教会日記2022.10.26(カトリック成城・聖タデオ教会「平日のミサ」水曜日) [教会日記]
今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会での7時からの「平日のミサ」に与りました。連日ぐずついていた天気もやっと晴れました。最高気温は、18度だそうです。寒いですね。今日も清々しい朝を迎えています。
ミサでは、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と主を讃え、
続いて
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
とお祈りしました。
続いて、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」と祈り、
そして、同僚の病と同じ病の私が親しくしているご婦人のお二人が癒されるようお祈りしました。
終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』をお祈りしました。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
とお祈りしました。
ミサでは、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と主を讃え、
続いて
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
とお祈りしました。
続いて、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」と祈り、
そして、同僚の病と同じ病の私が親しくしているご婦人のお二人が癒されるようお祈りしました。
終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』をお祈りしました。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
とお祈りしました。
「カリス」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]
今日は「カリス」お話しです。
「カリス」とは、ミサにおいてぶどう酒を奉納し、聖別、拝領するときに使用する杯(さかずき)のことです。また、飲むために使われるコップのことを指しますが、キリスト者の間では、初めからミサに使われる器として区別して使われてきました。写真上は、現在一般的に使われている金メッキや銀メッキが施された金属製の「カリス」です。初期の時代は、ガラス製のものも作られましたが、9世紀ごろからは金属で作るようになりました。次第にキリスト教的シンボル(十字架、魚(イクツス)、ブドウの図章)などで装飾されるようになり、宝石や金、銀、メノウなどが装飾として使われるようになっていきました。ルネッサンスやバロック美術の影響を受け、特に中世に作られたカリスは美しく豪華なものが多く残っています(写真下)。まぁ、人間の欲ですな。貧困を愛されたイエス様が、そんな豪華なカリスをどう思われるかです。決してお喜びではないでしょうね。
この「カリス」の中に入れるのが、ミサにおいて司祭(神父様)の唱える奉献文に出てくる“イエス・キリストの血(ぶどう酒)”です。ミサの中で行われる「聖体の秘蹟」の説明は後日にするとして、ミサの中で奉納祈願と叙唱のあと、司祭(神父様)が次の奉献文(第2奉献文)を唱えます。
「誠に尊くすべての聖性の源である父よ、いま聖霊によってこの供え物を尊いものにしてください。(パンとぶどう酒の上に十字のしるしをする)私達のために主イエス・キリストの御からだと御血(おんち)になりますように。主イエスはすすんで受難に向かう前に、パンを取り、感謝をささげ割って弟子に与えて仰せになりました。『皆、これを取って食べなさい。これはあなたがたのために渡される私のからだである。』
食事の終わりに同じように杯を取り、感謝をささげ弟子に与えて仰せになりました。『皆、これを受けて飲みなさい。これは私の血の杯、あなたがたと多くの人のために流されて、罪の赦しとなる新しい永遠の契約の血である。これを私の記念として行いなさい』」
このあと、司祭が「信仰の神秘」と唱えると、信徒が次のとおり答えます。「主の死を思い、復活をたたえよう、主が来られるまで。」と命じられたように、イエスの記念として、イエスが言われたとおりに行なっています。司祭はさらに続け、「私達は今、主イエスの死と復活の記念を行い、ここであなたに奉仕できることを感謝し、命のパンと救いの杯をささげます。」と続きます。
この奉献文(第2奉献文)の根拠となっている聖書の箇所は、次のとおり新約聖書の4つの福音書の内、3つの福音書に記載があります。すべてイエス・キリストが磔刑(たっけい:十字架に磔(はりつけ)される死刑)にされる前夜の「最後の晩餐(さいごのばんさん)」の場面の一部です。
◯マタイによる福音書:第26章・第26~第28節
「さて、一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美をささげて、それを裂き、弟子たちに与えて仰せになった、「取って食べなさい。これはわたしの体である」。また杯を取り、感謝をささげ、彼らに与えて仰せになった、「みな、この杯から飲みなさい。これは、罪の赦しのために、多くの人のために流される、わたしの契約の血である。」」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から
◯マルコによる福音書:第14章・第22~第24節
「さて、一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美をささげて、これを裂き、弟子たちに与えて仰せになった、「取りなさい。これはわたしの体である。」また、杯を取り、感謝をささげて、彼らに、お与えになった。彼らはみな、その杯から飲んだ。すると、イエスは仰せになった。彼らはみな、その盃から飲んだ。「これはわたしの血、多くの人のために流される契約の血である。」」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から
◯ルカによる福音書:第22章・第19~第20節
「それから、イエスはパンを取り、感謝をささげて、それを裂き、使徒たちに与えて仰せになった、「これは、あなたがたのために与えられる、わたしの体である。これを、わたしの記念として行いなさい」。食事を終えると、杯も同じようにして仰せになった、「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による、新しい契約である」」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から