教会日記2020.11.26(カトリック成城・聖タデオ教会「平日のミサ」金曜日) [教会日記]

今日は、先週のお休みの日に入試業務で出勤した振替休日で仕事はお休みですが、カトリック成城・聖タデオ教会の7時からの平日のミサに与りました。終わってから、床屋さん(死語かな?今は理髪店だね)と歯科に定期検診に行き、帰りに整体院に行きます!今朝も寒いですね~( ̄▽ ̄;) 今日も爽やかな朝を迎えています!

ミサでは、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、行方不明となっている小学2年生の小倉美咲ちゃんが、元気な姿で両親の元に帰れるようにお祈りし、同僚の病が癒されますように、同僚のお嬢さんが健康な体となって元気に学校に通えるようにとお祈りしました。
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城山三郎のことば(第4日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「英語で『チャンス・メーカー』という言葉がありますね。
『チャンス・キャッチャー』とはいわない。
チャンスは、つくるものなんです。」

城山三郎のことは、「城山三郎のことば(第1日目)2020.11.16」をご覧ください。
なるほど納得の言葉です。よく“チャンス到来”とか言いますが、チャンスは受け身じゃなくて自分で作るものなのですね。英語は理に適っているのです。
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「聖セシリアおとめ殉教者」のお話し [聖人・福者・尊者]

先日の日曜日11月22日は、聖セシリア(2世紀頃、生没年不詳)の記念日でした。日曜日は、主日であり「王であるキリスト」の祭日でしたから、ころっと忘れていました( ̄▽ ̄;) 聖セシリア様、ごめんなさい!…………ということで、このブログの2019年11月22日に掲載した記事を再掲載いたします。聖セシリアは、キリスト教のカトリック教会、聖公会・正教会の聖人に列せられています。特にカトリック教会では有名な聖人であり、音楽家と盲人の守護聖人となっています。ちなみに、同日で「王であるキリスト」の祭日ですので、ミサではそちらが優先しますから聖セシリアの記念は行われません。ただし、教会の守護聖人が聖セシリアに捧げられているのであれば別ですね。

名前は、英語ではシシーリア、スペイン語ではセシーリア、イタリア語および中世ラテン語ではチェチーリア、ドイツ語ではツェツィーリア、フランス語ではセシルないしはセシール、古典ラテン語ではカエキリアと呼ばれますね。日本のキリスト教では、西方教会では“セシリア”の表記が一般的である他、特にカトリック教会ではラテン語の教会式発音に基づいて“チェチリア”とも呼ばれることもあります。東方教会の教正教会ではキキリヤと呼ばれます。なお、ローマ皇帝ディオクレティアヌスにより、アフリカで刑死した聖セシリア(祝日:2月11日)と別人です。

ローマの裕福な貴族の家に生まれ、父親の意志により、キリスト教の信徒ではない青年バレリアノと結婚しましたが、彼女は、神のために生涯貞潔を守ることを彼に話しました。彼女の熱心な信仰態度に心を打たれたバレリアノは、弟ティブルツィオと共に洗礼を受け、そして、彼らは迫害されて殉教した人びとの遺体を引き取り手厚く葬っていました。これがローマ総督の耳に入り、バレリアノと弟は捕えられ、信仰を捨てるように命じられましたが拒んだため、2人は斬首刑となりました。セシリアは、彼らの遺体を引き取り埋葬しました。その後、自分の家をカタコンブ(地下墓地)にしたり、聖堂(のちに聖セシリア教会と呼ばれる)にしたことが総督に知られ、捕えられて棄教するように強要されました。
彼女がむし風呂の刑にあっても、苦痛もなく、汗ひとつかかなかったので、最後は首を切りつけられて、3日間の苦しみののち殉教したそうです。他に伝説によれば、セシリアは斬首刀の3打を耐え抜いて死刑を中止され、その後3日間生き延びたという話も伝わっています。信者たちはセシリアの遺体をカタコンブに葬りましたが、1599年に墓が開けられた際、聖女の遺体は千数百年を経てなお生々しく保存されていたそうです。

写実的に表現されたマデルノ作の聖セシリアの彫刻(写真)は有名です。聖セシリアは、首を切りつけられ、3日間の苦しみの後に殉教したことから、彫刻にも首に切りつけられた痕があります。
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聖セシリアは、伝説によると神を賛美するのに楽器を奏でながら歌ったと言い伝えられており、多くの絵画には楽器と一緒に画かれています。この絵は、シモン・ヴーエ作「聖セシリア(1626年)」です。
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教会日記2020.11.26(カトリック成城・聖タデオ教会「平日のミサ」木曜日) [教会日記]

今日も出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会の7時からの平日のミサに与りました。今日で、6月20日(土)にミサ(条件付き公開ミサ)が再開されてから160日間連続してミサに与ったことになります!平日(7時から)のミサがない土曜日(土曜日は18時から主日のミサ)を除いて毎日4時15分起きです!よく続いているものですね( ̄▽ ̄;) ところで、今朝は寒いですね~( ̄▽ ̄;) コロナも怖いしインフルエンザも怖いし、風邪をひかないようにしなければなりません!今日も爽やかな朝を迎えています!

ミサでは、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、行方不明となっている小学2年生の小倉美咲ちゃんが、元気な姿で両親の元に帰れるようにお祈りし、同僚の病が癒されますように、同僚のお嬢さんが健康な体となって元気に学校に通えるようにとお祈りしました。
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城山三郎のことば(第3日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「人生の持ち時間に大差はない。問題はいかにして深く生きるか、である。
深く生きた記憶をどれほど持ったかで、その人の人生は豊かなものにも、貧しいものにもなるし、深く生きるためには、ただ受身なだけではなく、あえて挑むとか、打って出ることも肝要となろう。」

城山三郎のことは、「城山三郎のことば(第1日目)2020.10.16」をご覧ください。
私には、この言葉は至極名言だと思います。ただ毎日を仕事と家庭だけで過ごしている(生きている)だけでは、人間としての“存在意義”がないと思います。せっかくこの世に生を受けたのであれば、“使命をもって積極的に生きる”ということを実践すべきです。これが「深く生きる」ということだと解釈します。

私の場合は、“人の為に為す”という生涯の使命が「深く生きる」ということになりますが、だれでもこの世(社会)に貢献できる何かを持っているのです。ただ、平凡に生活していると(受け身だと)気づかないですね。例えばボランティアで何かのお世話をするとか、趣味を生かして周りの人たちを楽しませるとか、なんでも考えられます。死に臨む時(即死でなければ)、ベッドに横臥して「納得の人生、この世に未練なし。神様の思し召し。」と一言つぶやいてから復活するまでの眠りにつきたいですね。
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カトリック成城・聖タデオ教会「ステンドグラス」のお話し [教会案内]

カトリック成城・聖タデオ教会の聖堂の外壁にあるステンドグラスです。このステンドグラスの絵は、アンドレイ・ルブリョフによるイコン『至聖三者』を模写したものですね。この『至聖三者』は、創世記におけるアブラハムを三天使が訪れた記述を、至聖三者の啓示・象徴として捉える伝統が正教会にはありますが、そのもてなしの食卓の情景を描いたイコンを元に三天使のみが描かれたものです。至聖三者(三位一体の神)そのものは描けないのですが、至聖三者を象徴する三天使を描いたイコンであるとされています。とてもキレイです!
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教会日記2020.11.25(カトリック成城・聖タデオ教会「平日のミサ」水曜日) [教会日記]

今日も出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会の7時からの平日のミサに与りました。今朝は雨天です。スーツだけでは寒いですね~( ̄▽ ̄;) 風邪をひかないようにしなければ!雨でも爽やかな朝を迎えています!

ミサでは、第一朗読担当で「ヨハネの黙示録」から第15章を朗読し、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、行方不明となっている小学2年生の小倉美咲ちゃんが、元気な姿で両親の元に帰れるようにお祈りし、同僚の病が癒されますように、同僚のお嬢さんが健康な体となって元気に学校に通えるようにとお祈りしました。
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「聖カタリナ」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日11月25日は、聖カタリナの祝日です。このブログの2019年11月25日に掲載した記事を再掲載いたします。カタリナ(287年~305年)は、エジプトのアレキサンドリアの貴族の家に生まれたことから「アレキサンドリアのカタリナ」とも呼ばれています。キリスト教の聖人で殉教者です。カトリック教会では伝統的に「十四救難聖人の一人とされており、ジャンヌ・ダルクと話したとされる聖人の一人です。

カタリナは、ある時、一人の隠修士からキリストの教えを聞き、直ちに洗礼を受けたといわれています。カタリナが18歳の時、ローマ皇帝マキシミヌスは、市民たちに偶像崇拝を命じ、従わない者は処罰することを公布しましたが、カタリナは、公に信仰を表わしたので、皇帝は50人の学者を集め、彼女を屈服させようとしました。
ところが、学者たちは彼女に感化されて、キリスト教こそ真の宗教であると公言して改宗してしまいました。憤慨した皇帝は学者全員を処刑しましたが、カタリナに対しては、その学識の豊かさと美しさに心をひかれていたので、彼女が信仰を捨てれば皇后にするとまで言いました。しかし、彼女が拒否したので皇帝は怒り、彼女を車輪に縛りつけて身を引き裂くという刑を執行するよう命じました。
その時、カタリナが目を天に向けて祈ると、「わたしの許に来なさい、愛しい妻よ。見なさい。天国の門はあなたに対して開かれている。あなたの殉教をほめたたえる者に、わたしは天国の慰めを約束しよう。」という声が天から聞こえてきたそうです。それでも彼女が命を落とさなかったため、最後は、斬首されました。彼女の遺体は、天使によってシナイ山に運ばれたと伝えられています。

画名は《アレクサンドリアの聖カタリナ》です。画家のミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオによって描かれた作品です。制作年は1598年ごろ。処刑された時に使われれた車輪や剣が画かれています。
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カタリナを敬う習慣は、8世紀ごろに東方教会から西方教会に伝わり、10世紀にはイタリアを中心に広まりました。釘を打った車輪と、イエス・キリストとの婚約指輪、剣などを持った姿で描かれている絵画が多いですね。若い女性、学者、弁護士などの守護の聖人とされています。
東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世(483~565)は、カタリナの遺体が天使によって運ばれたとされるシナイ山に聖カタリナ修道院を設立しました。シナイ山の聖カタリナ修道院は現在も機能している世界最古の修道院で、写本やイコンなどキリスト教美術の宝庫として知られています。
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教会日記2020.11.24(カトリック成城・聖タデオ教会「平日のミサ」火曜日) [教会日記]

今日も出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会の7時からの平日のミサに与りました。今朝は寒くなりましたね。先々週着ていたモッズコートを着てきました。今日も爽やかな朝を迎えています!

ミサでは、「聖アンデレ・ジュン・ラク司祭と同志殉教者」の記念日を偲んでお祈りしました。そして、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、行方不明となっている小学2年生の小倉美咲ちゃんが、元気な姿で両親の元に帰れるようにお祈りし、同僚の病が癒されますように、同僚のお嬢さんが健康な体となって元気に学校に通えるようにとお祈りしました。

【聖アンデレ・ジュン・ラク司祭と同志殉教者】
殉教した方々は、1625年から1886年にかけて、ベトナムで殉教した117人です。そのうち96人がベトナム人司祭、カテキスタ、第3会員で、その他外国人の21人はドミニコ会やパリ・ミッション会の司教や司祭でした。スペイン人のドミニコ会士、イグナチオ・デルカド司教とドミニコ・エナレス司教は、50年間ベトナムで働きいて逮捕され、1838年に斬首されたそうです。アンデレ・ジュン・ラク司祭は、1795年にベトナム北部のバックニン省で生まれ、異教徒の貧しい家庭で育ち、12歳のときハノイ市に家族とともに移り住みました。そこでカテキスタと出会い、信仰教育を受けた彼は自らもカテキスタとなり、1823年に司祭に叙階されました。国王による迫害のもとで何度も捕らえられましたが、信徒たちが集めた献金を王に献上して解放されました。多くの人に洗礼を授け、教区司祭として信徒を司牧していましたが、1839年に捕らえられ、激しい拷問を受けて12月21日に斬首されました。ベトナムでの信徒に対する拷問は残酷で、1847年に殉教した信徒17人のなかには、9歳の子どももいたそうです。117人は、1900年にレオ13世、1906年と1909年にピオ10世、1951年に教皇ピオ12世よって4回にわたって列福され、1988年6月19日に教皇ヨハネ・パウロ2世よってローマにおいて全員が列聖されました。
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「待降節」、「降誕祭」そして「降誕節」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今年も「クリスマス = 降誕祭」の正しい知識を学びましょう!このブログに2019年11月29日に掲載した記事を一部修正して再掲載いたします。
キリスト教カトリック教会では、イエス・キリストの誕生を祝う日である12月25日を「降誕祭(こうたんさい)」と呼んでいます。一般的には「クリスマス」と呼んでいますね。そして、キリスト教会の新年(1年間)は「待降節(たいこうせつ)」から始まります。待降節とは、11月30日の「聖アンデレの日」に最も近い日曜日から、12月24日(クリスマスイブ)までの約4週間で、最も早い年で11月27日、遅い年でも12月3日に始まります。つまり降誕祭の4つ前の日曜日から、降誕祭を準備する期間に入ります。その期間のことを待降節と呼んでいるのです。
次に「降誕節(こうたんせつ)」とは、イエス・キリストの降誕(主の降誕:12月25日)の“前晩の祈り”で始まり、イエス・キリストの公現(主の復活)後の主日(1月3日~13日の間の日曜日)の期間のことをいいます。日曜日で必ず終わるので、年によっては日が移動し、長い時は2週間と6日(20日間)、短い時で2週間(14日間)となります。
………ということで、今年の待降節が始まるのは、11月30日に一番近くて12月25日の4つ前の日曜日は11月29日(日)となりますから、クリスマス・ツリー、リースや降誕セット(プレセビオ)などの飾り付けを始める日は11月29日(日)となります。そして「公現(「主の復活」来年の1月3日)後の主日」=「主の洗礼」が1月10日(日)となりますから、飾りなどを片付ける日は1月10日(日)となります。日本では12月25日のクリスマス終了と同時にすぐにお正月の飾り付けとなりますから、信徒ではないご家庭は1月10日まで飾っておくのは難しいですね。
◯まとめ(2020年~2021年)
待降節:11月29日(日)~12月24日(木)
降誕祭:12月25日(金)「主の降誕」
降誕節:12月24日(木)「前晩の祈り」~1月10日(日)

降誕祭は、神のひとり子イエス・キリストの誕生を思い起こす日として古代から祝われてきました。イエス・キリストがいつ生まれたかは聖書には何も記載はありません。12月25日がイエスの誕生の日とする最古の記録は、4世紀のローマの「殉教者帰天日表」です。しかし、昔は地方によって1月6日に祝っていました。ちなみにロシア正教会は、今でも1月はじめにイエス・キリストの降誕を祝います。3月だという説もあります。ではなぜ、クリスマスは、12月25日に祝われるようになったのでしょうか?次の説が、有力であるといわれています。それは、昔むかしローマ帝国内では、太陽崇拝が広く行われていました。ローマ暦では12月25日が冬至で、この日を太陽誕生の祝日として祝っていたそうです。教会はこの祭日を取り入れ、「正義の太陽」であるイエス・キリスト誕生の日として祝うようになったそうです。

さて、日本では、キリスト教を信仰している・していないに関わらず、クリスマス・ツリーとリースくらいの飾り付けはしますが、欧米のカトリック教会やその影響の強い国々では、イエス・キリスト誕生の場面を“人形”で再現します。「ルカによる福音書」では、生まれたばかりのイエス・キリストを布に包んで「飼い葉桶に寝かせた」と書いてあり、これを「飼い葉桶」の意味から、イタリア語で「プレセピオ」、フランス語で「クレッシュ」、ドイツ語で「クリッペ」、英語で「クリブ」、スペイン語で「ベレン」と言います。日本では、一般的に“降誕セット”と呼んでいます。私は、11月29日(日)なんて待ちきれませんので、”せっかち”ではありますが神父様には内緒にし、我が家の“降誕セット(プリセピオ)”は昨夜のうちに飾ってしまいました!今年もやっちゃいました!(⌒-⌒; )

昨年、職場のカウンターに飾ったプレセピオです!手前にプレセピオの説明書きを貼りました。
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今年も自宅の自室にあるテーブルの上に飾ったプレセビオです。
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自宅用の多くはミニチュア(写真)で、教会によっては実物大の人形と小屋が仮設されることもあります。写真左の我が家の“降誕セット(プリセピオ)”を説明しますと、左から天使のお告げを聞いてやって来た子羊を抱いた羊飼い、足下には牛と羊、その右側には父親のヨセフ、その右側に天使、天使の前には飼い葉桶、その右側に母親である聖母マリア、その右側に東方の3人の博士(占星術の学者)と載ってきたラクダ(本当は3頭)があります。3人の博士は、黒人、白人、黄色人となっています。
ところで、生まれたばかりの赤ちゃんのイエス・キリストは飼い葉桶にはいません!
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なぜか?そうです!それはまだお生まれになっていないからです!お生まれになる12月24日から25日になってすぐの夜中に飼い葉桶に寝かせます。この習慣は世界共通です。ちなみに、居間に飾るクスマス・ツリーと玄関の扉に飾り付けるリースは、お約束の11月29日(日)に飾ります!
下の写真ですが、お生まれになるまでは、聖母マリア様の御像の前でおやすみです!
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イエス様がお生まれになった場所は、馬小屋が通説となっていますが、このプレセビオには馬はいません。牛とロバはいます。新約聖書の福音書には根拠となる記載はありません。旧約聖書の「イザヤ書」の第1章・第3節に、「牛は飼い主を知り、ロバは主人の飼い葉桶を知っている。しかし、イスラエルは知らず、わたしの民は見分けない。」とあり、ここから採られているのですね。また、欧米の教会では、小屋(日本語では「厩」もしくは「馬小屋」と書きますが、家畜小屋と考えたほうがいいでしょう)としての伝承が通例ですが、キリスト教正教会では洞窟と伝承され、イコンにもそのように描かれています。新約聖書の外典である「ヤコブ原福音書」には洞窟で産まれたと書いてあります。絵画がありますね。

新約聖書の福音書での根拠となる記載は次のとおりです。
◯新約聖書:「マタイによる福音書」第2章・第1~第11節
「イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。 王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。『ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。」

◯新約聖書:「ルカによる福音書」第2章・第1~第20節
「そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」 すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。 しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。」
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