支援活動日記2022.10.20(山谷夜回りの会活動) [支援活動日記]

今日は、仕事が終わってからホームレス支援活動グループ「山谷夜回りの会」の活動に参加しました。毎回毎回このブログに書いていることですが、私は一人の人間としてもキリスト者(クリスチャン)としても、人道のための支援活動を行うことが本望であり、若い時からの念願でもありました。働けなくて経済的に困窮し、路上生活を余儀なくされている人、家族に見放され精神時に不調をきたし、路上生活を余儀なくされている人、ホームレスの皆さんにはいろいろな理由があります。国や自治体など行政では、手が回らないところを私たちが支援するということですね。

私たちキリスト教の信徒は、前述したような生活に困窮している人のことをイエス様だと思って支援しています。これは聖書にあるイエス・キリストの教えです。聖書には次のとおり書かれています。
◯新約聖書の『マタイによる福音書』第25章・第31~第46節に、次の聖句(イエス・キリストの言葉)があります。
「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』
それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ。』すると、彼らも答える。『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』そこで、王は答える。『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」

解釈をしますと、冒頭にある「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき」というのは、終末(この世の終わり)に、イエス・キリストがこの世に再臨するということです。その時に天使たちを従えて来て「最後の審判」が行われます。分かりやすく説明すると、この世の終わりに、イエス・キリストが再び現れて、天国に入る者と地獄に落ちる者とを選別するということです。「王」とは、イエス・キリストのことです。「兄弟であるこの最も小さい者」とは、生活に困窮している人、弱い立場にある人、病で苦しんでいる人など、救いを求めている人たちのことです。「永遠の罰を受け」とは地獄に落ちるということで、「永遠の命にあずかる」とは天国に入るということになります。
困っている人たちの為に善い行いをすること。生活に困窮している人、弱い立場にある人、病で苦しんでいる人など、救いを求めている人たちのために支援すること。それがイエス・キリストにすることになるのです。ですから、私たちはこのような人たちのことを、自分が天国に入る入れないに関係なく、聖書の聖句に従い、ただイエス様だと思って接して支援活動をしているのです。

今夜も東京スカイツリーがキレイです!
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今夜も台東区端の泪橋交差点から少し歩いた所にある、「いろは商店街(以前は実測250mほどのアーケード商店街でした)」に、ビニールシートのテントで寝ている方を含め45人ほどのホームレスの皆さんが私達を待っていました。支援活動に集まった14人で、ホームレスの皆さんにおにぎり、マスク、軍手、石鹸、歯ブラシ、髭剃り、靴下、上下の下着類、Tシャツ、ズボン、寝袋、葛根湯などをお配りしました。最近は、女性の方もいらっしゃいますから生理用品も配ります。おにぎりを配る時は、毎回約200〜350個ほどのおにぎりをカトリック板橋教会や松戸教会の信徒の皆さんの善意で作ってもらっています。数年前までは、私が以前所属していたカトリック町田教会も「山谷の会」があり、おにぎりを作っていました。

支援活動に集まっている皆さんの年齢構成は、70歳代の方、私のような仕事帰りの60歳代の社会人や主婦は少数派ですが、中心になるのは大学生や若い20歳代~30歳代の社会人で、使命感を持って支援活動に取り組んでいます。今日は、高校生の方が2人いました。若い人たちは立派な人ばかりです。10月に入って随分と涼しくなり、最高気温が20度を切って寒く感じるようになってきました( ̄◇ ̄;) これからは、秋の長雨という季節になります。 ホームレスの皆さんは路上で寝る方も多く、雨が降って衛生的にも極めて悪い環境にあります。健康を維持するためにも体には特に気をつけてもらいたいものですね。今日は、配り手が多かったものですから早く終わりました。活動が終了してから省会を行い、20時50分ごろ解散しました。今は、すでに帰りの電車の中です。
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教会日記2022.10.20(カトリック成城・聖タデオ教会「平日のミサ」木曜日) [教会日記]

今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会での7時からの「平日のミサ」に与りました。朝起きた時、町田市相原町は7度でした( ̄◇ ̄;) 寒いわけです。一気に気温が下がりました。風邪をひかないようにしないとね。今日も清々しい朝を迎えています。

ミサでは、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と主を讃え、
続いて
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
とお祈りしました。
続いて、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」と祈り、
そして、同僚の病と同じ病の私が親しくしているご婦人のお二人が癒されるようお祈りしました。
終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』をお祈りしました。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
とお祈りしました。
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「聖母のご出現」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

「聖母のご出現(聖母の顕現)」とは、聖母マリア様が、人々の前に現れたとされる出来事(奇跡)のことをいいます。また、聖母マリア様が特定人物や、一般大衆の前に姿を持って出現することを顕現(けんげん)ともいいます。この聖母マリア様がご出現なされたところを目撃した人はキリスト教の信徒には限らず、民衆の間に伝えられている話しや噂は非常に多数あり、その数は数千にも及ぶとされています。ただし、カトリック教会が公認したのは、その内の24件ほどに過ぎません。カトリック教会は、各地区の司教・バチカンの教皇庁の担当者などの認定作業を経て、これらの出来事を公認するか否かを表明しています。カトリック教会では、人々が聖母マリア様の形をとった悪霊に支配されないために必要な手順であるとされています。
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カトリック教会では、聖母マリア様は受胎の瞬間から原罪(げんざい)を免れていたとする教えがあります。これを「無原罪の御宿り(むげんざいのおやどり)」といいます。原罪を免れているということは、罪の結果である死を免れることになり、さらには死の前兆である老いも免れていたことになります。このため、西ヨーロッパのカトリック圏で描かれる聖母はみな若い女性であり、有名なミケランジェロの「ピエタ像」の聖母マリア様も、とても推定30歳前後のイエス・キリストの母親とは思えない若い女性として描かれています。そして聖母マリア様は生涯の終わりに死ぬのではなく、身体とともに天に上げられたとされています。これを「聖母の被昇天(せいぼのひしょうてん)」といいます。このため、カトリック教会の教えでは、聖母マリア様は未だに身体とともに生き続けていることになり、これが聖母マリア様のご出現を即座に否定できない根拠となっています。

◯このブログに何回か掲載した<マリー=アルフォンス・ラティスボンヌの回心>も聖母マリア様がご出現された最も顕著な出来事(奇蹟)です。
「アルフォンス・ラティスボーンは有名なユダヤ人で、19世紀の中頃イタリアのローマに住んでいました。彼は無神論者(一説にはユダヤ教徒)でしたが、彼にはカトリック教会の信徒の友人がいました。ある日、友人はラティスボーンに聖母マリア様の「不思議のメダイ」と短い祈りが載っているカードを渡して「このメダイを首にかけて、この祈りを毎日唱えてください。」と願いました。ラティスボーンは「私は無神論者です。宗教に対して興味がありません。」と言って断りました。しかし、友人は執拗に「神様がいらっしゃらなければメダイと祈りは効果がないでしょうが、あなたに害を及ぼすことはありません。どうぞ一ケ月だけメダイを身につけて、この祈りを唱えてください。」と勧めました。

ラティスボーンは友だちの熱意にほだされて、ついにメダイを身につけて、祈りを唱えることを約束しました。約束の一ケ月目の最後の日、ラティスボーンはある教会の前を通りかかった時、突然、教会に入ってみたいという衝動に駆られました。彼が教会に入ったその時、聖母マリア様が美しい姿でラティスボーンにお現れになったのです。驚愕したラティスボーンは大変感激し、なんのためらいもなくその場で洗礼を受けました。その後、ラティスボーンはカトリック司祭となり、聖地エルサレムヘ行ってその地で亡くなるまで、大勢のユダヤの人々に熱心にキリスト様の教えを伝えたのでした。この時に出現した聖母を「シオンの聖母」といい、このご出現をローマ教皇庁は奇蹟として認定しています。」
なお、「不思議のメダイ」の詳細は、このブログの2020年7月17日に掲載した「不思議のメダイのお話し」をお読みください。https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2020-07-17
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