教会日記2020.5.28(カトリック成城教会「ロザリオの祈り」木曜日) [教会日記]

今日も仕事が終わってから帰り道を小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城教会でお祈りを捧げてきました。非常事態宣言が解除となり、成城教会も4月8日(水)以来、約1ヶ月半ぶりに聖堂の閉鎖が解除となってお御堂でのお祈りができるようになりました。通勤経路上にある教会のお御堂でのお祈りできるのはとても助かりますね。
5月の「聖母月」も終わりに近づきましたが、今日も静寂に包まれたお御堂でロザリオの祈り(一環)を心静かにお祈りすることができました。「新型コロナウィルスの感染が拡大しませんように、感染者の皆さんが早く治りますように、不安定となっている人々の心に平安が戻りますように」とお祈りしました。

『健康を求める祈り』をお祈りしました。
『すべてを造り、新たにする方、
わたしのいのちの源、神の聖なる霊、
聖マリアとともに、あなたを礼拝し、感謝し、愛します。
あなたは、全宇宙にいのちを与え、活気づける方です。
わたしたちに健康を保たせ、
いのちをおびやかし危険にさらす病気から
解放してください。
あなたの恵みに助けられ、
神の栄光と、わたしの魂の善と、
兄弟姉妹への奉仕のために、
わたしのすべての力を常に用いることを約束します。
医師と、看護にあたるすべての人に、
あなたの知識と聡明の賜物を与え、照らしてください。
いのちをおびやかし危険にさらす病気の原因を知り、
予防と回復のため、
より効果ある治療がなされますように。
聖なるおとめ、いのちの母、病人のいやしである御母、
わたしのこの貧しい祈りをあなたにゆだねます。
あなたは神の母、わたしたちの母、
あなたの執り成しをもって、
この祈りに力を添えてください。
アーメン」

続いて、『新型コロナウイルス感染症に苦しむ世界のための祈り』をお祈りしました。
「いつくしみ深い神よ、
新型コロナウイルスの感染拡大によって、
今、大きな困難の中にある世界を顧みてください。
病に苦しむ人に必要な医療が施され、
感染の終息に向けて取り組むすべての人、
医療従事者、病者に寄り添う人の健康が守られますように。
亡くなった人が永遠のみ国に迎え入れられ、
尽きることのない安らぎに満たされますように。
不安と混乱に直面しているすべての人に、
支援の手が差し伸べられますように。
希望の源である神よ、
わたしたちが感染拡大を防ぐための犠牲を惜しまず、
世界のすべての人と助け合って、
この危機を乗り越えることができるようお導きください。
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
希望と慰めのよりどころである聖マリア、
苦難のうちにあるわたしたちのためにお祈りください。
アーメン」

そして、最後に『聖母の御助け(おんたすけ)を求める祈り』をお祈りしました。
「教会の母である聖マリア、
あなたは、「絶えざる御助けの聖母」と呼ばれ、
果てしない信頼を起こさせてくださいます。
いつ、どこにおいても、
私(たち)をお助けくださいますよう、
心から祈り求めます。
特に、困難に出会った時、
病気の時、
誘惑を受けた時、
罪を犯した時、
人生のあらゆるみじめさの中にあって、
ことに臨終の時、私(たち)をお助けください。
幼子のような信頼をもって、
あなたのご慈愛と、
絶えざる御助けをいただくことができますように。
アーメン」



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新約聖書:テサロニケの人々への第一の手紙・第5章・第12〜第22節 [聖書]

「兄弟のみなさん、あなたがたにお願いします。あなたがたの間で労苦し、主に結ばれているあなた方のために配慮をし、あなた方に忠告を与える人々を認め、その任務の故に彼らを、愛をこめてこの上なく尊敬してください。互いに平和を保ちなさい。
兄弟のみなさん、あなたがたに勧めます。けじめのない生活を送る人たちに忠告を与え、小心な人たちを励まし、か弱い人たちの面倒をみてあげなさい。誰に対しても寛容でありなさい。誰に対しても悪に悪を返すことがないようによく注意し、お互いの間で、またすべての人に対して、いつも善を行うよう励みなさい。
いつも喜びを忘れずにいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることなのです。霊を消してはなりません。預言を侮らないようにしなさい。そのすべてをよく吟味しなさい。そのうえで道理にかなったことを大切に保ち、悪いことならどんなことであっても、それに近づいてはなりません。」
『原文校訂による口語訳 フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

「テサロニケの人々への第一の手紙」は、新約聖書に収録された一つの書簡(手紙)です。別名「テサロニケの信徒への手紙第一」とか、「フェサロニカ人に達する前書」とも呼ばれています。テサロニケは、現在のギリシャ共和国の第2の都市「テッサロニキ」のことですね。この書簡は、使徒パウロの書簡の中で最も早い時期、おそらく紀元51年ごろに書かれたものであるとみなされています。キリスト教内の伝承から新約聖書学にいたるまで、この書簡の筆者が使徒パウロであることを疑う意見はほとんどありません。

テサロニケにキリスト教を布教したのは使徒パウロが最初であり、その教会は彼が設立したようです。この書簡は、信徒テモテがマケドニアからコリントの使徒パウロのもとへ戻った後で、テサロニケの教会の様子を知って書いたと考えられています。使徒パウロは、テサロニケの教会が良い状態にあることを喜びつつも、自分の教えが間違ってとらえられていることにも気づいて、この手紙によってそれらの誤りを正していることが分かります。模範的な信徒となって、聖なるものになることを神が望んでいると強調しているのですね。

この掲載した部分は、「キリスト者の務め」(=クリスチャンの務め)という題が付いています。「兄弟」とは、本来の意味の兄弟というよりも、自分に関係する隣人のことを指します。書簡の中段の部分に、「いつも喜びを忘れずにいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」とあります。聖書の中の有名な言葉で、私の所属しているカトリック町田教会では掛け軸にしてロビーに掛けてあります。キリスト教の信徒としての“心構え”ですね。やはり第一に「喜び」がきますが、これは「平安(平和)」ということと解釈します。そして「祈り」がきます。次に「感謝」ですね。「いつも喜びを忘れずにいなさい。」とは、そこには怒り、憤り、妬み、恨み、誹りなどの悪意はまったくない、平安な日々があるわけです。平安と希望は喜びです。

「絶えず祈りなさい。」は、これこそキリスト者(クリスチャン)の基本姿勢ですね。神様に祈るとは、悩んでいる人達のため、弱い立場の人達のため、病気で苦しんでいる人達のために祈るのです。人のために祈ることは善い行いとなるのです。「どんなことにも感謝しなさい。」とは、一般的な感謝のことを意味しますが、それだけでなく“隣人への愛と赦し”ができることへの感謝ですね。愛も赦しも自発的なものですから、感謝することではないように感じるかもしれませんが、これは“表裏一体”なのです。「隣人への愛をもつことができること。隣人への赦しができること。」この“できることへの感謝”なのですね。
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