今日の日記2020.11.7(うな重!) [日記]

今日は、ある方のお祝い会を約一ヶ月遅れで開催し、久しぶりにうな重(1匹と半分)を食べました。鰻はいつ食べても美味しいですね〜!(^∇^)
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モッズコート!買いました! [ジーニスト日記]

写真は、今年の冬に活躍してもらうモッズコートです…………ついに買ってしまいました~( ̄▽ ̄;) ビジネススーツの上でも、ジーンズの上でもOKな「3WAYモッズコート」です。ブランドはアレキサンダージュリアン(ALEXANDER・JULIAN)で、色はカーキ色、サイズは2XLです。同ブランドのデザイナーであるアレキサンダー・ジュリアン氏は、アメリカで権威あるデザイナーに与えられる「コティ賞」を5度受賞するなど、アメリカファッション業界を代表する人物の1人として知られています。 イタリアや英国の上質な生地を使いつつ、遊び心を加えた細かな色使いのデザインが特徴で、「色の魔術師」と評されています。
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【モッズ】
「モッズ」とは、1960年代にいたイギリスの若い労働者のことです。彼らがスーツを汚したくないために、アメリカ軍の「ミリタリーパーカーM-51」」を愛用していました。それがのちに「モッズコート」として呼ばれるようになりました。ですから、よくミリタリーコート(軍用コート)とモッズコートは、一緒と言われることがあるようです。モッズの語源は諸説ありますが、「モダンジャズ」が語源だそうです。
【カーキ色】
日本人がカーキ色と聞いて思い浮かべる色は、スモーキーなグリーンを思い浮かべると思います。ファッション雑誌では「カーキのミリタリージャケット」のように書いてあります…………しかし、正しいカーキ色は、本来は「黄色系の砂や土っぽい色」のことだそうです。日本ではグリーン系がメインですが、英語圏ですと「くすんだクリーム」という、どちらかというと黄色っぽい色がメインです。実はカーキ色というのは、本来黄色系の砂や土っぽい色のことなのです。日本語で「カーキ」は、英語の「kahaki」からそのままで、ヒンディー語の「土埃色」から来ているそうです。つまりは「砂の色」を指す色なのです。
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教会日記2020.11.7(カトリック成城教会「主日のミサ」土曜日) [教会日記]

今日は、カトリック成城教会の16時からの主日のミサに与りました。コロナ渦にありますので、毎週土曜日は勤務免除となってお休みです。いつもなら18時からのミサに与るのですが、今夜はお祝い会がありますので、条件付き公開ミサななって設けられた16時からのミサになりました。

ミサは、いつものように3蜜を避けるため、ソーシャルディスタンスで入堂制限があります。普段は200人以上入れる聖堂ですが、今は47人しか入れません。ですから、聖堂に入れない人のために、信徒館でスクリーンで映してオンラインミサに与る(42人)対策をしているのです。また、マスクの着用はもちろんのこと、聖堂(信徒館)入口の受付でカードに氏名と電話番号の記入と手の消毒があります。そして、ミサの時間を通常よりも短縮するためと信徒の声の発生を少なくするために、約30分のミサとなっています。そして、今日までは聖歌は歌えませんでしたが、明日(日曜日)の10時からの主日のミサからは、ミサ中の入祭の歌など3曲を聖歌隊4人限定で歌えることになりました!(^◇^)

ミサでは、11月が「死者の月」ということで、共同祈願で成城教会の所縁のある亡くなられたすべての方の永遠の安息をお祈りいたしました。
そして、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、行方不明となっている小学2年生の小倉美咲ちゃんが、元気な姿で両親の元に帰れるようにお祈りし、同僚の病が癒されますように、同僚のお嬢さんが健康な身体になり、元気に学校に通えるようお祈りしました。
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八木重吉のことば(詩)(第4日目) [キリスト者(クリスチャン)]

『神の道』
「自分が
この着物さえも脱いで
乞食のようになって
神の道にしたがわなくてもよいのか
かんがえの末は必ずここへくる」

無題
「わたしは
キリストをしんずる
しかしながら
わたし自らが
乞食のようになって
それでうれしい日がくるまでは
たからかにさけべない」

八木重吉のことは、「八木重吉のことば(第1日目)20120.10.4」をご覧下さい、
キリスト教のイエス・キリストの生涯において、イエス様は、特に貧しい人達、病にある人達、弱い立場の人達を側に招いて憐れみをかけられました。また、反対に富んでいる人達、身分の高い人達、特権階級にある人達には強い戒めと弱者への救済(施し)を求めました。
初めの詩には『神の道』という題がついています。2つ目は無題ですが、同じ主旨の詩ですね。詩にある「乞食のようになって」は、イエス様の行いのように、貧しい人間となって信仰の道にあるべきではないかと、八木の心の葛藤が見えてきます。しかし、八木は重い病に冒され、十分に貧しい生活を余儀なくされていたわけですから、私はイエス様に適う者であったと確信しています。
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