教会日記2020.5.20(カトリック松原教会「ロザリオの祈り」水曜日) [教会日記]

今日も仕事が終わってから帰りの通勤経路を変更して京王線明大前駅で途中下車し、カトリック松原教会でお祈りを捧げてきました。先月中旬ごろから松原教会でお世話になっていますが、毎日21時までお御堂が解放されていますので助かります。
5月の「聖母月」も終盤に入り、今日も静寂に包まれたお御堂でロザリオの祈り(一環)を心静かにお祈りすることができました。「新型コロナウィルスの感染が拡大しませんように、感染者の皆さんが早く治りますように、不安定となっている人々の心に平安が戻りますように」とお祈りしました。

『健康を求める祈り』をお祈りしました。
『すべてを造り、新たにする方、
わたしのいのちの源、神の聖なる霊、
聖マリアとともに、あなたを礼拝し、感謝し、愛します。
あなたは、全宇宙にいのちを与え、活気づける方です。
わたしたちに健康を保たせ、
いのちをおびやかし危険にさらす病気から
解放してください。
あなたの恵みに助けられ、
神の栄光と、わたしの魂の善と、
兄弟姉妹への奉仕のために、
わたしのすべての力を常に用いることを約束します。
医師と、看護にあたるすべての人に、
あなたの知識と聡明の賜物を与え、照らしてください。
いのちをおびやかし危険にさらす病気の原因を知り、
予防と回復のため、
より効果ある治療がなされますように。
聖なるおとめ、いのちの母、病人のいやしである御母、
わたしのこの貧しい祈りをあなたにゆだねます。
あなたは神の母、わたしたちの母、
あなたの執り成しをもって、
この祈りに力を添えてください。
アーメン」

続いて、『新型コロナウイルス感染症に苦しむ世界のための祈り』をお祈りしました。
「いつくしみ深い神よ、
新型コロナウイルスの感染拡大によって、
今、大きな困難の中にある世界を顧みてください。
病に苦しむ人に必要な医療が施され、
感染の終息に向けて取り組むすべての人、
医療従事者、病者に寄り添う人の健康が守られますように。
亡くなった人が永遠のみ国に迎え入れられ、
尽きることのない安らぎに満たされますように。
不安と混乱に直面しているすべての人に、
支援の手が差し伸べられますように。
希望の源である神よ、
わたしたちが感染拡大を防ぐための犠牲を惜しまず、
世界のすべての人と助け合って、
この危機を乗り越えることができるようお導きください。
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
希望と慰めのよりどころである聖マリア、
苦難のうちにあるわたしたちのためにお祈りください。」
新型コロナウイルス肺炎が早く終息するよう、一人でも多くの皆さんと一緒にお祈りしましょう!
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遠藤周作のことば(第6日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「一度、神とまじわった者は、神から逃げることはできぬ。」

遠藤周作氏のことは、「遠藤周作のことば(第1日目)2020.5.15」をご覧ください。
遠藤氏の小説『鉄の首枷(くびかせ)』は、戦国時代の武将で切支丹(キリシタン)の小西行長の生涯を画いた小説です。その中にこの言葉が出てきます。この言葉は、遠藤氏の宗教観を表している言葉だという評があります。小説のストーリーは、文庫本が『鉄の首枷 - 小西行長伝』として 中公文庫から出版されていますので読んでいただくとして、この言葉は、一言で言うなら「小西行長の神への信仰と武将としての行い(戦における殺戮)との葛藤」のことばであると言えます。

ただ単にこの言葉だけを捉えてキリスト教的にお話しをしますと、「神様を信じて洗礼を受け信仰の道を歩んだ者は、その途中で棄教しても神様からは逃れられない。」ということですね。この言葉は、ある意味強制的に書かれていますが、信仰している私にとっては、この上ない喜びとするところで、「絶対に逃げませんから、捕まえておいてください!」とお祈りしたいところです(⌒-⌒; ) 別の言葉で表すと「信仰の道に入った者は、どんな試練を与えられても、神様は見捨てはしない。」となります。「逃げることはできぬ。」は、憐れみ深く慈悲深い神様のことですから「見捨てはしない。」ということになるのではないでしょうか。
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