私の支援活動!その5「特定非営利活動法人国境なき医師団日本」献金 [支援活動日記]

写真は、「特定非営利活動法人国境なき医師団日本」から届いた、昨年の8月~先月の6月までの11ヶ月分の寄付金の報告書(領収証)です。昨年の8月に寄付の申込みをしましたので、先月の6月で11ヶ月となりました。私は、他にも難民救済支援のために「国連UNHCR協会」に毎月4,000円、世界の恵まれない子ども達を支援するため「公益財団法人日本ユニセフ協会」に毎月3,000円の寄付をしています。皆さんも可能な方は、月1.000円でもご寄付いただければと思います。
世界中の困っている人たちを救うという、イエス・キリストの教えである「隣人への愛=善き行い」が、現地に行って行う<直接支援>は物理的にできないものですから、現在、私にできる寄付という<間接支援>によって行っています。ただ、毎度のことですが「寄付しているから善い行いをしている。」と思うのは、傲慢であり自惚れにしか過ぎません。危険なことです。やはり、可能な限りは実際の現場において手と足で行う支援活動を行いたいですね。

報告書が届きました。月3,000円✕11ヶ月=33,000円
33,000円で、はしかのワクチンを1,331人分、または、栄養治療食を991人分になります。少しでも困っている子どもたちを救うことができればと思います。
医師団1.jpg
医師団2.jpg
◯国境なき医師団とは
国境なき医師団(Médecins Sans Frontières=MSF)は、 独立・中立・公平な立場で医療・人道援助活動を行う民間・非営利の国際団体です。1971年に設立し、1992年には日本事務局が発足しました。MSFの活動は、緊急性の高い医療ニーズに応えることを目的としています。紛争や自然災害の被害者や、貧困などさまざまな理由で保健医療サービスを受けられない人びとなど、その対象は多岐にわたります。MSFは世界各地に38事務局を設置しています。主な活動地はアフリカ・アジア・中東・中南米で、2018年は70ヵ国以上で活動しました。約4万7000人の海外派遣スタッフ・現地スタッフ・事務局スタッフが世界各地で働いています。2018年、MSF日本は106人を派遣しました。派遣回数はのべ148回で、27の国と地域で活動しました。MSFの活動は、95%が民間からの寄付で成り立っています(2018年)。また、活動地へ派遣するスタッフの募集も通年で行っています。さらに、活動地の現状報告や患者の方々の声を届ける証言・広報活動も重視しています。
1人でも多くの方が、私たちとともに行動してくださることを願っています。
特定非営利活動法人国境なき医師団日本のホームページは、https://www.msf.or.jp/ です。
以上です。
nice!(0)  コメント(0) 

教会日記2020.7.20(カトリック成城教会「平日のミサ」月曜日) [教会日記]

今日は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城教会の7時からの平日のミサに与りました。昨日と同様に晴れましたね~(*^▽^*) 夜遅くに雨模様となるようですが、やはり晴天はいいですね。ここのところ新型コロナウイルスの感染者が多くなり、引き続き今後の生活環境や仕事環境の変化に注意が必要です。

ミサでは、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りし、共同祈願では、『新型コロナウイルス感染症に苦しむ世界のための祈り』をお祈りしました。
また、行方不明となっている小学2年生の小倉美咲ちゃんが、元気な姿で両親の元に帰れるようにお祈りし、同僚の病が癒されますように、同僚のお嬢さんの病気が完治しますようにと心を込めてお祈りしました。
nice!(0)  コメント(0) 

新約聖書:ガラテヤの人々への手紙・第6章・第7〜第10節 [聖書]

「思い違いをしてはいけません。神は人から愚弄されることはないのです。人は自分の蒔いたものを刈り取ります。自分の肉という畑に種を蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、霊という畑に蒔く者は、霊から永遠の命を刈り取ります。倦まず弛まず善を行いましょう。飽きずに励めば、時が来たとき、わたしたちは刈り取ることになります。ですから、機会のあるごとに、すべての人に、特に、信仰によっていわば家族となった人々に対して、善を行いましょう。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

新約聖書には、「種蒔き」と「刈り取り」についてのイエス・キリストのたとえ話しがよく出てきます。イエス・キリストが説かれるのは、「良い実を得たいのであれば、良い種を蒔きなさい。」、「豊かな収穫を得たいのであれば、良い種をまきなさい」ということです。結局、良くも悪くも 「蒔いた種は刈らねばならない」わけですから、良い種を蒔きましょうということですね。

作物を収穫する「刈り入れ」は、大きな喜びの時です。畑を耕して種を蒔き、水や肥料をやり、草取りをして世話をし、やがて実が豊かに実る。それを刈り取る=収穫するのです。収穫は、これまで汗水流して働いた労苦の実りを刈り取る時であり、労働の成果を目に見えるかたちで手にする最高の時です。良い種を蒔いたのであれば、良い実をつけ豊かな収穫を得ることになるわけです。

ナスビの種を蒔いたらキューリがなった!Σ( ̄ロ ̄lll) ということはありませんね。ナスビの種を蒔けばナスビが生ります。同じように愛の種を捲けば、愛の芽が出て、その愛が成長して、平和を刈り取ることができます。その反対に、憎しみの種を蒔けば、憎しみという芽が出て、その憎しみが成長して、戦争を刈り取ることになります。仏教で説くところの「因果応報(いんがおうほう)」と似ていますね。

これは、「種蒔き」と「刈り取り」のたとえ話しですが、イエス・キリストが説く<種蒔き>とは、人々に神のみ言葉(教え)を蒔くことであり、福音を告げ知らせることであり、善き行いをすることでもあります。<刈り入れ>とは、種蒔きの結果の報いであって、イエス・キリストが再臨する時に行われる、永遠の安らぎが与えられる天の国に昇る者と燃え盛る火が尽きることのない地獄に落ちる者とが選別される「最後の審判」を指しています。ですから、私たち信徒は、日々において神のみ言葉を実践し、福音を告げ知らせ、善き行いを実践しなければならないのですね。

他にも種蒔のたとえ話しはたくさんありますが、ここでは次の3つを掲載いたします。
〇新約聖書:コリントの人々への第一の手紙・第19章・第6節
「少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。」
〇新約聖書:マルコによる福音書・第4章・第26~第29節
「神の国は、ある人が地に種をまくようなものである。 夜昼、寝起きしている間に、種は芽を出して育って行くが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。 地はおのずから実を結ばせるもので、初めに芽、つぎに穂、つぎに穂の中に豊かな実ができる。 実がいると、すぐにかまを入れる。刈入れ時がきたからである。」
〇新約聖書:マルコによる福音書・第4章・第30~第32節
「神の国を何に比べようか。また、どんな譬で言いあらわそうか。 それは一粒のからし種のようなものである。地にまかれる時には、地上のどんな種よりも小さいが、 まかれると、成長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張り、その陰に空の鳥が宿るほどになる。」

【因果応報】
人はよい行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがあるということ。仏教の用語で、行為の善悪に応じて、その報いがあることを意味します。現在では悪いほうに用いられることが多いですね。「因」は因縁の意で、原因のこと。「果」は果報の意で、原因によって生じた結果や報いのことです。
nice!(0)  コメント(0)