日記(今日のニュース)2020.3.25(これ以上に大きな愛はない!) [日記(今日のニュース)]

イタリアからのニュースです。
「新型コロナウイルスによる感染被害が厳しいイタリアで、自分より若い患者にと人工呼吸器を譲った72歳の神父様が15日に亡くなり、その犠牲と訃報がソーシャルメディアなどで広く共有されています。
お亡くなりになったジュゼッペ・ベラルデッリ神父様は、イタリア北部ロンバルディア州ベルガモ司教区にあるカスニーゴの町で司祭長を務めていました。以前から呼吸器系の病気を患っていたため、信者たちが購入した人工呼吸器を、自分よりも若い人に使って欲しいと譲った後、ローヴェレの病院で亡くなったそうです。翌日には、神父の棺が埋葬に運ばれる際、地元の人たちが窓から拍手しました。感染拡大を防ぐため集会や外出が厳しく制限されているイタリアでは現在、葬式を開くことができません。

イタリアでは少なくとも50人の司祭が、新型コロナウイルスによって死亡したとされています。ローマ教皇庁の教皇フランシスコは24日、亡くなった医師や司祭のための祈りを先導し、「病める者に尽くすことで英雄的な手本となったことを神に感謝」すると述べました。
カトリック教会イエズス会のアメリカ人神父ジェイムズ・マーティン司祭はツイッターで、「(信者たちが自分のために買ってくれた)人工呼吸器を自分より若い患者に(知らない相手に)譲った72歳のベラルデッリ神父が、亡くなった」と書き、「友のために命を投げ出すほど大きい愛はない」という新約聖書のヨハネによる福音書の言葉を引用しました。」

◯新約聖書:ヨハネによる福音書・第15章・第13節
「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」
『聖書協会共同訳聖書』から
注)「友」とは、自分の隣人のこと。
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「お祈りの手」のお話し [祈り]

お祈りをする時に両手の掌(てのひら)を合わすのは、キリスト教も仏教も神道も同じですね。私たち日本人は、人にお願いする時もごめんなさいをする時も掌を合わせたりします。でも、この掌を合わせてお祈りするスタイルはどこからきたのでしょうか?自然的に発生したものなのでしょうか?
 
私は、キリスト教のお祈りが、両手の掌を合わせてお祈りするようになったのは、どうも仏教の影響を受けているのではないかと思うのです。原始仏教(初期仏教)は、紀元前5世紀にインド北部ガンジス川中流域で、お釈迦様が提唱して発生した宗教です。このころから、仏教のお祈りに掌を合わす習慣があったかどうか分かりませんが、キリスト教の宣教が、仏教が流布していたアジア東方地域に浸透するに及んで、お祈りで両手の掌を合わすというスタイルが西方地域(ヨーロッパ)に<輸入>されたのではないかと思うのです。キリスト教は、原始キリスト教の時代から両手の掌を合わせてお祈りする習慣はなかったのではないかと思います。その根拠は、原始キリスト教時代の絵(壁画)などに掌を合わせて祈る姿が画かれていないからです。当時のお祈りをするスタイルは、両腕(両手)を広げたスタイルです。これが伝統となって現在でも、「主の祈り」の時に両腕(両手)を広げてお祈りする人がいますね。私もそうですが。
祈りの聖母.jpgimage.jpeg
お祈りは心の在り方ですから、どういう体勢で祈ってもいいはずですが、どの宗教であれ、神様に敬虔な心で気持ちを集中してお祈りする方法は、なんと言っても身体の中心線上に両手の掌を合わせてお祈りすることです。
でも、仏教も神道も両手の掌をピッタリ合わせてお祈りしますが、キリスト教の場合は、少しだけ両手の掌を合わし方が違うのです。それは上に掲載した左側の聖母マリア様の絵(ジョヴァンニ・バッティスタ・サルヴィ作の「祈りの聖母」 )と右側の写真を観ていただければ分かると思うのですが、キリスト教の場合は、両手の掌をピッタリ合わせず、ふっくらとさせてお祈りします。合わせた掌の中に小さな卵が入るくらいですね。そして、両手の親指は交差させます。両親指でバッテンを作る感じになります。私に洗礼を授けた神父様は、入門講座で「お祈りをする時は、この交差させた親指だけに力を入れてお祈りしなさい。そうすれば、お祈り中によそ事を考えたり、眠くなったりしないでお祈りに集中できるから。」とよく言われました(⌒-⌒; )
新型コロナウイルスの世界的な感染拡大で、全世界の人々の人心が動揺しています。皆さん、いまこそ隣人のために「主の平安と癒やしがありますように」とお祈りしましょう!
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