留岡幸助のことば(第1日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「 学校に行ったからと言って英雄豪傑ができるわけではありません。君子になるか盗賊になるかは、家庭の空気の陶冶(とうや)によるのです。それなのに今の家庭は下宿屋に過ぎません。」

留岡幸助(とめおか こうすけ:岡山:1864~1934)は、キリスト教プロテスタントのクリスチャン・牧師で、明治・大正・昭和初期の社会事業家です。同志社大学卒業。京都丹波第一教会の牧師を務めた後、北海道空知集治監(現在の刑務所のこと)の教誨師に就任しました。囚人達との面談・調査、および欧米の動向研究により、監獄改良よりも根本的な対策と感じ取った少年感化事業に関心を持ち、アメリカに留学し、コンコルド感化監獄で実習、その後、エルマイラ感化監獄ではブロックウェーに直接指導を受けています。
明治32年に東京巣鴨に土地を購入し、「家庭学校」を創立、少年の感化事業に尽力しました。また、大正3年には自己の社会事業の集大成として、感化部と理想農村から成る「北海道家庭学校」を設立しました。現在は「社会福祉法人北海道家庭学校」となり、北海道遠軽町に家族小舎制の男子の児童自立支援施設(旧教護院)となっています。

この言葉は重要な言葉です。躾けを含めて人間形成の原点は家庭教育だと思いますが、家庭教育というよりは“溢れんばかりの親の愛情”ですね。子どもにとって親の愛情は宝以上のものです。一般論ですが、幼少期から青年期に親の愛情をきちんと受けた子どもは、大人になって家庭をもっても幸せな家庭を築いていますね。

【陶冶】
人の性質や能力を円満に育て上げること。育成。
【児童自立支援施設】
触法少年・虞犯少年を教育・保護することを目的としている施設のことです。矯正教育を目的とする少年院と異なり、児童福祉法上の支援を行う施設として位置づけられています。1997年、児童福祉法の改正によりもとの教護院という名称から変更されました。
【触法少年(しょくほうしょうねん)】
触法少年(しょくほうしょうねん)とは、14歳未満で刑罰法令に触れる行為をした少年である(少年法3条1項2号)。 刑法41条は「14歳に満たない者の行為は、罰しない」と規定し、刑事未成年者である触法少年を処罰対象から除外している。
【虞犯少年(ぐはんしょうねん)】
犯罪を犯してはいないが,少年法で規定する一定の不良行状があり,その性格または環境に照らして将来罪を犯す虞(おそ)れがある20歳未満の少年をいう。 非行少年の早期発見の観点から虞犯性の徴候に着目するが,虞犯少年の認定・処遇は種々の困難を伴う。 家庭裁判所の審判に付される。
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支援活動日記2020.5.21(山谷夜回りの会活動) [支援活動日記]

今夜は、仕事が終わってからホームレス支援活動グループ「山谷夜回りの会」の活動に参加しました。非常事態宣言は続いており、まだまだ注意を要する日常です。「山谷夜回りの会」は、東京の寄せ場地域(日雇い労働者の町)である山谷地区で暮らす野宿者(ホームレス)の皆さんに、おにぎりや生活に必要な物資を夜回りしてお届けしている団体です。第一・第三木曜日の19時30分にJR南千住駅改札前に集合し、おにぎりや日用品などをホームレスの皆さんに届けます。「山谷夜回りの会」の詳細は、ホームページをご覧ください。https://yomawari.yomibitoshirazu.com/

今夜も台東区端の泪橋交差点から少し歩いた所にある、約200mの<いろは商店街(以前はアーケード商店街でした)>に、ビニールシートで寝ている方を含めて55人ほどのホームレスの皆さんが私達を待っていました。13人でホームレスの皆さんに、パン、マスク、タオル、軍手、石鹸、歯ブラシ、髭剃り、靴下、上下の下着類、ジャケット類、ズボン、毛布などをお配りしました。集まった皆さんは、小雨が降る中を傘もささずに活動しました。私のような仕事帰りの人、若い20歳代~30歳代の人や大学生など、皆さん使命感を持って支援活動に取り組んでいます。

東京スカイツリーの上層部は雨雲で見えないですね。
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この宿泊所はテレビ付き冷暖房完備で2,200円です。いつか泊まってみますね。山谷地区の宿泊所のことを記事にした「ドヤガ街のお話し」をこのブログに掲載いておりますのでお読みください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2020-05-09
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5月も終わりになりますが、これから梅雨の時期となります。新型コロナウイルス肺炎の感染のこともあり、引き続き皆さんの健康が心配されます。ホームレスの皆さんの生活環境は、経済的なことだけでなく衛生的にも極めて悪い環境にあります。寝るところろが路上となったりしますから、体調管理には充分に気を付けていただきたいですね。活動が終了して反省会を行って、21時20分過ぎごろに解散し、今は帰りの電車の中です 。
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笹森順造のことば [キリスト者(クリスチャン)]

「剣道は、相手に怪我をさせるとか殺すための武道ではない。一瞬にして相手に最小限のダメージを与え、しかも自分が悪かったと悟らせる。それが、剣道です。」

笹森 順造(ささもり じゅんぞう:1886年~1976年)は、キリスト教プロテスタントのクリスチャンで、政治家、教育者、武道家(剣道家)です。衆議院議員を4期、参議院議員を3期、終戦直後の片山内閣の復員庁総裁、賠償庁長官などを歴任しました。勲一等瑞宝章、正三位、哲学博士です。14歳のときキリスト教の洗礼を受けました。青森県弘前若党町(現在の弘前市)に、旧弘前藩藩士・笹森要蔵の六男として誕生。8歳で北辰堂道場に入門し小野派一刀流剣術を学び、早稲田大学剣道部では高野佐三郎に師事しました。早稲田大学を卒業後、雑誌『新公論』記者を経て、1912年に渡米し、コロラド州デンバー大学大学院で学びました。1922年、青森県にある東奥義塾に塾長として迎えられ、18年間勤務。1939年からは青山学院(プロテスタント教会メソジスト派の学校)の院長を4年間務めました。

第二次世界大戦後の1946年、第22回衆議院議員総選挙に青森県全県区から無所属で出馬してトップ当選を果たし、以降連続当選4回。院内交渉団体の新政会をまとめ国民党を結成。同党は1947年に協同民主党と合併して国民協同党となり代議士会会長となりました。片山内閣に国務大臣として入閣し、復員庁総裁(1947年)、賠償庁長官(1948年)を務め、シベリア抑留日本人の早期帰還やアメリカの賠償請求権問題の解決に尽力しました。その後、改進党を経て自由民主党に所属し、両院議員総会会長や党紀委員長等を歴任、世界連邦運動の推進団体・世界連邦日本国会委員会第4代会長も務めています。

剣術の達人としても知られ、8歳で北辰堂道場で稽古を始め、後に弘前藩に伝わっていた小野派一刀流の第16代宗家となったほか、林崎新夢想流居合、直元流大長刀術も伝承しました。第二次世界大戦後の連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)命令による武道禁止下においては、全日本撓競技連盟を設立し会長に就任。剣道解禁の先鞭をつけ、1954年、全日本撓競技連盟は全日本剣道連盟(会長木村篤太郎)と合併し、全日本剣道連盟最高顧問に就任しました。笹森順造は、クリスチャンで武道家(剣道家)で、それも古流剣術の宗家です。それで職業は国会議員、教育者ですから珍しいというか“超異色”ですね。

この言葉は、戦後、日本を占領統治していたGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の武道禁止令に対して、その解除を求めたGHQとのやり取りの中の言葉だそうです。この言葉がなかったら、現在行われている剣道は、日本になかったかもしれません。そういう意味において、笹森順造は“剣道界の救世主”といえます。愛を説くキリスト教と殺伐とした剣道は矛盾するのではないか?と疑問を持たれる方も多いのではないかと思います。これは当然のことだと思いますが、答えから申しますと、「完全に相容れ合うもの」ということになります。元々「武」という文字は、「戈(ほこ)」を「止める」と書きます。すなわち“戦いを止める道”というのが、武道ということです。

私が、田宮流居合剣術の稽古に励んでいたころ師範に教わったことは、居合道(剣道)の極意は「“鞘(さや)の内”にある。」ということでした。これは「刀を鞘から抜く前に、相手(敵)を気で圧倒して戦意を無くさせる。」というものです。鞘から刀を抜く前に勝っているというもので、つまり相手(敵)も鞘から刀を抜かせない。刀を抜いて相手(敵)を切って勝つというのでは“愚の骨頂”ということです。ご理解いただけましたでしょうか。その意味においては、イエス・キリストの教えである「隣人への愛」と融合できるものだと思います。「武士道とは、愛することと見つけたり!」ということです。

このところの詳細については、笹森建美(笹森順造の子息)著の新潮新書『武士道とキリスト教』をお読みください。笹森建美氏も父親と同じで、キリスト教プロテスタントのクリスチャンで駒場エデン教会の牧師であり、小野派一刀流の第十七代宗家でもあります。新書本ですので気軽に読めますし、日本の伝統文化とキリスト教との歴史関係を教養として知ることができます。ご興味のある方は是非どうぞ!
です。
書名:『武士道とキリスト教』
著者:笹森建美
出版:株式会社新潮社
初版:2013年1月20日
定価:680円+税
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教会日記2020.5.20(カトリック松原教会「ロザリオの祈り」水曜日) [教会日記]

今日も仕事が終わってから帰りの通勤経路を変更して京王線明大前駅で途中下車し、カトリック松原教会でお祈りを捧げてきました。先月中旬ごろから松原教会でお世話になっていますが、毎日21時までお御堂が解放されていますので助かります。
5月の「聖母月」も終盤に入り、今日も静寂に包まれたお御堂でロザリオの祈り(一環)を心静かにお祈りすることができました。「新型コロナウィルスの感染が拡大しませんように、感染者の皆さんが早く治りますように、不安定となっている人々の心に平安が戻りますように」とお祈りしました。

『健康を求める祈り』をお祈りしました。
『すべてを造り、新たにする方、
わたしのいのちの源、神の聖なる霊、
聖マリアとともに、あなたを礼拝し、感謝し、愛します。
あなたは、全宇宙にいのちを与え、活気づける方です。
わたしたちに健康を保たせ、
いのちをおびやかし危険にさらす病気から
解放してください。
あなたの恵みに助けられ、
神の栄光と、わたしの魂の善と、
兄弟姉妹への奉仕のために、
わたしのすべての力を常に用いることを約束します。
医師と、看護にあたるすべての人に、
あなたの知識と聡明の賜物を与え、照らしてください。
いのちをおびやかし危険にさらす病気の原因を知り、
予防と回復のため、
より効果ある治療がなされますように。
聖なるおとめ、いのちの母、病人のいやしである御母、
わたしのこの貧しい祈りをあなたにゆだねます。
あなたは神の母、わたしたちの母、
あなたの執り成しをもって、
この祈りに力を添えてください。
アーメン」

続いて、『新型コロナウイルス感染症に苦しむ世界のための祈り』をお祈りしました。
「いつくしみ深い神よ、
新型コロナウイルスの感染拡大によって、
今、大きな困難の中にある世界を顧みてください。
病に苦しむ人に必要な医療が施され、
感染の終息に向けて取り組むすべての人、
医療従事者、病者に寄り添う人の健康が守られますように。
亡くなった人が永遠のみ国に迎え入れられ、
尽きることのない安らぎに満たされますように。
不安と混乱に直面しているすべての人に、
支援の手が差し伸べられますように。
希望の源である神よ、
わたしたちが感染拡大を防ぐための犠牲を惜しまず、
世界のすべての人と助け合って、
この危機を乗り越えることができるようお導きください。
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
希望と慰めのよりどころである聖マリア、
苦難のうちにあるわたしたちのためにお祈りください。」
新型コロナウイルス肺炎が早く終息するよう、一人でも多くの皆さんと一緒にお祈りしましょう!
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遠藤周作のことば(第6日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「一度、神とまじわった者は、神から逃げることはできぬ。」

遠藤周作氏のことは、「遠藤周作のことば(第1日目)2020.5.15」をご覧ください。
遠藤氏の小説『鉄の首枷(くびかせ)』は、戦国時代の武将で切支丹(キリシタン)の小西行長の生涯を画いた小説です。その中にこの言葉が出てきます。この言葉は、遠藤氏の宗教観を表している言葉だという評があります。小説のストーリーは、文庫本が『鉄の首枷 - 小西行長伝』として 中公文庫から出版されていますので読んでいただくとして、この言葉は、一言で言うなら「小西行長の神への信仰と武将としての行い(戦における殺戮)との葛藤」のことばであると言えます。

ただ単にこの言葉だけを捉えてキリスト教的にお話しをしますと、「神様を信じて洗礼を受け信仰の道を歩んだ者は、その途中で棄教しても神様からは逃れられない。」ということですね。この言葉は、ある意味強制的に書かれていますが、信仰している私にとっては、この上ない喜びとするところで、「絶対に逃げませんから、捕まえておいてください!」とお祈りしたいところです(⌒-⌒; ) 別の言葉で表すと「信仰の道に入った者は、どんな試練を与えられても、神様は見捨てはしない。」となります。「逃げることはできぬ。」は、憐れみ深く慈悲深い神様のことですから「見捨てはしない。」ということになるのではないでしょうか。
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教会日記2020.5.19(カトリック松原教会「ロザリオの祈り」火曜日) [教会日記]

今日も仕事が終わってから帰りの通勤経路を変更して京王線明大前駅で途中下車し、カトリック松原教会でお祈りを捧げてきました。先月中旬ごろから松原教会でお世話になっていますが、毎日21時までお御堂が解放されていますので助かります。通勤経路からは少し外れはしますが、京王線明大前駅から徒歩3分~4分と近いのがありがたいですね。
5月の「聖母月」も後半に入り、今日も静寂に包まれたお御堂でロザリオの祈り(一環)を心静かにお祈りすることができました。「新型コロナウィルスの感染が拡大しませんように、感染者の皆さんが早く治りますように、不安定となっている人々の心に平安が戻りますように」とお祈りしました。

『健康を求める祈り』をお祈りしました。
『すべてを造り、新たにする方、
わたしのいのちの源、神の聖なる霊、
聖マリアとともに、あなたを礼拝し、感謝し、愛します。
あなたは、全宇宙にいのちを与え、活気づける方です。
わたしたちに健康を保たせ、
いのちをおびやかし危険にさらす病気から
解放してください。
あなたの恵みに助けられ、
神の栄光と、わたしの魂の善と、
兄弟姉妹への奉仕のために、
わたしのすべての力を常に用いることを約束します。
医師と、看護にあたるすべての人に、
あなたの知識と聡明の賜物を与え、照らしてください。
いのちをおびやかし危険にさらす病気の原因を知り、
予防と回復のため、
より効果ある治療がなされますように。
聖なるおとめ、いのちの母、病人のいやしである御母、
わたしのこの貧しい祈りをあなたにゆだねます。
あなたは神の母、わたしたちの母、
あなたの執り成しをもって、
この祈りに力を添えてください。
アーメン」

続いて、『新型コロナウイルス感染症に苦しむ世界のための祈り』をお祈りしました。
「いつくしみ深い神よ、
新型コロナウイルスの感染拡大によって、
今、大きな困難の中にある世界を顧みてください。
病に苦しむ人に必要な医療が施され、
感染の終息に向けて取り組むすべての人、
医療従事者、病者に寄り添う人の健康が守られますように。
亡くなった人が永遠のみ国に迎え入れられ、
尽きることのない安らぎに満たされますように。
不安と混乱に直面しているすべての人に、
支援の手が差し伸べられますように。
希望の源である神よ、
わたしたちが感染拡大を防ぐための犠牲を惜しまず、
世界のすべての人と助け合って、
この危機を乗り越えることができるようお導きください。
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
希望と慰めのよりどころである聖マリア、
苦難のうちにあるわたしたちのためにお祈りください。」
新型コロナウイルス肺炎が早く終息するよう、一人でも多くの皆さんと一緒にお祈りしましょう!
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遠藤周作のことば(第5日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「自分の考えだけが何時も正しいと信じている者、自分の思想や行動が決して間違っていないと信じている者、そしてそのために周りへの影響や迷惑に気づかぬ者、そのために他人を不幸にしているのに一向に無頓着な者――それを善魔という。」

遠藤周作氏のことは、「遠藤周作のことば(第1日目)2020.5.15」をご覧ください。
遠藤氏のお言葉のとおり、「善魔(ぜんま)」とは、自分の考えだけがすべて正しくて、そういう思いで行動しますが、そのことでまわりの人が大いに迷惑していても、不幸にしていてもまったく気付かない人のことです。ちなみに、「悪魔」は、まずその人(悪魔)の根底に悪意があって、人を積極的に不幸にしますから悪魔なのですね。

いますね~このような人は。どこの世界にもいます。<自己中心主義者>です!自己中(じこちゅう)です。迷惑のなにものでもないですね。一種の環境破壊者です。反省とか、省みるとか、謙虚になるとか、人の話しを聞くとか一切無縁な人なのです。お節介焼き(おせっかいやき)に多いそうです(; ̄O ̄)気をつけないと(⌒-⌒; )
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今日の日記2020.5.18(信仰の力!) [日記]

忙しい日々の中にあって、自分に「信仰があってよかったな〜。」と思う時がよくあります。それは、例えば、讒言(ざんげん)にあって悪し様に告げ口されて陥れられ、一時的に心が動揺しても「主(神)が私を見ておられる。」、「私のそばに主(神)がおられる。」と思うだけで、心に平安を取り戻すことができるからです。これは仏教、ユダヤ教、ヒンズー教でもイスラーム(イスラム教)でも同じことが言えると思います。

讒言にあったからといって、怒りに身を任せてはいけませんね。恨んでもいけません。ましてや悪意に対して悪意を返えしてはいけません。仕返しなどを考えてはいけないのです。神様は見ておられるわけです。そばにいらっしゃるわけです。それが悪意ならば、神様は私たちを捨ておかれはしません。私たちに代わって報復されることでしょう。それを信じること。いつでも神を信じること、それが信仰であり信仰の力なのだと思います。

【讒言】
事実を曲げたり、ありもしない事柄を作り上げたりして、その人のことを目上の人に悪く言うこと。他人を陥れようとして、事実をまげ、偽って悪(あ)しざまに告げ口をすること。
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教会日記2020.5.18(カトリック松原教会「ロザリオの祈り」月曜日) [教会日記]

今日は、仕事が終わってから帰りの通勤経路を変更して京王線明大前駅で途中下車し、カトリック松原教会でお祈りを捧げてきました。先月中旬ごろから松原教会でお世話になっていますが、毎日21時までお御堂が解放されていますので助かります。通勤経路からは少し外れはしますが、京王線明大前駅から徒歩3分~4分と近いのがありがたいですね。
5月の「聖母月」も後半に入りました。今日も静寂に包まれたお御堂で、ロザリオの祈り(一環)を心静かにお祈りすることができました。「新型コロナウィルスの感染が拡大しませんように、感染者の皆さんが早く治りますように、不安定となっている人々の心に平安が戻りますように」とお祈りしました。

『健康を求める祈り』をお祈りしました。
『すべてを造り、新たにする方、
わたしのいのちの源、神の聖なる霊、
聖マリアとともに、あなたを礼拝し、感謝し、愛します。
あなたは、全宇宙にいのちを与え、活気づける方です。
わたしたちに健康を保たせ、
いのちをおびやかし危険にさらす病気から
解放してください。
あなたの恵みに助けられ、
神の栄光と、わたしの魂の善と、
兄弟姉妹への奉仕のために、
わたしのすべての力を常に用いることを約束します。
医師と、看護にあたるすべての人に、
あなたの知識と聡明の賜物を与え、照らしてください。
いのちをおびやかし危険にさらす病気の原因を知り、
予防と回復のため、
より効果ある治療がなされますように。
聖なるおとめ、いのちの母、病人のいやしである御母、
わたしのこの貧しい祈りをあなたにゆだねます。
あなたは神の母、わたしたちの母、
あなたの執り成しをもって、
この祈りに力を添えてください。
アーメン」

続いて、『新型コロナウイルス感染症に苦しむ世界のための祈り』をお祈りしました。
「いつくしみ深い神よ、
新型コロナウイルスの感染拡大によって、
今、大きな困難の中にある世界を顧みてください。
病に苦しむ人に必要な医療が施され、
感染の終息に向けて取り組むすべての人、
医療従事者、病者に寄り添う人の健康が守られますように。
亡くなった人が永遠のみ国に迎え入れられ、
尽きることのない安らぎに満たされますように。
不安と混乱に直面しているすべての人に、
支援の手が差し伸べられますように。
希望の源である神よ、
わたしたちが感染拡大を防ぐための犠牲を惜しまず、
世界のすべての人と助け合って、
この危機を乗り越えることができるようお導きください。
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
希望と慰めのよりどころである聖マリア、
苦難のうちにあるわたしたちのためにお祈りください。」
新型コロナウイルス肺炎が早く終息するよう、一人でも多くの皆さんと一緒にお祈りしましょう!
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遠藤周作のことば(第4日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「神はその人の信仰が魂の奥に根をおろすまで、
陽にさらし雨をそそぎ、
さまざまな人生過程をあたえられる。」

遠藤周作氏のことは、「遠藤周作のことば(第1日目)2020.5.15」をご覧ください。
この言葉の前後がわかりませんので、なんとも言えない部分があるのですが、この言葉にある「信仰が魂の奥に根をおろすまで」とは、仏教で言うところの「悟り」のことかと思いましたが、そうではなく、「真の信仰をもって死に至るまで」と解釈します。神への信仰を極めようと死に至るまで祈りや善行に励むわけですが、神様は時には試練を時にはお恵みをお与えになります。すべての人間が試練(=人生過程)を与えられて幸不幸を経験するわけですね。

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