新約聖書:テサロニケの人々への第一の手紙・第5章・第12〜第22節 [聖書]

「兄弟のみなさん、あなたがたにお願いします。あなたがたの間で労苦し、主に結ばれているあなた方のために配慮をし、あなた方に忠告を与える人々を認め、その任務の故に彼らを、愛をこめてこの上なく尊敬してください。互いに平和を保ちなさい。
兄弟のみなさん、あなたがたに勧めます。けじめのない生活を送る人たちに忠告を与え、小心な人たちを励まし、か弱い人たちの面倒をみてあげなさい。誰に対しても寛容でありなさい。誰に対しても悪に悪を返すことがないようによく注意し、お互いの間で、またすべての人に対して、いつも善を行うよう励みなさい。
いつも喜びを忘れずにいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることなのです。霊を消してはなりません。預言を侮らないようにしなさい。そのすべてをよく吟味しなさい。そのうえで道理にかなったことを大切に保ち、悪いことならどんなことであっても、それに近づいてはなりません。」
『原文校訂による口語訳 フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

「テサロニケの人々への第一の手紙」は、新約聖書に収録された一つの書簡(手紙)です。別名「テサロニケの信徒への手紙第一」とか、「フェサロニカ人に達する前書」とも呼ばれています。テサロニケは、現在のギリシャ共和国の第2の都市「テッサロニキ」のことですね。この書簡は、使徒パウロの書簡の中で最も早い時期、おそらく紀元51年ごろに書かれたものであるとみなされています。キリスト教内の伝承から新約聖書学にいたるまで、この書簡の筆者が使徒パウロであることを疑う意見はほとんどありません。

テサロニケにキリスト教を布教したのは使徒パウロが最初であり、その教会は彼が設立したようです。この書簡は、信徒テモテがマケドニアからコリントの使徒パウロのもとへ戻った後で、テサロニケの教会の様子を知って書いたと考えられています。使徒パウロは、テサロニケの教会が良い状態にあることを喜びつつも、自分の教えが間違ってとらえられていることにも気づいて、この手紙によってそれらの誤りを正していることが分かります。模範的な信徒となって、聖なるものになることを神が望んでいると強調しているのですね。

この掲載した部分は、「キリスト者の務め」(=クリスチャンの務め)という題が付いています。「兄弟」とは、本来の意味の兄弟というよりも、自分に関係する隣人のことを指します。書簡の中段の部分に、「いつも喜びを忘れずにいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」とあります。聖書の中の有名な言葉で、私の所属しているカトリック町田教会では掛け軸にしてロビーに掛けてあります。キリスト教の信徒としての“心構え”ですね。やはり第一に「喜び」がきますが、これは「平安(平和)」ということと解釈します。そして「祈り」がきます。次に「感謝」ですね。「いつも喜びを忘れずにいなさい。」とは、そこには怒り、憤り、妬み、恨み、誹りなどの悪意はまったくない、平安な日々があるわけです。平安と希望は喜びです。

「絶えず祈りなさい。」は、これこそキリスト者(クリスチャン)の基本姿勢ですね。神様に祈るとは、悩んでいる人達のため、弱い立場の人達のため、病気で苦しんでいる人達のために祈るのです。人のために祈ることは善い行いとなるのです。「どんなことにも感謝しなさい。」とは、一般的な感謝のことを意味しますが、それだけでなく“隣人への愛と赦し”ができることへの感謝ですね。愛も赦しも自発的なものですから、感謝することではないように感じるかもしれませんが、これは“表裏一体”なのです。「隣人への愛をもつことができること。隣人への赦しができること。」この“できることへの感謝”なのですね。
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