遠藤周作のことば(第1日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「黄昏の砂漠は歩きづらいが、振り返ると波打ちぎわに自分の足跡が、自分だけの足跡が、一つ一つ残っている。アスファルトの道は歩きやすいが、そこに足跡など残りはしない。 」

遠藤周作(えんどう しゅうさく:1923年~1996年)は、東京府北豊島郡西巣鴨町(現在の東京都豊島区北大塚)で生まれ、キリスト教カトリックのクリスチャンで小説家(クリスチャン作家)です。随筆、文芸評論や戯曲も多く手がけています。灘中学校、慶應義塾大学卒業。文化勲章受章者です。有名ですので皆さんご存知と思います。
遠藤氏は町田市玉川学園二丁目にお住まいでしたので、遠藤ご夫妻は私が所属するカトリック町田教会に約25年間通われていたそうです。小田急線玉川学園前駅から電車に乗って町田駅まで一駅ですが、歩けない距離ではないですから、散歩を兼ねて歩いて教会に通われたかもしれませんね。
ちなみに、戦後日本文学の金字塔にして世界20カ国以上で翻訳され、今も読み継がれている遠藤氏の「沈黙」は、アカデミー賞受賞監督のマーティン・スコセッシが、映画「沈黙―サイレンス―」として製作しています。3年前に日本全国で上映されました。私も観ましたが、詳細はこのブログの「映画『沈黙―サイレンス―』のお話し」2017.1.29」https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2017-01-29 をご覧下さい。

この言葉ですが、「砂地は歩きにくい」と「アスファルトは歩きやすい」で対比され、また、「足跡が残っている」と「足跡など残りはしない」とで対比されています。
私の解釈ですが、①人生の晩年期(=黄昏)になっても、苦労をして一生懸命に生きれば(=砂地を歩けば)、若い時からの努力や苦労は報われ、必ずや人生を全うした証が残るものです。しかし、楽をして生きれば(アスファルトを歩けば)、若い時からの努力して苦労は報われることはなく、人生をまっとうしたことにはならない。人生は最後まで一生懸命生きることが大切なのです。
②人生の晩年期(=黄昏)を迎えて人生を振り返った時、若いころから苦労を重ねて生きてきた人( = 砂漠を歩いてきた人)は、その生きてきた証し(足跡)はきちんと残るものです。しかし、若いころから苦労せず楽をして生きてきた人( = アスファルトの道を歩いてきた人)は、その生きてきた証し(足跡)は残らないということです。
「生きてきた証し(足跡)」とは、例えば善行や篤行だったり、貢献や功績などと解釈できます。若い人達に伝えた言葉ですね。
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