教会日記その二2020.11.8(カトリック成城・聖タデオ教会) [教会日記]

このブログにお昼に掲載した「教会日記」に書き忘れましたが、今日の10時からの主日のミサから、聖歌隊によるミサ中の聖歌奉仕が再開されました。私の記憶では、2月26日の「灰の水曜日」以来ではないかと思います。ただ、コロナ渦での「条件付き公開ミサ」ですから、ミサに与る信徒は歌いません。歌うのはあくまでも聖歌隊だけで、しかも、聖歌隊4人限定+指揮者+パイプオルガン奏者のみです。歌うのは、①入祭の歌、②奉納の歌、③拝領の歌の3曲で、神父様がカトリック聖歌集と典礼聖歌集から選曲します。

成城教会の聖歌隊は、「聖タデオ聖歌隊」という名称です。聖歌隊は、4人一組として年内の主日のミサ(日曜日10時からに限定)の担当を班分けしました。ちなみに、私は11月29日(日)と12月13日(日)が担当です。29日は①入祭の歌が、カトリック聖歌集第103番「あわれみの神」、②奉納の歌が、典礼聖歌集第184番「わたしは静かに神を待つ」、③拝領の歌が典礼聖歌集第301番「天よ露をしたたらせ」と決まっています。29日はまだ決まっていませんが、今からどんな選曲なのか楽しみです。とにかく、念願の聖歌隊の奉仕活動が再開してとっても嬉しいですね!
nice!(0)  コメント(0) 

カトリック成城・聖タデオ教会「ルルドの聖母マリア像」のお話し [教会案内]

カトリック成城教会の聖堂横の広場にある「ルルドの聖母マリア像」です。このご像は、フランスのルルドにご出現された聖母マリア像を模して作られていますが、多くのカトリック教会にはこのルルドの聖母マリア像があります。主イエス・キリストの生母であるマリア様は、プロテスタント教会では偶像崇拝につながるということで、主の生母だけとしていますが、カトリック教会では、カトリックの教義として主の生母である神の母聖母マリア様を崇敬しています。崇拝ではなく崇敬ですね。
56E86C52-2616-4DB7-AC66-2C6F4E29FD6F.jpeg
nice!(0)  コメント(0) 

教会日記2020.11.8(カトリック成城・聖タデオ教会「主日のミサ」日曜日) [教会日記]

今日は、カトリック成城教会の10時からの主日のミサに与りました。今朝は比較的暖かな感じがします。空は快晴!秋もますます深まってきました。爽やかな日を迎えています。
ミサは、いつものように3蜜を避けるため、ソーシャルディスタンスで入堂制限があります。普段は200人以上入れる聖堂ですが、今は47人しか入れません。ですから、聖堂に入れない人のために、信徒館でスクリーンで映してオンラインミサに与る(42人)対策をしているのです。また、マスクの着用はもちろんのこと、聖堂(信徒館)入口さの受付でカードに氏名と電話番号の記入と手の消毒があります。そして、ミサの時間を通常よりも短縮するためと信徒の声の発生を少なくするために、約30分のミサとなっています。聖歌も歌えません( ̄◇ ̄;) 早くコロナに効くワクチンがほしいものです!

ミサでは、11月が「死者の月」といことで、成城教会の所縁のある亡くなられたすべての方の永遠の安息をお祈りいたしました。そして、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、行方不明となっている小学2年生の小倉美咲ちゃんが、元気な姿で両親の元に帰れるようにお祈りし、同僚の病が癒されますように、同僚のお嬢さんの身体が健康になりますように、元気に学校に通えるようにとお祈りしました。
nice!(0)  コメント(0) 

旧約聖書:ヨブ記・第1章・第6~第12節、新約聖書:ヨハネの黙示録・第12章・第7~第9節 [聖書]

「ある日、主の前に神の使いたちが集まり、サタンも来た。主はサタンに言われた。「お前はどこから来た。」「地上を巡回しておりました。ほうぼうを歩きまわっていました」とサタンは答えた。主はサタンに言われた。「お前はわたしの僕ヨブに気づいたか。地上に彼ほどの者はいまい。無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きている。」サタンは答えた。「ヨブが、利益もないのに神を敬うでしょうか。あなたは彼とその一族、全財産を守っておられるではありませんか。彼の手の業をすべて祝福なさいます。お陰で、彼の家畜はその地に溢れるほどです。ひとつこの辺で、御手を伸ばして彼の財産に触れてごらんなさい。面と向かってあなたを呪うにちがいありません。」主はサタンに言われた。「それでは、彼のものを一切、お前のいいようにしてみるがよい。ただし彼には、手を出すな。」サタンは主のもとから出て行った。」

主とは神様のことです。神の使いとは天使のことですね。そして、なんと!神様や天使のいる天の国に、なぜ“サタン”がいるのでしょうか?一般的にサタンとは、「悪魔」などと言われますが、「敵対者」と訳す場合もあります。どうして神様はサタンを生かしているのでしょうかΣ( ̄ロ ̄lll) それに神様と会話までしています( ̄▽ ̄;)

一般的にキリスト教神学において、サタンはかつて神に仕える「御使い(みつかい)」)でありながら、堕落して堕天使(だてんし)となり、地獄の長となった悪魔の概念ということです。罪を犯して堕落する前のサタンは、主に使える美しいみ使いでしたが、神に反逆して「敵対者」としての悪魔に変化したとみなされているのです!

キリスト教の伝統によると、サタンは、元々神に使える「ルシファー」という名の御使いで、多くの天使を率いる十二枚の翼を持った美しい大天使長であったともいわれています。しかしある時、神に敵意を示して自分に賛同する天使達を集め、天使軍団の総帥である大天使聖ミカエルの率いる神の軍団である天使軍団との戦うのです。
しかし、長い戦いの末に敗北し、ルシファーと天使の三分の一は天界から地上に投げ落とされてしまったということです。この様子が新約聖書の「ヨハネの黙示録」に記載されています。
◯新約聖書:ヨハネの黙示録・第12章・第7~第9節
「さて、天で戦いが起こった。ミカエルとその使いたちが、竜に戦いを挑んだのである。竜とその使いたちも応戦したが、勝てなかった。そして、もはや天には彼らの居場所がなくなった。この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者は、投げ落とされた。地上に投げ落とされたのである。その使いたちも、もろともに投げ落とされた。」

ということは、旧約聖書の「ヨブ記」が書かれた時代はサタンは天の国にいますが、新約聖書の「ヨハネの黙示録」が書かれたころには、天の国から地上に投げ落とされたのですね。これには、昔からいろいろな解釈がされているようですが、どうもサタンとは「告発者」という意味だとか、サタンが悪魔だというのは、後世において定義づけられたといわれていす。
nice!(0)  コメント(0)