支援活動日記2020.5.7(山谷夜回りの会活動) [支援活動日記]

今夜は、仕事が終わってからホームレス支援活動グループ「山谷夜回りの会」の活動に参加しました。先月4月の2回の支援活動は、体調が思わしくなく非常事態宣言が出たこともありお休みをいただきました。
「山谷夜回りの会」は、東京の寄せ場地域(日雇い労働者の町)である山谷地区で暮らす野宿者(ホームレス)の皆さんに、おにぎりや生活に必要な物資を夜回りしてお届けしている団体です。第一・第三木曜日の19時30分にJR南千住駅改札前に集合し、おにぎりや日用品などをホームレスの皆さんに届けます。「山谷夜回りの会」の詳細は、ホームページをご覧ください。
https://yomawari.yomibitoshirazu.com/
19時30分集合場所のJR南千住駅です。
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私の自宅最寄駅のJR横浜線相原駅まで940円です( ̄◇ ̄;) 写真の真ん中にあります!
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今夜も台東区端の泪橋交差点から少し歩いた所にある、約200mの<いろは商店街(以前はアーケード商店街でした)>に、ビニールシートで寝ている方を含めて60人ほどのホームレスの皆さんが私達を待っていました。以前は毎回120人ほどはいらしたのですが、当時からすると随分少なくなりました。集まった支援者は11人でホームレスの皆さんに、唐揚げ弁当、パン、マスク、タオル、軍手、石鹸、歯ブラシ、髭剃り、靴下、上下の下着類、ジャケット類、ズボン類などをお配りしました。集まった支援者は、私のような仕事帰りの方や若い大学生など、皆さん使命感を持って支援活動に取り組んでいます。
支援活動地域にある「神の愛の宣教者会 山谷の家」の入口にある聖母マリア様のご像です!
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5月になり、気候も過ごしやすくなってきましたが、新型コロナウイルス肺炎の感染のこともあり、皆さんの健康が心配されます。ホームレスの皆さんの生活環境は、経済的なことだけでなく衛生的にも極めて悪い環境にあります。寝るところろが路上となったりしますから、体調管理には充分に気を付けていただきたいですね。活動が終了して反省会を行って、21時過ぎごろに解散し、今は帰りの電車の中です 。
東京スカイツリーが近くに大きく見えます!
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旧約聖書:出エジプト記・第20章・第2〜第3節 [聖書]

「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。」

これは、有名なモーセの「十戒」の第一に定められている聖句です。神は唯一であるということで、キリスト教は「一神教」なのです。日本のように山の神、川の神、火の神などなど「多神教」ではないのです。ちなみに、イスラーム(イスラム教)も一神教ですね。
その唯一の神様を信じて洗礼を受け、キリスト者(クリスチャン)=キリスト教の信徒になったわけです。ところが、その信徒の方が、新型コロナウイスル肺炎に感染しないようにと、「占い」を気にしているのです(; ̄O ̄)それも何人もいるのですよ~(⌒-⌒; )

「占い」は、多神教を信じる日本人の弱いところかもしれません。新聞、雑誌やテレビで占いをやっています。12星座占い、四柱推命、六星占術、風水、手相占い、血液型占い、運勢占から、心霊術や霊媒術までいろいろとあります。全部占っていたら、その日の占いは吉凶すべてに該当してしまいますね(⌒-⌒; )
私たちは、毎日元気に過ごそうと願いますが、明日の自分の命はどうなるか分かりません。毎日まいにち、ニュースや新聞で交通事故などが報道され、いろいろなことが原因でケガをしたり、人の命が亡くなっています。私たち人間は、それを回避しょうと占いなどに頼って(信じて)行動してしまうわけですね。

実は、このような占いや呪い(まじない)は、「わたしをおいてほかに神があってはならない」とおっしゃっている神様のお言葉に反する冒涜なのです。これは、私たちキリスト者が忌み嫌う偶像崇拝でもあります。私たち人間には、一寸先のことは分かりません。イエス・キリストへの深い信頼があればこそ、私たち一人一人を愛してくださっている神が、私たちのためによく計らってくださらないはずがないと、神のみ摂理にゆだねることができるのですね。
私たちの信仰がぐらついて心がふらふらしていると、新型コロナウイルス肺炎感染のような心配ごとがあった場合、つい、「あの占いはよく当たるよ!」との評判を気にして、その占いに頼って信じてしまうのです。これは、私たちの不信仰のなせるわざであり、神への信頼のなさと言えます。神ではなく、このような占いの力を借りて困難を乗り越えようとすることは、信仰を持つ者のすべきことではないのです!
まぁ、このような信徒のほとんどは、普段から祈らない人たちですね。お祈りに熱心な信徒に、占いなどを信じる人は一人もいませんからね。
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