今日の日記2020.3.22(大学構内の桜) [日記]

今はお昼休みです。
今日は日曜日ですが、至急を要する資料作成のため仕事で出勤です。大学構内の桜も満開を迎えました。毎年のことながら綺麗ですね~(*^▽^*) 左側の銅板葺き屋根の木造の建物は、大正8年に完成した「国士舘 大講堂」です。文化庁から国登録有形文化財に指定されています。大講堂前の銅像は、国士舘の創立者で、正四位・勲二等(瑞宝章)・経済学博士の柴田徳次郎先生像です。
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キング牧師のことば(第1日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「人は兄弟姉妹として、共に生きていく術を学ばなければならない。
それが出来なければ、私たちは愚か者として共に滅びることになる。」

マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(1929年~1968年)は、アメリカ合衆国のキリスト教プロテスタントの牧師です。「キング牧師」の名で有名ですね。アフリカ系アメリカ人公民権運動の指導者として活躍しました。「I Have a Dream(私には夢がある)」で知られる有名な演説を行い、1964年にノーベル平和賞を受賞、アメリカの人種差別(特にアフリカ系アメリカ人への人種差別)の歴史を語る上で、なくてはならない重要人物です。

1862年に、エイブラハム・リンカーン大統領によって行われた「奴隷解放宣言」により、アメリカ合衆国での奴隷制度は廃止されました。しかし、奴隷制度からの解放は直ちに人種差別の撤廃を意味するものではなく、その後も人種によって取り扱いを異なるものとすることや、特に学校やトイレ、プールなどの公共施設やバスなどの公共交通等において、白人と非白人等の区別に基づいて異なる施設を用いることは容認されたままだったのです。この人種差別撤廃を目指し、キング牧師は公民権運動(人種差別撤廃運動)をあらゆる困難に遭いながらも、非暴力主義を貫いて1968年に暗殺される最後の最後まで続けました。

1963年8月28日に行われたワシントン大行進において、リンカーン記念堂の前で有名な“I Have a Dream”(私には夢がある)で始まる演説を行い、人種差別の撤廃と各人種の協和という崇高な理想を簡潔な文体と平易な言葉で訴え広く共感を呼びました。演説は即興で行われたそうで、その内容は高く評価され、1961年に就任したジョン・F・ケネディの大統領就任演説と並び20世紀のアメリカを代表する名演説として有名になっています。一度、インーネットで「キング牧師 私には夢がある」で検索してください。ワシントン大行進の際の演説全文を掲載したサイトが見つかると思います。

キング牧師の言葉にある「兄弟姉妹」とは、肉親の兄弟姉妹という意味ではなく、私達の周りにいる人々、つまり「隣人」のことであり、広義の意味では世界の人々ということになります。ですから、平和に暮らすには、肌の色、目の色、髪の毛の色が違うという人種の違う、宗教の違う、政治体制の違う人々と共存共生することが求められます。キング牧師は、平和な社会を築くためには、そういう共存共生の「術(すべ)」を学ばねばならないと説いています。そうでないと、人間関係が不和になり、差別が蔓延し、それが喧嘩や争いとなり、やがて紛争、戦争の世の中になり、人類は愚か者として滅ぶことになりかねないからですね。すべての人が自戒すべき大切な言葉です。
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ロザリオのお話し(その32) [ロザリオ日記]

イタリア南部のナポリ&ポンペイ辺りを旅行して、帰国後、3週間近く自宅待機されていた、とってもお美しいご婦人からいただいたお土産のロザリオです。旅行したのがイタリア北部でなくてよかったですね(⌒-⌒; ) ご一緒されたグループの皆さんも健康を維持されているとのことですから、新型コロナウイルスには感染していませんね。大丈夫です。
このロザリオは、イタリア・ベネチア特産のベネチアンガラス(ヴェネツィアン・グラス)のガラス玉が使われています。ムラーノ(ムラノ)島で造られていますから、ムラーノ・ガラスとも呼ばれます。光に照らすとキラキラしてとってもきれいです!またコレクションが増えました!
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青色のガラス玉の中にピンク色のバラの花のガラスや緑色の葉のガラスが見えますね。一つひとつのガラス玉が凝った造りをしています!
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河野進のことば(詩)(第4日目) [キリスト者(クリスチャン)]

『口ぐせ』
「きみ
天国を知ってるかね
知りません
人をほめるところだ
地獄を知ってるかね
知りません
人の悪口をいうところだ
賀川豊彦のくちぐせであった」

河野進のことは、「河野進のことば(詩)(第1日目)2020.3.16」をご覧下さい。
賀川豊彦の詳細は、「今日の言葉(クリスチャン)2012.7.24」
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2012-07-24 に掲載していますのでご覧下さい。私は、交際範囲が広いため、他人の悪口を言う機会に恵まれ過ぎています(⌒-⌒; )………ですから悪口を言う機会も多くなるとは言いませんが、ついつい他人の悪口を言ってしまいます(; ̄O ̄)………20代の若い頃は、呑み会となると上司の悪口で大いに盛り上がりました!………反省です。この歳になると、さすがに他人の悪口をいう気力?がなくなってきますが、悪口は“悪意”の一つですから絶対に言ってはいけないのです。クリスチャンともあろう者が、他人の悪口を言うなど地獄行きです!………とまではいかないものの、「告解(こっかい)」はしなければなりませんね。聴罪司祭に悪口を言った罪の告白をして『赦しの秘蹟(ゆるしのひせき)』を授けてもらうことです。今日も私の最も自戒とする詩でした。
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新約聖書:エフェソの信徒への手紙・第4章・第25〜第28節 [聖書]

「ですから、偽りを捨て、一人一人か隣人に真実を語りなさい。私たちは互いに体の部分だからです。怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。また、悪魔に隙を与えてはなりません。盗みを働く者は、もう盗んではいけません。むしろ、労苦して自分の手で真面目に働き、必要としている人に分け与えることができるようにしなさい。」
『聖書協会共同訳聖書』から

この言葉の中に、「日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。」とありますが、これは当時のユダヤ社会では、一日の始まりは“日没後からで、終わりは翌日の日没前まででした。つまり“日没”が一日の境目になっています。その一日の内に何事も納めて次の日に持ち越さないということです。

話しは変わりますが、当時は上着を「質」に入れた者には、お金を返すことができなくても、日没までに上着を本人に返さなければならなかったのです。旧約聖書の「申命記」第24章・第12~第13節に、次のとおり書いてあります。
「…もし、その人が貧しい場合には、その担保を取ったまま床に就いてはならない。 日没には必ず担保を返しなさい。そうすれば、その人は自分の上着を掛けて寝ることができ、あなたを祝福するであろう。あなたはあなたの神、主の御前に報いを受けるであろう。」
当時は、上着というのは非常に重要なもので何枚もあるようなものでなく、現在のように布団があったわけでもないので、この上着が布団や毛布代わりになるわけです。また、地べたに寝るわけですから、冬は当然ですが夏でも昼と夜の寒暖の差が激しいので、上着がないと寒くて寝られません。他はともかく上着だけは必要なわけです。訴えられて裁判になって他のものは質に取られたとしても、上着だけはその日の夕方までに返さなければならなかったのです。そういう社会だったのですね。
また、「悪魔にすきを与えてはなりません」とありますが、これは、“誘惑に落ちてはなりません”と私は解釈します。
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支援活動日記2020.3.19(山谷夜回りの会活動) [支援活動日記]

今夜は、仕事が終わってからホームレス支援活動グループ「山谷夜回りの会」の活動に参加しました。昨年の10月に、約5年半ぶりに支援活動に復帰(再開)してから今日で9回目、前回(3月5日)は体調不良ということで休みさせていただきました。
「山谷夜回りの会」は、東京の寄せ場地域(日雇い労働者の町)である山谷地区で暮らす野宿者(ホームレス)の皆さんに、おむすびや生活に必要な物資を夜回りしてお届けしている団体です。第一・第三木曜日の19時30分にJR南千住駅改札前に集合し、おにぎりや日用品などをホームレスの皆さんに届けます。「山谷夜回りの会」の詳細は、ホームページ(休止している?)をご覧ください。
https://yomawari.yomibitoshirazu.com/
今夜も台東区端の泪橋交差点から少し歩いた所にある、約200mの<いろは商店街(以前はアーケード商店街でした)>に、ビニールシートで寝ている方を含めて40人ほどのホームレスの皆さんが私達を待っていました。以前は毎回120人ほどはいらしたのですが。景気が良くなったのか随分少なくなりました。集まった12人でホームレスの皆さんに、パン、ホカロン(ホッカイロ)、タオル、石鹸、歯ブラシ、髭剃り、毛布、靴下、上下の下着類、ジャケット類、ズボン類などをお配りしました。今回は、いつも用意しているおにぎりやマスクはなかったですね。毎回のことですが、若い20歳代・現役大学生の皆さんが支援活動のお世話役として参加されており、きちんとした使命感を持って支援活動に取り組んでいるお姿は立派なものです。

先週末から昨日までのように3月になっても寒い日が続いたりしますので、新型コロナウイルス感染のこともあり、皆さんの健康が心配されます。ホームレスの皆さんの生活環境は、経済的なことだけでなく衛生的にも極めて悪い環境にあります。寝るところろが路上となったりしますから、体調管理には充分に気を付けていただきたいですね。活動が終了して反省会を行って20時40分ごろに解散し、今は帰りの電車の中です 。
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今日の日記2020.3.19(お昼ご飯) [日記]

今日のお昼ご飯は、学生食堂で「サンマ定食」を食べました。サンマは少々小ぶりですが、半ライスに生卵を付けて330円です。ご飯ですが、普通盛りが大盛りのようになりますから、いつも半ライスをお願いするのですが、半ライスになったことがありません。味噌汁はいつも具沢山です。さすが学生食堂ですね(⌒-⌒; ) 職場である大学構内に4箇所の学生食堂がありますが、この学生食堂は学生時代からもう40年ほどのお付き合いです。
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河野進のことば(詩)(第3日目) [キリスト者(クリスチャン)]

『一言』
「一言 足りなかった
悔いは幾度かある
だが いつかわかってもらえた
一言 多すぎた
悔いは幾度もある
だが あっさり忘れてくれても
わたしの心にとげはのこる」

河野進のことは、「河野進のことば(詩)(第1日目)2020.3.16」をご覧下さい。
まったくこの詩のとおりです!私の自戒とする詩です。
いつもは”言葉足らず”で後悔するのですが、一言多いのは相手を傷つけたり、嫌な思いにさせたりしますからもっと後悔しますね。しかし、私の場合はやはり“言葉足らず”での後悔が多いのです。言葉足らずで誤解を生じさせ、結局は自分自身が悩むことになるのです。
河野氏は、“一言多すぎた”ことは自分の心にトゲが残ると述べていす。どちらも後悔することになるのですが、相手のことを考えると一言多い方が問題ですね。孔子の言葉のとおり「過ぎたるは、なお及ばざるがごとし」です。足らないくらいでいいのかもしれませんね。

【過ぎたるは、なお及ばざるがごとし】
詳細は、このブログの「過ぎたるは、なお及ばざるがごとしのお話し 2018.12.21」
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2018-12-21 をご覧下さい。
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教会日記2020.3.18(カトリック成城教会「ロザリオの祈り」水曜日) [教会日記]

今日は、仕事が終わってから帰り道を小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城教会で「ロザリオの祈り」一環を捧げてきました。
今夜は、私の他に一人いらして二人だけでした。静寂に包まれたお御堂で心静かにお祈りすることができました。聖母マリア様のご像の前でお祈りは、いつも安堵感で心が満たされます。新型コロナウィルスの感染が拡大しないように、感染者の皆さんが早く治るように、不安定となっている人々の心の平安をお祈りしました。ミサの中止は、今月末まで継続されることになりました。残念なことですね。

東京大司教区のタルチシオ菊地功大司教から、3月10日付けで次のとおり「新型コロナウイルス感染症に伴う3月15日以降の対応」としてお知らせが出ました。東京大司教区のホームページをご覧ください。https://tokyo.catholic.jp/info/diocese/ またミサが遠のいてしまいました〜( ̄◇ ̄;) ますますお祈りに専念ですね!
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旧約聖書:シラ書(集会の書)第4章・第4節 [聖書]

「悩んで助けを求める人を拒むな。貧しい人から顔を背けるな。」

前半の言葉は、言葉のとおり理解できますね。助けを求めている人を助けるのは当たり前のことです。そして、後半の言葉の「貧しい人」とは、そのまま経済的に(金銭的に物質的に)貧しい人という意味に解釈しますが、それよりも「心の貧しい人」、「愛のない人」と解釈します。心の貧しい、愛のない人ほど哀れな、可哀想な人はいませんね。そのような人に無関心であってはならないのです。そのような人にこそ手を差し伸べることが大切なのです。
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