「ロザリオの祈り」を祈りましょう! [ロザリオ日記]

今月10月は、カトリック教会においては「ロザリオの月」です。「ロザリオの祈り」を奨励する◯◯月間のような( ̄▽ ̄;) 感じもしますが、「ロザリオの祈り」は、なにもこの10月だけのことではありませんね。1年を通して毎日お祈りしたい「ロザリオの祈り」です。

写真は、一年365日毎日持ち歩いているロザリオです。毎朝通勤電車の中でロザリオの祈りをする時に使います。購入したアンティークショップの方の話しでは、イタリアのアッシジで買い求めたロザリオだそうです。タウ十字架がついています。
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☆「ロザリオ」とは、「アヴェ・マリアの祈り」を繰り返し唱える際に用いる数珠状の祈りの用具のことです。「ロザリオ」という名称は、ラテン語の rosarium に由来するもので、これは「バラの冠」という意味であり、一般的な説では、珠を繰りながら唱える祈りがバラの花輪を編むような形になるからと言われています。
☆「ロザリオの祈り」とは、ロザリオを使って祈るカトリック教会における伝統的な祈りで、「アヴェ・マリアの祈り」を繰り返し唱えながら、福音書に記されているイエス・キリストの主な出来事を黙想していく祈りのことです。ミサなどの典礼の中でお祈りされるものではなく、私的な信心業としてお祈りするものなのです。
お祈りの仕方は、このブログの2020年10月9日に掲載した「ロザリオの祈りの祈り方のお話し」をご覧ください。お祈りの仕方を詳細に書いてあります。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2020-10-09

ロザリオは、カトリック教会の信徒ではない方からすれば、仏教のお祈りで使う「数珠(じゅず)」と同じような物に見えるでしょうね。お数珠もお祈りで使うことではロザリオと同じですから。お数珠の珠は菩提樹の実が一般的ですが、石やガラス珠のものもありますね。ロザリオも木、石、ガラスや金属の珠だったりします。しかし、ロザリオとお数珠では、その使う目的や方法が違います。
カトリック教会の伝統の中で、聖母マリア様への祈りは初代教会から始まっていたと考えられており、修道会のドミニコ会の創設者であり、ロザリオの祈りの創始者である聖ドミニコ(イタリア:1170年~1221年)がアルビの聖堂で祈っている時に、聖母マリア様からロザリオを授けられたのでした。15世紀にフランスのブルターニュのドミニコ会士アラヌス・デ・ルーペが、現在の形に「ロザリオの祈り」をまとめて普及させました。聖ドミニコのことは、2020年8月8日にこのブログに掲載した「聖ドミニコ司祭」の記事をお読みください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2020-08-08

最初のころは、聖母マリア様の主な5つの喜びの黙想だけでしたが、やがてイエス・キリストの誕生から始って受難、復活、昇天という神秘の生涯を包括する黙想の形をとり、それによって聖母マリア様に対する愛と信心と共に救い主イエス・キリストに対する信仰を深めるための、素朴で誰でも近づきやすい方法の一つとして普及していったようです。日本には16世紀にイエズス会宣教師によって初めてロザリオが伝えられ、キリシタン・隠れキリシタンの時代から「コンタツ」(ポルトガル語: contas = 「数える」の意味) とも呼ばれていました。

キリスト教でも、基本的にプロテスタント教会の皆さんはロザリオの祈りをしません。しがってロザリオはお持ちではありません。ロザリオは、キリスト教で禁止する偶像崇拝と同じだと言う方もいらっしゃいます。ですから、聖母マリア様への崇敬もありません。ここが同じキリスト教でもカトリック教会と大きく違うところです。私がプロテスタント教会ではなく、カトリック教会を選んだ理由の一つは、神の母である聖母マリア様への崇敬があるからです。とてもありがたいことです。

信徒ではない人たちは、ファッション感覚なのかペンダントのように首からぶら下げている人がいますが、あれは大きな間違いですからご注意ください。ご数珠も首からぶら下げないですよね( ̄▽ ̄;) 大切なことは、「ロザリオの祈り」の祈りの祈祷文を唱え、イエス・キリストと聖母マリア様の生涯をとおして黙想することが大切であって、ロザリオ自体はなんでもいいわけです。手の指で数えるか頭の中で数えれることができるわけですから、ロザリオはなくてもお祈りはできますね。

ただ、黙想をしながらのお祈りは、ある程度は神経を集中させますから、ロザリオのように“数える道具”があると便利であることは確かです。私のように歳をとると、たびたび「あれっ!今いくつまでやったっけ?」となりますので、五連のロザリオは重宝しています。ただ、10回お祈りするところを11回お祈りしても大した違いはないと思うのですが、10回お祈りしなけれらばならないところを9回しかお祈りしてないと不安に思うのが人間なのでしょうね。まったく困った生き物です。

先ほども書きましたが、私は1年365日ロザリオを持ち歩いています。その一番の理由は「いつでもどこでもロザリオのお祈りができるから。」です。毎朝通勤電車(小田急線)午前5時台の各駅停車(乗車時間約45分)の一番隅の座席で黙想しながらお祈りします。通勤電車でのロザリオの祈りはもう8年になります。黙想していますので下車駅を通り過ぎたこともしばしばです( ̄▽ ̄;) 仕事帰りの電車では、黙想していると疲れでそのまま寝てしまい、これまた下車駅を通り過ぎてしまうのでしたΣ( ̄ロ ̄lll)

ご参考ですが、ロザリオ(五連ロザリオ・一連ロザリオ)本体のことは、このブログのPC版画面(背景が緑色、文字が白色)の左側帯の「マイカテゴリー」のところに「ロザリオ日記」がありますので、そこをクリックすると過去のロザリオ・コレクションの記事が写真付きでご覧いただけます。私がコレクションしているいろいろなロザリオです。推奨するロザリオは、木製のロザリオです。写真にある珠が木製で糸で編んであるものです。とにかく軽くて温かみがあります。
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教会日記2022.10.4(カトリック成城・聖タデオ教会「平日のミサ」火曜日) [教会日記]

今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会での7時からの「平日のミサ」に与りました。今日の日中は、30度を超して暑くなるようです。でも、湿度が低ければ日陰は涼しいですね。今朝も清々しい朝を迎えています。

ミサでは、「アッシジの聖フランシスコ修道者」の記念日をお祈りしました。
そして、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と主を讃え、
続いて
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
とお祈りしました。
続いて、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」と祈り、
そして、同僚の病と同じ病の私が親しくしているご婦人のお二人が癒されるようお祈りしました。
終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』をお祈りしました。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
とお祈りしました。
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「アッシジの聖フランシスコ修道者」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日10月4日は、アッシジの聖フランシスコ修道者の記念日です。
聖フランシスコは、イタリア、アッシジの裕福な織物商の家に生まれました。快楽を求め自由奔放な青春時代を過ごしたが、騎士になりたいと望み、戦場に赴きました。そこで病気にかかって、夢の中でイエス・キリストに出会い、回心してイエス様に従う決心をしたそうです。持ち物を貧しい人びとに与え、自らは粗末な服をまとい、ローマ中を巡礼しました。アシジに戻った聖フランシスコは、壊れた聖堂で祈っていたとき、教会を建て直すようにとのキリストの声を聞き、すぐに聖堂の再建を始めた。フランシスコの父は、教会のために家の財産が費やされることを嫌い、フランシスコが財産を受け継ぐことを放棄する法的手続きをとり勘当しました。

しかし、聖フランシスコはよりいっそうイエス様の言葉に従い、同志を集めて清貧と愛の生活を続けて多くの人びとを感化し、当時の乱れた教会を改善していきました。その後、ローマに行き、教皇インノセント3世から許可を得て、1209年に「小さき兄弟会」、後の「フランシスコ会」を創立しました。
すべての被造物をとおして与えられる神の恵みを悟ったフランシスコは、神に感謝と賛美をささげた『太陽の賛歌』を作りました。彼の物語は、『小さい花』という本に伝えられています。また、彼はクリスマスの夜に馬小屋を飾って祝った最初の人であり、その習慣を広めました。1224年、聖フランシスコは聖痕(せいこん:キリストが十字架に付けられたときに受けた5つの傷)を受けたといわれています。その生涯は、キリストの僕(しもべ)として貧しく愛にあふれるものであり、現代まで世界中の人びとに大きな影響を与え続けています。ちなみに、聖フランシスコは、イタリアのアッシジで生まれたことから、「アッシジのフランシスコ」と呼ばれています。また、アメリカ西海岸の都市サンフランシスコ(St. Francisco)は、この聖人の名前が由来です。

私が大好きな画家であるスペインのエル・グレコ作の「法悦の聖フランチェスコ(1577‐1580)」です。ラサロ・ガルディアーノ美術館蔵
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◯「聖痕(せいこん)」及び「アッシジの壊れた教会」のことは、このブログの「聖フランシスコに語りかけた十字架のご紹介!2017.3.7」
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2017-03-07をご覧下さい。また、「太陽の賛歌」は、このブログの「祈りの言葉2014.5.18」https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2014-05-18をご覧下さい。それぞれ詳しく説明しています。
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