今日の日記2020.5.15(ロール寿司!のお店) [日記]

カトリック三軒茶屋教会でのお祈りが終わって、東急世田谷線西太子堂駅&世田谷通り沿いにある、美味しいロール寿司を食べさせてくれる「太郎寿司」というお店で一杯やって帰ってきました。お店の客は私の一人でしたが、このご時世、やはり外食は慎重にですね( ̄◇ ̄;)
しかし!しかしです!冷えたビールと「サーモンアボロール(サーモンとアボガド)」は絶品です!美味すぎ!このお店のオーナーは、ニューヨークで10年間も寿司店をやっていたそうです。(ご飯少なめでお願いしました!)
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メニューです!どれも美味しそうです!
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教会日記2020.5.15(カトリック三軒茶屋教会「ロザリオの祈り」金曜日) [教会日記]

今日は仕事が終わってから世田谷区三軒茶屋に用事があったものですから、カトリック三軒茶教会でお祈りを捧げてきました。三軒茶屋教会は、2018年10月6日(土)の主日のミサに与って以来、約1年7ヶ月ぶりとなります。職場に一番近い教会ですので以前はよく訪問していましたが、随分と久しぶりの訪問となりました。
5月に入り、今は「聖母月」です。今日も静寂に包まれたお御堂でロザリオの祈り(一環)を心静かにお祈りすることができました。「新型コロナウィルスの感染が拡大しませんように、感染者の皆さんが早く治りますように、不安定となっている人々の心に平安が戻りますように」とお祈りしました。終息祈願をしました。
聖堂入口付近にある聖母マリア様のご像です。まわりのお花がキレイですね!
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静寂のお御堂で心静かにお祈りできました。今日は仕事で最高に嬉しいことがあり、とにかく感謝感謝です!
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『健康を求める祈り』をお祈りしました。
『すべてを造り、新たにする方、
わたしのいのちの源、神の聖なる霊、
聖マリアとともに、あなたを礼拝し、感謝し、愛します。
あなたは、全宇宙にいのちを与え、活気づける方です。
わたしたちに健康を保たせ、
いのちをおびやかし危険にさらす病気から
解放してください。
あなたの恵みに助けられ、
神の栄光と、わたしの魂の善と、
兄弟姉妹への奉仕のために、
わたしのすべての力を常に用いることを約束します。
医師と、看護にあたるすべての人に、
あなたの知識と聡明の賜物を与え、照らしてください。
いのちをおびやかし危険にさらす病気の原因を知り、
予防と回復のため、
より効果ある治療がなされますように。
聖なるおとめ、いのちの母、病人のいやしである御母、
わたしのこの貧しい祈りをあなたにゆだねます。
あなたは神の母、わたしたちの母、
あなたの執り成しをもって、
この祈りに力を添えてください。
アーメン」

続いて、『新型コロナウイルス感染症に苦しむ世界のための祈り』をお祈りしました。
「いつくしみ深い神よ、
新型コロナウイルスの感染拡大によって、
今、大きな困難の中にある世界を顧みてください。
病に苦しむ人に必要な医療が施され、
感染の終息に向けて取り組むすべての人、
医療従事者、病者に寄り添う人の健康が守られますように。
亡くなった人が永遠のみ国に迎え入れられ、
尽きることのない安らぎに満たされますように。
不安と混乱に直面しているすべての人に、
支援の手が差し伸べられますように。
希望の源である神よ、
わたしたちが感染拡大を防ぐための犠牲を惜しまず、
世界のすべての人と助け合って、
この危機を乗り越えることができるようお導きください。
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
希望と慰めのよりどころである聖マリア、
苦難のうちにあるわたしたちのためにお祈りください。」
新型コロナウイルス肺炎が早く終息するよう、一人でも多くの皆さんと一緒にお祈りしましょう!
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遠藤周作のことば(第1日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「黄昏の砂漠は歩きづらいが、振り返ると波打ちぎわに自分の足跡が、自分だけの足跡が、一つ一つ残っている。アスファルトの道は歩きやすいが、そこに足跡など残りはしない。 」

遠藤周作(えんどう しゅうさく:1923年~1996年)は、東京府北豊島郡西巣鴨町(現在の東京都豊島区北大塚)で生まれ、キリスト教カトリックのクリスチャンで小説家(クリスチャン作家)です。随筆、文芸評論や戯曲も多く手がけています。灘中学校、慶應義塾大学卒業。文化勲章受章者です。有名ですので皆さんご存知と思います。
遠藤氏は町田市玉川学園二丁目にお住まいでしたので、遠藤ご夫妻は私が所属するカトリック町田教会に約25年間通われていたそうです。小田急線玉川学園前駅から電車に乗って町田駅まで一駅ですが、歩けない距離ではないですから、散歩を兼ねて歩いて教会に通われたかもしれませんね。
ちなみに、戦後日本文学の金字塔にして世界20カ国以上で翻訳され、今も読み継がれている遠藤氏の「沈黙」は、アカデミー賞受賞監督のマーティン・スコセッシが、映画「沈黙―サイレンス―」として製作しています。3年前に日本全国で上映されました。私も観ましたが、詳細はこのブログの「映画『沈黙―サイレンス―』のお話し」2017.1.29」https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2017-01-29 をご覧下さい。

この言葉ですが、「砂地は歩きにくい」と「アスファルトは歩きやすい」で対比され、また、「足跡が残っている」と「足跡など残りはしない」とで対比されています。
私の解釈ですが、①人生の晩年期(=黄昏)になっても、苦労をして一生懸命に生きれば(=砂地を歩けば)、若い時からの努力や苦労は報われ、必ずや人生を全うした証が残るものです。しかし、楽をして生きれば(アスファルトを歩けば)、若い時からの努力して苦労は報われることはなく、人生をまっとうしたことにはならない。人生は最後まで一生懸命生きることが大切なのです。
②人生の晩年期(=黄昏)を迎えて人生を振り返った時、若いころから苦労を重ねて生きてきた人( = 砂漠を歩いてきた人)は、その生きてきた証し(足跡)はきちんと残るものです。しかし、若いころから苦労せず楽をして生きてきた人( = アスファルトの道を歩いてきた人)は、その生きてきた証し(足跡)は残らないということです。
「生きてきた証し(足跡)」とは、例えば善行や篤行だったり、貢献や功績などと解釈できます。若い人達に伝えた言葉ですね。
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