『災害被災者のための祈り』 [祈り]

阪神淡路大震災、東日本大震災、能登半島地震など、多くの災害でお亡くなりになられた方々、被災された皆さんのためにお祈りください。

「父である神よ、
すべての人に限りないいつくしみを注いでくださるあなたに、
希望と信頼をこめて祈ります。
災害によって、苦しい生活を送り、
不安な日々を過ごす人々の心を照らし、
希望を失うことがないよう支えてください。
また、亡くなられた人々には、永遠の安らぎをお与えください。
すべての人の苦しみを担われたキリストが
いつもともにいてくださることを、
祈りと行動によってあかしできますように。
わたしたちの主イエス・キリストによって。
アーメン。」
(2021 年 2 月 16 日 日本カトリック司教協議会認可)
◯戦争で、空襲にあったような被災地の状況です。
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能登半島地震義援金と祈りのお願い! [祈り]

カトリック教会信徒の皆様の祈りを発揮する時です!
能登半島地震で被災された皆さんと被災地ために祈りと義援金お願いいたします!この厳寒のなか、生きるためギリギリの生活を強いられている被災地の皆さんを祈りと義援金で応援しましょう!犠牲になられた方の永遠の安息、被災地の皆さんに主の平安と恵み、そして、被災地が一刻も早く復興できるようにお祈りを捧げましょう!
<義援金窓口のご紹介>
次の2つをご紹介しましたが、皆さんがお住いの行政機関(市町村役場など)も受付けていますので、行政機関のホームページをご覧になるか、代表電話にお問い合わせください。
◯石川県
令和6年(2024年)能登半島地震に係る災害義援金の受付について
https://www.pref.ishikawa.lg.jp/suitou/gienkinr0601.html
◯日本赤十字社
令和6年能登半島地震災害義援金(石川県、富山県、新潟県)
https://www.jrc.or.jp/contribute/help/20240104/
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『きょうをささげる 祈りのしおり2024』のご紹介 [祈り]

2024年版『きょうをささげる 祈りのしおり2024』が発刊されました!
この小さな冊子は、一年12か月、毎月ごとに「教皇の意向」と「日本の教会の意向」の祈りの言葉、教会歴と毎日の福音朗読箇所が掲載されています。私が所属するカトリック成城・聖タデオ教会では、毎朝7時からの平日のミサで、その月の「教皇の意向」と「日本の教会の意向」、そして、成城教会の信徒のためなどの祈りを「共同祈願」としてお祈りしています。
ちなみに、成城教会での平日のミサは、月曜日から金曜日の早朝7時からで、現在は土曜日を中止しています。第一金曜日は、10時開式の「初金のミサ」となりますので、早朝7時からのミサはありません。なお、稀に中止となる場合があるかもしれませんので、詳しくは成城教会のホームページをご覧ください。せっかくですので他のページもご覧くださいね(*^▽^*)
◯ホームページ ・トップ → ニュース → 週報 で、該当する週の「今週の予定(来週の日曜日まで)」をご覧ください。アドレスは次のとおりです。https://www.seijo-church.com/
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書名:『きょうをささげる 祈りのしおり2024』
発刊:2023年10月10日
編集:祈祷の使徒・イエズス会霊性センター「せせらぎ」
発行:夢窓庵
定価:200円(税別)

◯『きょうをささげる祈り』
「主イエスよ
きょう一日の祈りと働き
喜びと苦しみのすべてを
教皇と日本の教会の意向に合わせて
お捧げします
母なるマリアよ
このささげものが
イエスのみ心にかなうものとなりますよう
とりなしてください」

◯『新しい奉献の祈り』
「父なる神よ、私はここにいます
あなたがいつも私とともにいてくださることを
私は知っています
日々の聖体祭儀において
私たちにご自身を与え続けている
あなたの子イエスのみ心のうちに
私の心をあずけます
私が行い、語るすべてにおいて
福音を生きることができるよう
聖霊が私を強めてくださいますように
きょうの私の祈り、働き、喜びと苦難のすべてを
あなたにささげます
私自身と私の持っているすべてを
あなたにささげます
教会の母である聖母マリアとともに
教会のミッションのために祈ります
祈祷の使徒に生きるすべての人々のために祈ります
そして今月の教皇の意向のために祈ります
アーメン」
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10月はロザリオの月・その3『ロザリオを唱える心を深める祈り』 [祈り]

今月10月は、カトリック教会においては「ロザリオの月」です。
毎朝の通勤電車の中で、『ロザリオの祈り』を一環唱えるという日課は、もう13年目になります。さて、このブログに『ロザリオの祈り』に関係する記事をたくさん書いていますが、今日は、その『ロザリオの祈り』を唱える心を深めるためのお祈りです。

『ロザリオを唱える心を深める祈り』
「父である神よ、
あなたは、おとめマリアを御子(おんこ)の母としてお選びになり、
救いの御業(みわざ)の協力者にしてくださったことを感謝いたします。
ロザリオの祈りをとおして、
聖母マリアと共に主イエス・キリストを迎える私(私たち)に、
あなたの恵みを絶えず願い求め、
御子(おんこ)の命にあずかる恵みをもたらすようにお助けください。
教会の母、聖母マリア、ロザリオを唱える私たちを護り、
特に、困難な時、また臨終の時に、
私たちのためにお取り次ぎください。
アーメン」

◯ご参考です。是非お読みください。
・「10月はロザリオの月」のお話し
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2023-10-01
・10月はロザリオの月・その2『ロザリオの祈り』を祈りましょう! 
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2023-10-03
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ミサが閉祭してからの祈り [祈り]

『ミサ後の祈り』という名称ですから、本来ならミサが閉祭した後にお祈りする祈りです。しかし、私の場合は、ミサが閉祭してから次の予定までに時間がないことが多く、聖堂をすぐに出なければならないため、「ミサ後の祈り」を祈れません。ですから、司祭からご聖体を拝領して席に戻った時にお祈りしています。

『ミサ後の祈り』
「すべての人が救われることを望まれる
いつくしみ深い御父よ。
今日わたしたちは、
このミサ聖祭にあずかる恵みをいただいて
心から感謝いたします。
どうぞ、御子イエスのいけにえによって、
わたしたちを清めてください。
いただいたこ聖体によって支えられて、
模範的な生活がおくれますように。
わたしたちの救いのために、
神の子羊となって、
十字架の上で尊い命をささげてくださったイエス、
これほどの愛にわたしたちを目ざめさせ、
道、真理、いのちであるあなたの協力者として、
み国の発展のために働くよろこびを与えてください。
聖母マリアの取り次ぎによってお願いいたします。
アーメン」
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「ノヴェナ」のお話し [祈り]

今夜は、カトリック麹町・聖イグナチオ教会での18時からの「年間第16金曜日のミサ」に与りましたが、ミサの開式の前に、『聖イグナチオ・ロヨラの取次を願う9日間の祈り』がありました。この「9日間の祈り」のことを「ノヴェナ」といいます。以前、このブログに掲載した記事を再度掲載いたします?
「ノヴェナ(ラテン語: Novem)」又は「ノヴェナの祈り」とは、17世紀にキリスト教で始まった信心業で、神が恵みを与えてくれるように願う祈りのこと又は聖母マリア様や聖人など、特定の崇敬対象に対して、神様への執り成しをしてくれるよう願う祈りのことで、9日間に渡って連続して祈る信心業のことをいいます。個人で行うノヴェナや集団で行うノヴェナがあります。

「ノヴェナ:Novem」は、ラテン語の「9つの」を意味する形容詞に由来しており、日本ではその訳として、「9日間の祈り」や「9日祈祷」などと訳されています、つまりは連続して9日間祈ることを意味しています。ノヴェナはそのほとんどがキリスト教カトリック教会、聖公会、東方正教会、プロテスタント教会のルター派教会によって行われています。

ノヴェナのお祈りは、祈祷書によるものやロザリオの連祷によるもの(ロザリオのノヴェナ)又は一日を通して短い祈りを唱えるものなどがあります。ノヴェナのお祈りは、慣例として小さな祈祷書などに印刷され、三位一体の神のうちの一つの位格への救いを求める祈り、聖母マリア様、天使や諸聖人への執り成しを求める各種の祈りがあります。

カトリック教会におけるノヴェナは、次の4つのカテゴリがあり、そのどれかに属します。
1 喪中又は葬儀の前
2 教会の祝日の前または晩の典礼の終わり(教会で行うことが必要となる場合が多い)
3 個人または集団による請願や罪の償い
4 免償(ゆるしの秘跡を受けており、教会で行うことが必要となる場合が多い)
標準の典礼規範によると、ノヴェナは家庭、教会、または厳粛な祈りを唱えられる場所ならどこでも実施できますが、いくつかの免償がつくノヴェナは、教会において実施することが必要となります。時々、特別なロウソクと香がノヴェナを実施する9日間に渡って共す場合があるそうです。「典礼憲章(Sacrosanctum Concilium)」の一般原則の最初の章は、一般のノヴェナについて、ガイドラインとして良く挙げられます。

ノヴェナを行うことは、イエス様が昇天された日と聖霊降臨の日の間は9日間であると考えられており、そしてこの間、弟子たちは祈りをし続けていたそうです。それは新約聖書:使徒言行録・第1章・第12節に「心を合わせて、ひたすら祈をしていた。」と記載されていることによります。

◯ノヴェナの例:「聖霊降臨(せいれいこうりん)のノヴェナ」(お祈りの言葉は、短くして簡素化しています。)
「聖霊降臨の主日」を迎えるにあたり、聖霊を待ち望み、9日間の祈り「ノヴェナ」をささげましょう。聖霊降臨のノヴェナを、使徒の女王マリアとともに、私たち一人ひとりの内に聖霊が降り、愛で満たされるよう祈りましょう。
第1日目
「すべての人の父である神よ。
あなたは聖霊降臨の神秘によって、
諸国の民を一つの聖なる教会に集めてくださいます。
聖霊を世界にあまねく注いでください。
教会の誕生にあたって行われた宣教の働きが、
今も信じる民を通して続けられ、
豊かな実りをもたらしますように。
わたしたちの主イエス・キリストによって。
アーメン。」

第2日目
「聖なる父よ、
あなたは、御子キリストの昇天の後、
約束された聖霊を送って、
永遠のいのちの門を開いてくださいました。
この偉大な神秘にあずかるわたしたちが、
信仰を深め、心をこめて、あなたに仕えることができますように。
わたしたちの主イエス・キリストによって。
アーメン。」

第3日目
「すべての人の父である神よ、
聖霊を世界にあまねく注いでください。
教会の誕生に当たって行われた宣教の働きが、
今も信じる民をとおして続けられ、
豊かな実りをもたらしますように。
わたしたちの主イエス・キリストによって。
アーメン。」

第4日目
「全能の父よ、
復活節を通して、
御子イエスの受難と栄光の神秘を祝ったわたしたちが、
日々の生活の中で、その喜びに生きることができますように。
わたしたちの主イエス・キリストによって。
アーメン。」

第5日目
「聖なる父よ、
聖霊をわたしたちの上に注いでください。
日々の生活の中で、いつもみ旨を行うことができますように。
わたしたちの主イエス・キリストによって。
アーメン。」

第6日目
「いつくしみ深い主よ、
あなたの霊を送ってください。
わたしたちが、そのふさわしい住まいとなり、
平和と喜びに満たされますように。
わたしたちの主イエス・キリストによって。
アーメン。」

第7日目
「万物の造り主である神よ、
わたしたちを聖霊のたまもので満たしてください。
いつも、みこころにかなうことことを求め、
み旨を行う者となることができますように。
わたしたちの主イエス・キリストによって。
アーメン。」

第8日目
「いつくしみ深い父よ、
あなたの教会をかえりみてください。
聖霊によって集められたわたしたちが、
心と思いを一つにして、あなたに仕えることができますように。
わたしたちの主イエス・キリストによって。
アーメン。」

第9日目
「永遠の父よ、
あなたは約束された聖霊を送り、
御子イエスの過越の神秘を全うされました。
異なったことばを話す世界の人々が、
聖霊のたまものによって、すべての相違を乗り越え、
一つの信仰に結ばれることができますように。
わたしたちの主イエス・キリストによって。
アーメン。」
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『十字を切る祈り』のお話し [祈り]

「父と子と聖霊の御名(みな)によって アーメン」

過去に、このブログに何回か掲載した記事を一部修正・加筆して再掲載しています。
キリスト教のカトリック教会には、「十字を切る」という行為があります。聖堂に入る時、ミサの初めに、お祈りの前に、祝福する時、食事の初める時と終わる時、寝る時と起きる時、家を出る時、仕事を始める時と終わる時、その他にもいろいろと十字を切る機会があります。自称<ビビリ(怖がり)>な私の場合は、暗い夜道を一人で歩く時、危険な感じがする時、とにかく怖い時は十字を切っています。なぜって?怖いからです( ̄▽ ̄;)

いつどこでも最初に唱えますので、一番簡単な『信仰宣言』だと言われています。それを私の場合は『十字を切る祈り』と称しています。ある意味「お祈りのためのお祈り」とも言うべきものです。私は朝の祈り、ロザリオの祈り、始業・終業の祈り、就寝前の祈りを含めて一日に20回以上は十字を切ります。毎日続けていると、意識せず自然と十字を切るようになるのですが、とにかく十字を切ると落ち着くこと間違いなしです(*^▽^*)

◯祈祷文は次のとおりです。
「父と
子と
聖霊(せいれい)の
御名(みな)によって
アーメン」

次にラテン語で表記します。
「In Nomine Patris,
et Filii,
et Spiritus
Sancti、
Amen.」

無謀なことと知りつつもカタカナで表記します。
「イン ノ-ミネ パトリス
エト フィーリイ
エト スピーリトゥース
サンクティ
アーメン」
以上のとおりです。

◯このお祈りの意味は、次のとおりです。
父とは、創造主であるイエス・キリストの父なる神様のことです。父なる神様は、私たち信徒の父でもあります。子とは、父なる神様の子であるイエス・キリストのことです。聖霊とは、父なる神様と子であるイエス・キリストから出る私達の救いとなる霊のことです。キリスト教の神様は、父なる神様と子であるイエス・キリストと聖霊の3つのペルソナ(位格)が一体となる『三位一体』の神様です。意味は、「父なる神様と子であるイエス・キリストと聖霊の尊い御名(みな)をもって神様の愛と一つになります。」となります。「アーメン」は、「そのとおりになりますように。」という意味ですね。

キリスト教の信徒は、古代キリスト教の初代教会時代から、『信仰宣言』で「十字架にかけられ、死んで、葬られ、黄泉(よみ)に降り、3日目に死者のうちから復活されたイエス・キリストを救い主(メシア)を信じます。」ということを信じてきました。この「信じています。」ということを表すため、また、十字架上ですべての人間の罪を背負って死んでいかれたイエス・キリストを十字を切る度に思い起こすために、<十字架のしるし>を行ってきました。このしるしは、このお祈りをする時に右手で十字を切りながら「父と子と聖霊の御名(みな)によって。アーメン」と唱えながら表現します。

この「父と、子と、聖霊のみ名によって。アーメン」は、キリスト教における最強、完璧かつ究極的なお祈りです。カトリック教会には多くのお祈りがありますが、キリスト教の「三位一体」の神を表し、その御名(みな)をもっての祈祷文ですから、これ以上のお祈りは最高である『主の祈り』を除いて他にはありません。闇の支配者サタンの勢力もこの祈りの言葉の前では勝てません。ちなみに、プロテスタント教会のほとんどの教派は十字を切りません。ですから、海外のサッカー、バスケットや野球などのスポーツで、十字を切っている選手を見かけたら、ほぼカトリック教会の信徒ということですね。

ちなみに、アイススケートで冬季オリンピック2大会連続金メダリストで超有名な羽生結弦選手は、演技をスタートさせる前に胸の前で十字を切っています。テレビで観ていて「あっ!羽生選手はクリスチャンなんだ~。十字を切るくらいだから私と同じカトリック教会のクリスチャンなんだ~。」と思いましたが、後でよく調べてみたら、羽生選手は身体の軸(中心線となる縦軸と横軸)を意識し、身体を保つため(おまじない?)で十字を切っているということが分かました。そういう意味での十字の切り方というか、使用方法もあったのですね。 ということで、クリスチャンではなかったのでした(⌒-⌒; )

◯それでは、実際にお祈りをします。順を追って見てみましょう。
このお祈りをする時は、
①「父と、子と、聖霊のみ名によって。アーメン」と祈祷文を唱えながら、
②右手で十字を切ります。
要領は次のとおりになります。
1.まず最初に左右両方の手のひらを胸の前で合わせて一礼します。この場合は、仏教のような左右の手のひらをピッタリと密着させるようなことではなく、両手の指先と手元はひっつけますが、手のひらはひっつけず、ふっくらとさせます。左右の親指は交差させます。右手の親指を上して✕印にします。

2.次に左手は、最初から手のひら(指)を真っ直ぐに伸ばして胸に当てます。下の図では、なぜか左手をお腹に当てていますが、一般的には胸に当てます。

3.右手の手のひら(指)を揃えて(指を伸ばし過ぎず)、手の一番先の人差し指と中指の先を “ 額の中央 ” に触れて「父と」と唱えます。

4.次に、その手をお腹の辺りに持っていき “ みぞおち ” 部分に触れて「子と」と唱えます。

5.次に、その手を左肩の辺りに持っていき “ 左肩の前面 ” に触れて「聖霊の」と唱えます。

6.次に、その手を右肩の辺りに持っていき “ 右肩の前面 ” に触れて「み名によって」と唱えます。

7.左右両方の手のひらを胸の前で合わせて「アーメン」と唱えます。
以上です。

◯上記の1~7の動作を次の絵を見ながら連続して行います。
十字を切る.png
この絵では、左上の絵から → 右 → 右 → 左下→ 右 → 右の順番です。十字を切る手順は、上(額) → 下(みぞおち) → 左(左肩前) → 右(右肩前) となります。ただし、キリスト教の正教会(ギリシャ正教会、ロシア正教会、日本正教会など)は、上 → 下 → 右 → 左となり、カトリック教会とは左右が逆になります。私がある神父様から聞いた話しでは、カトリック教会も元は正教会と同じ上 → 下 → 右 → 左だったそうです。

注意したいことは、十字を小さく早く切る人が案外といるのです。それがいかにも謙虚で控えめのような姿勢で、いかにもそれが美徳であるように受けとられているようですが、これはまったくの間違いですね。きちんと大きく(=正確に)ゆっくりと十字を切ることが大切です。前教皇の故ベネディクト16世は、神学生が小さく十字を切っているのを見て、正確にきちんと大きく十字を切るように厳しく指導されたとのことですよ。
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「祈りの効果・手を合わせる」お話し [祈り]

このブログに過去に何度か掲載しましたが、また再掲載いたします。
あるレストランで、チョコレート・パフェを食べていたら、お隣の席に座っていたお二人の会話が耳に入ってきました。年配の女性お二人でしたが、お話しの内容からすると心理学の学者?精神科医?臨床心理士?心理カウンセラー?のような心理学・精神科関係の専門家の方でした。学会の帰りのようでした………他人の話しを盗み聞きするようで気が引けましたが(; ̄O ̄)「祈り」という言葉が頻繁に出てきましたので、慌ててメモを取り始めました。

お話しの内容を整理・要約すると次のようになります。
①欧米の心理学研究では、宗教との関係の研究が進んでおり、信仰心のある人は孤独感に陥ることが少なく、心も安定するという研究結果が出ている。
②信仰心は幸福感を生み出すことだけでなく、身体の健康にも良い効果を及ぼすことがわかってきている。
③研究で、自然にガンが消えてしまう現象(自然寛解)を経験した人に、その理由についてアンケートを行った結果、「祈り」が68%、「瞑想と運動」が64%、「散歩」が52%、「音楽」が50%となっている。一番多いのが「祈り」。
④実際に「祈られている人」は、そうでない人(祈られていない人)より病状が良くなるという研究報告がある。
⑤手を合わせることによって、心身ともに健康になれるということが、世界的に研究され証明されてきている。
⑥ハーバード大学やコロンビア大学などでは、祈りの研究を精神神経免疫学の立場から解明が進んでいる。
⑦「科学的に説明のつかない、根拠のないことは受け入れられない」という人は多いが、説明はできなくても「結果」は次々と報告されており、祈りには効果があるのは間違いないといえる。
⑧神様がいようがいなかろうが、神様を信じようが信じまいが、願いごとが叶っても叶わなくても、手を合わせることで心も身体も健康になれるのだからやって損はないはず。手を合わせるだけで心が安定する。手を合わせること自体に意味がある。食事の前後、教会で、お寺で、神社で………自宅でも。

“祈り”の大切さ、その重要性及び効果等については、このブログでたくさん記事にしてきました。実際の祈祷文なども掲載してきました。私も経験していますが、祈りは案外と実現・成就するのです。皆さんには信じてもらえないかも知れませんが、本当に「これは奇跡か?」と思うことも度々あります。私だけではありません。でも、もちろんすべて叶う(かなう)わけではありません。

特筆すべきは上記の④です。「祈られている」こと。つまり自分以外の他人のために祈ることも効果があるのです!それも多く人が一人のために集中して祈ると効果も大きく成就しやすくなるようです。私も毎日朝夕に家族の守護と平安だけでなく、ある方の病気の治癒をお祈りしています。この祈りの効果を今は証明できませんが、必ずや治癒が実現・成就すると信じています。
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「祈りの大切さ」についてのお話し [祈り]

今日の記事は、過去に何度かこのブログに掲載しましたが、また再掲載いたします。
まず、新約聖書の4つの福音書から、「祈りの成就」についての聖句(イエス・キリストの言葉)を掲載いたします
◯マタイによる福音書:第21章・第22節
「あなた方が信じて祈るなら、求めるものはすべてかなえられる。」

◯マルコによる福音書:第11章・第23~第24節
「しかも心に疑わず、自分の言ったようになると信ずるなら、それは聞き入れられる。それ故、あなた方に言っておく。あなた方が祈り求めるものはすべて、かなえられるものと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。」

◯ルカによる福音書:第11章・第9~第10節
「そこで、あなた方に言っておく。求めなさい。そうすれば与えられる。探しなさい。そうすれば見出す。たたきなさい。そうすれば開かれる。誰でも求める者は受け、探す者は見出し、たたく者には開かれる。」

◯ヨハネによる福音書:第14章・第13~第14節
「そして、あなた方がわたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。父が子によって栄光をお受けになるためである。わたしの名によって何かわたしに願うなら、わたしがかなえてあげよう。」
以上『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

ここに掲載した聖句の前半部分の「祈るならば」、「求めるものは」及び「願うことは」は、後半部分の「得られる(得られた)」、「そのとおりになる」、「与えられる」及び「かなえてあげよう(かなえられる)」となります。願うことも求めることも祈ることの範疇に入ると思いますが、結果はすべて成就するということになりますね。
祈りにおいて大切なことは、神を信じることです。願いがかなうと心の底から信じることです。とことん信じることです。そこには微塵も疑いや不安はないわけです。信じなければ祈りは成就しません。これが信じて熱心に祈り続けると成就するのです。大切なことは、
①信じて祈ること
②熱心に祈ること
③祈り続けること
④同じ内容なら多くの人と祈ること
信じられないかもしれませんが、必ずと言って良いほど願いは成就します。しかし、すべてが成就するわけではありません。もちろん成就しないこともあります。

私は、願い求める祈りが成就すれば、今度は “ 感謝の祈り ” を捧げます。願いの内容が成就しなかった場合、最初は祈りが十分ではなかったのか、祈りが足らない・祈りが弱いのかと思ったりするでしょうが、そうではなく、実は何らかの形で成就しているのです。それが、願ったことの反対・逆になることもあるでしょう。そうすると、私たち人間は「なんだ、神様はきき入れてくださらなかった」とか、「まったく違ったことになった!」とか、「祈らなければよかった!」などと思うものです。人間は弱いのですね。

そうではなく、「これは神様が何か意味をお与えになっている。」又は「これは神様が試練をお与えになった。」と素直に受けとめるべきです。この成就しなかった時こそ、これは神様のご意思だと受けとめるのです。私の経験では、よくよく後になって振り返ってみると、「あの時、お祈りしたことが後になって成就した。」又は「お祈りした内容ではなくてよかった。違ったことが成就してよかった。」ということが何度もありました。ですから、お祈りした結果がどうであろうと、感謝の祈りを捧げることが大切なのです。

祈り・黙想の中で、神様にありのままをすべて告白してさらけ出し………告白する前から神様はすべてをご存知ですが、「なぜお祈りがかなえられないのですか?」という問いも率直でいいのですが、それよりも、私の場合は「この試練に耐えさせてください。」というお願いをします。そのために「私に足らないものは何でしょうか。」………と続けていきます。黙想の中で、いかに神様と対話・お話しができるかですね。
初めは、神様は何も応えてくれません………と感じますが、それは、自分が聴こえないだけで、実は神様は常に語りかけているのです。その語りかける声が聴こえるまでになるは、何度も何度も黙想を続けるしかないですね。そうすると、やがてある日突然のように声を聴いたように感じます。この時、確実に涙が溢れ出ます。私は、きちんと黙想できるまで長い年月がかかりましたというか、まだまだかもしれません。
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信徒ではない方には、まったく奇妙な話しにしか思えないでしょう。でも、これが神様を信じる信仰だと思います。それが宗教なのですね。聖書の聖句を心に刻み、深くより深く黙想をしていかなければなりません。ですから、時間がない忙しい時には黙想は不向きというか、黙想はできないですね。一日の中で、一番適当な時間は寝る直前です。心静かにして気持ちを落ち着けることが大切です。それと、部屋の環境も大切です。音は禁物ですし、明かりも少し暗いくらいがいいてすね。私はローソクの灯火だけにしています。その日の感謝のお祈りをしてから、願うお祈りに入っていき、聖書の聖句を黙想していきます。
必ずや成就することを信じて。
祈りましょう 。
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「フランシスコ教皇のお祈りカード」のご紹介 [祈り]

とても上質な紙に、美しい図柄とフランシスコ教皇のお祈りの祈祷文が印刷されているカードです。このカードは、フランシスコ教皇が2019年11月に来日された際に行われたミサで参加者全員に配布され、その後、全国のカトリック教会で配布されたものです。
◯祈祷文は次のとおりです。
「おお、主よ、
すべてのいのちを守るため、
よりよい未来をひらくため、
あなたの力と光で
わたしたちをとらえてください。」
◯記念に額に入れて飾っています。彩飾がとってもキレイですね!絵画用品・額装専門店の世界堂でマット加工してもらいました。
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