂に入れない人のために、信徒館でスクリーンで映してオンラインミサに与る(42人)対策をしているのです。また、マスクの着用はもちろんのこと、聖堂(信徒館)入口さの受付でカードに氏名と電話番号の記入と手の消毒があります。そして、ミサの時間を通常よりも短縮するためと信徒の声の発生を少なくするために、約30分のミサとなっています。聖歌も歌えません( ̄◇ ̄;) 早くコロナに効くワクチンがほしいものです!

ミサでは、今日(11月1日)の「諸聖人の祭日」をお祝いし、また、11月が「死者の月」といことで、成城教会の所縁のある亡くなられたすべての方の永遠の安息をお祈りいたしました。そして、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、行方不明となっている小学2年生の小倉美咲ちゃんが、元気な姿で両親の元に帰れるようにお祈りし、同僚の病が癒されますように、同僚のお嬢さんの病気が完治しますようにと心を込めてお祈りしました。

終わってから、男女8人ほどの大先輩方(74歳〜72歳、ちなみに私は62歳)と昼食を共にさせていただきました………光栄でございました。ありがとうございました………なのですが、何人かの先輩からご飯の半分をいただき、鯵フライを何枚かいただき、結局は大盛り定食2人前くらいを食べて死にそうになりました〜( ̄◇ ̄;) 約40年くらい前の学生時代の部活時での昼食を思い出しました(⌒-⌒; ) あっ!大食・暴食は七つの大罪の一つだった!
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11月は「死者の月」・11月2日は「死者の日」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今日は11月1日です。今日から1ヶ月間は「死者の月」となります。昨年(2019年)11月2日に掲載したものを一部修正して再掲載いたします。
キリスト教カトリック教会では、今月11月は「死者の月」で、11月2日は「死者の日」となっています。11月が「死者の月」として定着してきたのがいつからなのか定かではないそうですが、死者への思いがミサをはじめとする様々な祈りの形で表され、それが広がって伝統・習慣となり、次第に死者の月になったと考えられています。
「死者の日」は、昨日(11月1日)の「諸聖人の祭日」の翌日(本日)に、すべての死者を記念する習慣は998年にクリュニー修道院のオディロンによって始められ、クリュニーの修道士たちの影響によって11世紀には広く行われるようになったそうです。ローマ教会には1311年の暦に初めて記されていますが、それ以前からローマでも死者の日の記念が行われていたと思われます。カトリック教会では、正式には「The Commemoration of All the Faithful Departed(信仰を持って逝った人全ての記念日)」という名称になっています。

私達は、生者と死者を問わず万人との連帯関係にあり、その連帯関係は聖徒の交わりを土台としています。「聖徒の交わり」とは、「聖なるものの分かち合い」と「聖なる人々の交わり」という意味を持ち、聖徒たちの交わりが、まさに教会なのです。すべての罪はこの交わりを損なうものです。教会はキリスト教の初期の時代から、死者の記念を深い敬愛の心をもって尊び、死者のための祈願をもささげてきました。死者のためのわたしたちの祈りは、死者を助けるだけでなく、死者がわたしたちのために執り成すのを有効にすることができるのです。
(『カトリック教会のカテキズム』(946、953、958)を参照、一部『毎日の読書』及びカトリック中央協議会のホームページから抜粋)

<カトリック中央協議会のホームページから>
カトリック教会で行われる通夜の式は「親しい人との別れは、だれにとっても悲しいことです」という招きの言葉で始まりますが、特に身近な人の死を前にして、死という現実を目の当たりにするのはいつの世も同じです。しかしキリストを信じる者にとって死が人生の終わりに思えたとしても、新たな人生の始まりであり、目的である天国への旅立ちであることを信じているからこそ、人の死を素直に見つめ、悲しみの中にも安らぎを覚えるのです。通夜での祈りはそのことを表明します、「キリストは『わたしは復活であり、いのちである。わたしを信じる者はたとえ死んでも生きる』と教えられました。別離の悲しみのうちにもわたしたちは、このキリストのことばに慰めと希望を見いだします」
(カトリック儀式書「葬儀」)。

このようにキリスト教においては、死いうものが神のみもとに帰り、永遠のいのちにあずかるということですから、亡くなった人の魂が永遠に安らかに憩うように祈りをささげることをかねてから教えてきました。またわたしたちは生者同士の関係だけでなく、生者と死者との連帯関係にあります。故人が天国に入るためにはその霊魂があらゆる罪の汚れから清められ、神のみもとで永遠の幸福にあずかることができるように祈ることによって死者を助けるだけでなく、死者がわたしたちのために執り成しをしてくださることを信じるがゆえに、教会はキリスト教の初期時代から、死者の記念を深い敬愛の心をもって尊び、死者のための祈願をもささげてきました。教会の典礼暦で11月2日は「死者の日」とし、亡くなったすべてのキリスト者を記念します。キリスト者の間では2世紀頃から死者のための祈りを唱える習慣が生まれ、次第にミサが伴うようになりました。

亡くなったすべてのキリスト者を1年の特定の日に記念することは、7世紀初めにセビーリャの司教インドルスが、聖霊降臨の祝日の翌日に死者を記念するミサを行なうように指示したことに始るとされています。さらに、諸聖人の祭日(11月1日)の翌日にすべての死者を記念する習慣は、998年にクリュニー修道院院長のオディロンによって始められ、その修道院の修道士たちの影響によって11世紀には広く行なわれるようになりました。ローマ教会には1311年の暦に始めて記されていますが、それ以前からローマでも死者の日の記念日が行われていたと思われます。この記念日は西欧諸国に広まり、15世紀には、スペインのドミニコ修道会で盛んに行なわれ、司祭がこの日に3回のミサをささげるようになったのもこの頃だといわれています。18世紀になる頃には、3回のミサの習慣が世界各地に広まり、1915年に教皇ベネディクト15世がこれをすべての司祭に許可することによって、全教会に広めました。現在はこのような規定はありません。

◯「自死された方々のためにささげる追悼ミサ」
「聖イグナチオいのちを守るプロジェクト」Facebookから
10月25日 10:49
心を寄せてくださる皆さまに感謝申し上げます。
例年行っております「自死された方々のために捧げるミサ」は、コロナウィルス感染症感染防止の観点から、2020年の開催を見送ることにいたしました。
特に代わりの催しは企画しておりませんので、ご了承下さい。
皆様方もご自愛下さいませ。
2020年10月25日 ページ管理者
私は、数年前にの同僚を自死で亡くしておりますので、ほとんど毎年参加させていただいておりましたが、今年はコロナ渦で開催できないとのことです。残念ですがしかたがないですね。自死された方のためにお祈りしましょう。
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