「使徒聖パウロの回心」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日1月25日は、「使徒聖パウロの回心」の祝日です。
パウロの回心のお話しの前に、まずは新約聖書の『使徒言行録』に記載されている事がらを語源とする「目からウロコが落ちる。」のお話しから説明いたしましょう。
” ことわざ ” としての意味は、「あることをきっかけとして、急に物事の真相や本質が分かるようになる」ということですね。これは、新約聖書の使徒言行録の第9章・第3~第18節に記載されているお話しが“目からウロコ”の語源となったのです。少々長くなりますが掲載しますね。

◯新約聖書:使徒言行録・第9章・第3〜第18節
「ところが、旅を続けてダマスコに近くまで来たとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」という声を聞いた。「主よ、あなたはどなたですか」と尋ねると、その声は仰せになった、「わたしはお前が迫害しているイエスである。さあ、立って町に入れ。お前のなすべきことが告げられであろう。」。彼に同行していた者たちには、声は聞こえたが、誰も見えないので、物も言えず立ち尽くしていた。サウロは地面から起き上がって、目を開いたが、何も見えなかった。そこで、人々は彼の手を引いてダマスコに連れて行った。

サウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった。ところで、ダマスコにアナニアという弟子がいた。幻の中で主が、『アナニア』と呼びかけると、アナニアは、『主よ、ここにおります』と言った。すると、主は言われた。『立って、<直線通り>と呼ばれる通りへ行き、ユダの家にいるサウロという名の、タルソス出身の者を訪ねよ。今、彼は祈っている。アナニアという人が入って来て自分の上に手を置き、元どおり目が見えるようにしてくれるのを、幻で見たのだ。』しかし、アナニアは答えた。『主よ、わたしは、その人がエルサレムで、あなたの聖なる者たちに対してどんな悪事を働いたか、大勢の人から聞きました。ここでも、御名を呼び求める人をすべて捕らえるため、祭司長たちから権限を受けています。』

すると、主は言われた。『行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう。』そこで、アナニアは出かけて行ってユダの家に入り、サウロの上に手を置いて言った。『兄弟サウル、あなたがここへ来る途中に現れてくださった主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです。』すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。そこで、彼は立ち上がって、洗礼を受け、食事をとって元気を取り戻した。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

◯フランスの画家ニコラス・バーナード(1733~1784)作の『聖パウロの回心』です。この絵は、聖句にある「突然、天からの光が彼の周りを照らした。」情景を描いています。パウロは落馬していますね。
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これは、イエス・キリストの使徒(弟子)である聖パウロ(当時はサウロと名乗っていた)に起こった出来事に由来しており。本来は「誤りを悟り、迷いから覚める意味」で使われていました。イエス・キリストの死後、聖パウロは当初、ユダヤ教徒としてキリスト教徒を捕まえて牢獄に送る役をしていた “ キリスト教徒を迫害する側の人間 ” でしたが、このようにして、キリスト教徒を迫害する側から、洗礼を受けてキリスト教を信仰し、福音を述べ伝える側へと正反対に “ 激変 ” しました。そして、この聖パウロがユダヤ人以外のギリシャ人やローマ人などの異邦人と言われる人々に福音宣教したことが、キリスト教が全世界に広まった理由なのです。キリスト教の興隆は、聖パウロの功績が大きいのです。
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今日の日記2024.1.23(呑み会後のラーメン!) [日記]

昨日の話しになりますが、昨夜は仕事が終わってから学生たちと ” 打ち合わせと称した呑み会 ” でした!( ̄▽ ̄;) 会議?終了後、表参道の裏路地に入った所にあるラーメン専門店「山頭火」で、塩ラーメンを食べました。ラーメンは、妻から「食事禁止料理レベル1」に指定され、絶対に食べてはいけないと指導されているのですが、学生が「ラーメンを食べたい!」と言っているのに無下(むげ)にはできませんから………(以前も同じ言い訳をしたような)………学生のせいにしちゃいけないですね。完全に言い訳です。やはりラーメンを食べることに罪悪感を感じるのでした………でも美味い!やめられない!(⌒-⌒; )
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教会日記2024.1.24(カトリック成城・聖タデオ教会「聖フランシスコ・サレジオ司教教会博士の記念日のミサ(年間第三水曜日のミサ)」水曜日) [教会日記]

今朝は、カトリック成城・聖タデオ教会で、7時からの「聖フランシスコ・サレジオ司教教会博士の記念日のミサ(年間第三水曜日のミサ)」に与りました。
カウントダウン:定年退職(3月31日)まで、あと67日です!
ここ3日ほど寒さは少し緩んでいたのですが、昨夜から厳しい冷え込みとなっています。私が住む町田市相原町の午前5時の気温は−2度でした!引き続き風邪ひき対策を怠ることなく、よく食べよく寝て暖かい服装で過ごしましょう!

ミサでは、「聖フランシスコ・サレジオ司教教会博士の記念日」をお祈りしました。また、能登半島地震でお亡くなりになられた方の永遠の安息と被災された皆さんに主の平安とお恵みがありますようお祈りし、被災地が一刻も早く復興できますようにとお祈りいたしました。
そして、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。

そして、
「天におられる私たちの父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私たちの主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、

そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。

終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
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「聖フランシスコ・サレジオ司教教会博士」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日1月24日は、「聖フランシスコ・サレジオ司教教会博士(フランス:1567年~1622年)」の記念日です。
サレジオは、ジュネーヴ(現スイス)の司教で、カトリック教会と聖公会での聖人となっています。17世紀の宗教改革の困難な時代にあって、カトリック教会の司牧者として大きな働きをしました。著作をよくしたことから作家、ジャーナリストの守護聖人となっています。著作としては「信心生活入門」などが有名ですね。貧者の友としても知られています。1622年12月28日、サヴォイア公の随員として訪れたパリで客死。長く活躍したアヌシーに葬られ、今でもその墓がアヌシーにあります。1661年に列福、1665年に列聖、1877年には教皇ピウス9世によって「教会博士」の称号を与えられました。
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サレジオは、イタリア語で「サール(地名)Salesの」という意味です。彼はサヴォイア地方の貴族の家に生まれ、自由学芸を修めたあとでアヌシーや名門パリ大学で法学を学んでいましたが、周囲の期待を裏切って世俗の栄達を捨ててカトリック教会の司祭になる道を選びました。
宗教改革期、ジュネーヴはカルヴァン派の拠点となっていたため、カトリックのジュネーヴ司教は(現南フランスの)アヌシー滞在を余儀なくされていました。この時代にジュネーヴ司教となったサレジオは、困難な状況にあっても熱心な説教やわかりやすく書かれた著作によって活躍し、優れた精神的指導者として名声を得ました。1610年には霊的指導者をしていたシャンタルの聖フラシスカと共に女子修道会「聖母訪問会」を設立しました。
19世紀、北イタリアのトリノで活躍した司祭ヨハネ・ボスコは自らの修道会の名前を聖フランシスコ・サレジオにちなんでサレジオ会と命名しました。これはフランシスコがサヴォイアゆかりの聖人であるだけでなく、彼の柔和な人柄、著作による宣教活動、貧しい人々への共感などにヨハネ・ボスコが大きな影響を受けていたからでした。
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「鴨川の河川敷」のお話し [日記]

独身時代のことですが、仕事で大阪に出張があり、東京に帰る前に京都まで足を伸ばして先斗町(ぽんとちょう)辺りを散策し、道をそれて鴨川に出ました。その時の思い出話しですが、鴨川の河川敷というか、土手にカップルがたくさん並んでいる風景を見て、「いいな~恋人同士が肩を寄せ合い、鴨川のみなも(水面)を眺めながら楽し気に話しをしてる。」と、とっても羨ましく思ったものでした(*^▽^*)
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ところが、それと同時に「なんで、みんな測ったように規則正しくキレイに等間隔に並んでいるんだろう?」と思ったのです。これは「鴨川等間隔の法則」といって心理学的にも研究がされているそうです。今だったらソーシャルディスタンスといったところでしょうか。実は、これはパーソナルスペースという「他人に侵入されると無意識に不快に感じる空間の概念」が作用しているからだそうです。鴨川のカップルたちにも同じような概念が働いたわけですね。でもこれって、確実に日本人の特有の道徳?美徳?の「他人に迷惑をかけてはいけない」という意識と、これまた日本人特有の「他人に倣う」又は「他人と同化する」とう意識が働いていますよね。

ハッキリ言ってものすごく憧れましたね~。これは東京の多摩川や隅田川ではダメなんです。やはり風情のある京都の鴨川が最高なのです。それも暑い夏の陽が落ちた夕刻です。あの若いころ、将来の奥さんは、絶対に京都で生まれ育った優美でしとやかな京女だと思ったものです。あぁ~進学する大学は東京ではなく京都にすればよかったのに~!現在65歳、もうすぐ結婚40周年となる今となっては………妻に叱れる!( ̄▽ ̄;)
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新約聖書:ヤコブの手紙・第3章・第2〜第12節 [聖書]

今日は、日本語訳の違う次の2つの聖書から聖句(イエス・キリストの言葉、聖書の言葉)をご紹介いたします。訳の違いで、ニュアンスに少々違いが生じます。

「私たちは皆、度々、過ちを犯します。言葉で過ちを犯さないなら、それは体全体を制御することのできる完全な人です。馬を御するには、口にくつわをはめれば、その体全体を操ることができます。また船を見なさい。あのように大きくて、風に激しくあおられていても、ごく小さい舵によって、舵取りの望む方に操られて行きます。同じように、舌も小さな器官ですが、大言を吐くのです。
見なさい。いかに小さな火が大きな森を燃やすことか。舌もまた火です。舌は、私たちの体の器官の中で、不義の世界を成しています。それは、体全体を汚し、人生の歩みを、自らもゲヘナの火によって焼き尽くされます。あらゆる種類の獣や鳥、地を這うものや海の生き物は、人類が治めており、また治めてきました。しかし、舌を治めることのできる人は一人もいません。
舌は、制することのできない悪で、死をもたらす毒に満ちています。私たちは舌で、父なる主をほめたたえ、また、舌で、神にかたどって造られた人間を呪っています。同じ口から、賛美と呪いが出て来るのです。私のきょうだいたち、このようなことがあってはなりません。泉の同じ穴から、甘い水と苦い水が湧き出るでしょうか。私のきょうだいたち、いちじくの木がオリーブの実をつけたり、ぶどうの木がいちじくの実をつけたりすることができるでしょうか。塩水が甘い水を生むこともできません。」
『聖書協会共同訳聖書』から

「わたしたちはみな、しばしば過ちを犯すものです。もし言葉で過ちを犯さない人がいるなら、その人は全身を制御することのできる完全な人です。馬を御するために、その口に轡(くつわ)をはめれば、馬の体全体を意のままに動かすことができます。また、船を見てください。それがどんなに巨大で、強い風に吹きまくられていても、ごく小さい舵一つで、舵取りは意のままにそれを操ることができます。同じく、舌は小さな器官ですが、大言壮語することができます。
また、火を見てください。どんな小さな火でも、大きな森を燃やすことができます。舌は火です。不義の世界である舌は、体の器官の一つであり、全身を汚し、人生の車輪を燃やし、自らも地獄の火によって燃えたたされます。あらゆる種類の獣、鳥、這うもの、海の生き物は、人間によって支配されており、またこれまで支配されきました。これに反し、誰も舌を支配することはできません。
舌は疲れをしらない悪で、死をもたらす毒に満ちています。わたしたちは、舌をもって、主であり父である方をほめたたえ、また、この舌をもって、神にかたどって造られた人々とを呪います。この同じ口から賛美と呪いが出てくるのです。わたしの兄弟たち、このようなことがあってはなりません。同じ泉から甘い水と苦い水が湧き出るでしょうか。わたしの兄弟たちよ、いちじくの木がオリーブの実をつけ、ぶどうの木がいちじくの実をつけたりすることがありえますか。塩分を含む泉は、真水を出だすことはできないのです。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

「口は災いの元(くちはわざわいのもと)」とはよく言ったものですね。今も昔も変わりはありませんね。人間関係を良くするも悪くするも、口から発声した「言葉」しだいです。どんなの言葉でも、大切なことは「その言葉に人を思い遣る心があるか。」ですね。これを「慈しみの心」と言います。この心があれば相手を傷つけることはありません。難しいことかもしれませんが、普段からどんな小さなことでも気を配っていればできるようになると思います………が、まったく私の一番自戒とすることです( ̄◇ ̄;) 65歳になっても反省ばかりです。つい先日も失敗したばかりですΣ( ̄ロ ̄lll) よかれと思って言ったことが、混乱を引き起こしてしまうことになるのです。 “ お節介焼き ” な性格の私には、「言い過ぎ」と「言葉足らず」も同じですね。今日の聖句(聖書の言葉)は、本当に身に浸みます(⌒-⌒; )

【くつわ(轡)】
馬具(ばぐ)の一種で、馬の口にはめて手綱(たづな)をつなぎ、馬を制御するための金具のこと。
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教会日記2024.1.22(カトリック成城・聖タデオ教会「年間第三月曜日のミサ」月曜日) [教会日記]

今朝は、カトリック成城・聖タデオ教会で、7時からの「年間第三月曜日のミサ」に与りました。
カウントダウン:定年退職(3月31日)まで、あと69日です!いつもより暖かい朝となりました。このくらいならいいですね。天気予報では、明日からはまた厳しい寒さとなるようつです。風邪ひきに注意です!

ミサでは、能登半島地震でお亡くなりになられた方の永遠の安息と被災された皆さんに主の平安とお恵みがありますようお祈りし、被災地が一刻も早く復興できますようにとお祈りいたしました。
そして、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。

そして、
「天におられる私たちの父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私たちの主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、

そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。

終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
今日も清々しい一日を迎えています!
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「聖ビンセンチオ助祭殉教者」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日1月22日は、「聖ビンセンチオ助祭殉教者」の任意の記念日です。
ビンセンチオは、スペイン北東部にあるサラゴサの教会の助祭に任命され、宣教に力を尽くしていました。
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当時、ローマ帝国ディオクレチアヌス帝による最後のキリスト教迫害は、スペイン地方にも及んで激しくなっていました。ついに総督ダシアノにより、ビンセンチオは司教とともに捕えられ、信仰を捨てるように強要されましたが、それを拒んでビンセンチオはバレンシアで激しい拷問にかけられ殉教しました。彼の殉教の後、国教となったローマおいて、聖アウグスチヌスは「ローマ帝国に、ビンセンチオの名を知らない町があるだろうか。迫害者ダシアノの名がローマのすべてに知られているのは、ビンセンチオの殉教によってである」と言わしめています。
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「神のことばの主日」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今日1月21日は、「神のことばの主日」です。
フランシスコ教皇が、年間第三主日を「神のことばの主日」と定められました。要旨は次のとおりです。(カトリック中央協議会のホームページから)
https://www.cbcj.catholic.jp/2020/01/24/20015/

◯教皇フランシスコの意向による「神のことばの主日」の制定について
(2020/01/24)
日本司教団関連 お知らせ 典礼委員会
「教皇フランシスコは、自発教令の形式による使徒的書簡『アペルイット・イリス(Aperuit illis)』を、2019年9月30 日(聖ヒエロニモ司祭の記念日)に公布して、年間第三主日を「神のことばの主日」と名付け、「神のことばを祝い、学び、広めることにささげる」(3)ことを宣言されました。また、「神のことばの主日」は、キリスト教一致祈禱週間(毎年1月18日~25日)とも重なり、「わたしたちがユダヤ教を信じる人々との絆を深め、キリスト者の一致のために祈るように励まされる」(3)よう、エキュメニカルな意味を深めるものでもあります。
上記書簡の日本語訳は以下からダウンロードすることができます。
教皇フランシスコ自発教令『アペルイット・イリス』ダウンロード(PDF)」
https://www.cbcj.catholic.jp/wp-content/uploads/2020/01/francisco_aperuit_illis.pdf
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「聖アグネスおとめ殉教者」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日1月21日は、典礼暦にはありませんが、聖アグネスおとめ殉教者(イタリア:291年~304年1月21日)の記念日です。
ローマの聖アグネスや聖イネス、聖女アグネス、聖女アニエスとも呼ばれ、13歳で殉教したと伝えられています。聖アグネスは、カトリックのミサで記念される女性の中で聖母マリア様を除いた7人の中の1人です。西方教会において、彼女は純潔・庭師・若い女性(少女)・夫婦・強姦被害者の守護聖人となっています。
◯フランシスコ・デ・スルバラン(スペイン:1598年〜1664年)作の『聖アグネス立像』です。スルバランはバロック期に活躍した画家で、特に宗教画・静物画に優れた作品を残しています。フランス・パリ市にあるルーヴル美術館所蔵です。
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ローマの上流階級の名門の家庭に生まれ、若く聡明な美少女であったアグネスには、多くの縁談がありましたが、すべて断ったのでした。そのため、彼女がキリスト信者であることが分かるとすぐ訴えられ、どんな拷問にあっても決して信仰を捨てない彼女は、ついに死刑を言い渡されました。彼女は「キリストはわたしの花婿です。最初に選んでくださったのはキリストですから、わたしはその方に従います」と言って、13歳になった304年1月21日にローマ帝国の皇帝ディオクレティアヌスの統治下で殉教しました。
後に彼女は有名になり、キリスト教を国教としたローマ皇帝コンスタンティヌスは、自分の娘に彼女の墓の前で洗礼を受けさせたといわれています。その後、墓の上には聖アグネス聖堂が建てられました。アグネスは、<羊を抱いて描かれる(羊がアトリビュート)>絵画が多いのですが、ラテン語で「子羊」を意味する「アグヌス」と似ているためだといわれています。

◯聖アグネス教会(英語: St Agnes' Episcopal Church)
京都府京都市上京区にある、聖アグネスを守護聖人とする日本聖公会の教会です。平安女学院京都キャンパスの敷地内に所在する聖堂は、日本聖公会京都教区(京都府、富山県、石川県、福井県、滋賀県、三重県、奈良県、和歌山県の教会、および大阪府の1教会)の中心となる主教座聖堂(カテドラル)であるとともに、地域の教会(パリッシュ・チャーチ)、平安女学院の礼拝堂(チャペル)という3つの役割を兼ね備えています。1898年(明治31年)に竣工したレンガ造り・ゴシック様式の建物は、ジェームズ・ガーディナーによる設計で、京都市指定有形文化財になっています。
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