「灰の水曜日」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今日2月26日(水)は、「灰の水曜日(はいのすいようび)」です。カトリック成城教会の19時からの「灰の水曜日のミサ」に与ってきました………仕事が長引いたのですが、タクシーで駆けつけて間に合いました〜(⌒-⌒; ) ということで、今年もこのブログに「灰の水曜日のお話し」を掲載いたします。
キリスト教カトリック教会では、今日から「四旬節(しじゅんせつ)」が始まりました。イエス・キリストの復活をお祝いする「復活祭(今年は4月12日)」の46日前の今日が初日で、復活祭の1週間前の「聖週間」までの準備期間を四旬節といいます。この四旬節の期間は非常に大切で、カトリック教会では次の3つの行いを信仰規範として大切にしています。
①愛徳の善き行いをすること。
②祈りに専心すること。
③断食をすること。
【復活祭】
イエス様が磔刑(たっけい)されてお亡くなり、3日後に復活されたことを記念するものです。これを「復活祭=イースター」といいます。
【磔刑】
公開処刑の死刑で、十字架に磔(はりつけ)になって処刑されるもの。

四旬節の初日である今日は、「灰の水曜日(はいのすいようび)」と言います。これは、神父様がミサのなかで、灰(シュロの枝を燃やし灰にして聖水で溶いたもの)を信徒の額に十字の印をつける儀式です(写真)。この意味は、次の3つに集約されます。
①「灰は、最終的に塵と終わる人間の儚さを思い起こさせるため。」という意味があること。
②灰は、古くから石鹸の代用として洗浄に使われてきたことから、「人の罪が贖われ、新たな力がもたらされる。」という意味があること。
③イエス・キリストが、エルサレム入城に際して、人々が歓喜してシュロの枝を通り道に敷いてお迎えした(新約聖書:マタイによる福音書・第21章・第8~9節)という、その歓喜のシュロの枝を燃やすことで、歓喜は消えてしまいますが、しかし、シュロの枝の灰によって死が再生につながり、復活(復活祭)の意味を先取りするという意味があること。
以上です。
灰に聖水をかけて(灰と溶かして)祝福する用具と灰です。
IMG_5476.JPG
私が所属する町田教会の司祭(神父様)は、親指に灰をつけて信徒の額に十字を画きます。成城教会の司祭は、頭に少し灰をふりかけます。この二通りがありますが、いずれにしても、司祭は「回心して、福音を信じなさい。」と言いながら灰をつけたり、ふりかけたりします。
灰の水曜日.jpg
そして、断食(だんじき)が始まります!断食とは、宗教上の目的で、祈願、抗議、修業、苦行として、一定の期間、一定の飲食をしないことです。どの宗教にも見られる行為で、ユダヤ教では、施し、祈り、断食は3つの大きな宗教行為でした。キリスト教カトリック教会では、これを「大斎(だいさい)」・「小斎(しょうさい)」と言います。現代の断食は、まったく食べないということはありません。
ちなみに、今日の私の朝食はミカン1個、バナナ1本と野菜ジュースでした………いつものことですが、このまま続ければダイエットになるのですが………これが続かないんだな(⌒-⌒; )
【大斎】
食事の量を節制すること、つまり、1日の食事中、1食だけ充分に食事をすることができます。朝食はごく少量、他の1食は普通の半分にします。満60歳に達するまでのすべての成人が対象となります。ただし、病人や妊娠中の人は、もちろん免除されていますのでご安心ください。
【小斎】
鳥獣の肉を食べないことです。大斎は食物の量を節制するのに対し、小斎は、食物の質や美食に対する節制なのです。焼肉、シャブシャブ、ステーキ、すき焼きなど論外です!………焼き鳥、牛丼もダメですか?ね。昨日までに焼肉食べ放題に行っておけばよかったのに(⌒-⌒; )

イエス・キリストは、断食をするにあたり、内的な行為を大切にするようにと教えておられます。
新約聖書:マタイによる福音書・第6章・第16~第18節
「断食するときには、あなたがたは偽善者のように沈んだ顔つきをしてはならない。偽善者は、断食しているのを人に見てもらおうと、顔を見苦しくする。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。あなたは、断食するとき、頭に油をつけ、顔を洗いなさい。それは、あなたの断食が人に気づかれず、隠れたところにおられるあなたの父に見ていただくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」 ※「父」とは、イエス・キリストの父である神様のことです。

教会の長い歴史の中で、断食はイエス・キリストの受難にあずかる行為として大切にされていましたが、同時に行為だけが優先し、断食することが目的化してしまった時代もありました。現在、教会はイエスの精神に戻り、祈りと愛の業との関連で断食を意義づけています。具体的には、カトリック教会では、「大斎」と「小斎」を定め、償いと克己(こっき:自分の感情・欲望・邪念などにうちかつこと。)を行わせ、イエス・キリストの受難に倣うようにしています。

大斎も小斎も各自の判断にまかされています。とくに愛徳のわざ、信心業、節制のわざを実行することをもって替えることができ、14歳以上の人が守ります。大斎の日は灰の水曜日と聖金曜日。小斎の日は毎金曜日ですが、その日が祭日に当たるときには小斎とはなりません。まぁ、この期間に、好きなタバコやお酒を断つなどをしている人は多いです………そのまま禁煙に結びついた人もいますが、禁酒した人は聞いたことがありませんね。

ちなみに、「灰の水曜日」の前、つまり四旬節の始まる直前に、世界各地で「謝肉祭(カーニバル)」というお祭りが行われていますが、古代・中世のキリスト教者(クリスチャン)達は、四旬節に肉食を断っていたので、その前に肉のごちそうを食べて大いに騒いでいたそうです。その習慣が今も続いているのですが、現在では宗教的な意味合いは薄れ、日本のクリスマスのように商業的になっていますね。キリスト教会とは直接関係ありません。
nice!(0)  コメント(0) 

今日の日記2020.2.26(すべてのミサが中止!) [日記]

本日、カトリック東京大司教の菊地大司教から、次のとおり「新型コロナウイルス感染症に伴う、公開のミサ中止について」の文書が発表されました………すべてのミサが中止となりました( ̄◇ ̄;) 本文は次のとおりです。

「カトリック東京大司教区の皆様
カトリック東京大司教区 大司教 菊地功

『新型コロナウイルス感染症に伴う、公開のミサ中止について』

新型コロナウイルスによる感染症の拡大と重篤な症例が報告されるに至り、一昨日には厚生労働省の専門家会議から具体的な見解が示されました。
感染が拡大する時期にあって、国の専門家会議は、今後、一から二週間が感染拡大のスピードを抑えられるかどうかの瀬戸際だという見解を示し、大多数が集まり濃厚な接触の可能性のある集会などの自粛が求められています。
すでに東京教区では、第一次と第二次の注意喚起をもって、感染拡大のための対策を講じてきましたが、さらに感染が拡大し多くのかたの生命が危険にさらされる可能性が出てきました。感染拡大の危険を軽減し生命を守るために、教会としてもこの重要な二週間にあってはこれまでにない対策を講じる必要があると判断いたしました。
そこで、考えられる様々なリスクを避けるため、以下のように対応を定めましたので、第一次と第二次の注意喚起とともに、具体的な対応をお願いいたします。

1:2月27日(木)から3月14日(土)まで、公開のミサを原則として中止します。
2:特に3月1日と8日の主日にあっては、小教区をはじめ、定期的に不特定多数の信徒が参集して主日ミサが行われている施設では、公開のミサを原則として中止にします。
3:ただし、結婚式や葬儀は、充分な感染対策をとった上で、通常通り行います。
4:2月27日から3月14日まで、週日のミサは、ごく小規模な参加者の場合を除いて、同様に中止します。
5:大きな状況の変化がない限り、現時点では初期対応として二週間のミサ中止を考えていますから、3月15日以降は、通常に復帰する予定です。ただしその場合も、第一次と第二次の注意喚起にご留意ください。
6:ミサ以外の諸行事に関しては、 規模が小さい集まりを除いて、できる限り延期または中止するようにご配慮ください。なお飲食が伴う行事に関しては、すでに東京都が自粛の方向性を示しています。
7:3月1日と8日にあっては、東京教区の「すべての信徒」を対象に、主日のミサに与る義務を免除します。それぞれが聖書を朗読し祈りを捧げる時を持つことを勧めます。また可能であればインターネットでミサを中継できるように手配をいたしますが、その場合、中継のミサに与って霊的聖体拝領をするように勧めます。

教会にとって、日々捧げられるべきミサの中止の決断は、容易なことではありません。判断に至った状況の深刻さを、ご理解くださいますように、お願いいたします。
東京教区の小教区にあっては、観光客も含めいわゆる「不特定多数」の方々が集まる規模が大きい教会も少なくありません。また信徒にあっても、高齢の方々が増加している現実を考えると、ミサ中における濃厚接触の可能性や、ミサへ来るための移動中の感染の可能性などのリスクを回避することは重要です。もちろんそれぞれの方々の自己判断に信頼したミサ参加自粛の要請にとどめることも考えましたが、感染拡大を食い止めるための重要な二週間にあっては、その効果を確かなものとするために、ミサを中止するべきだと判断しました。
上記の通り、現時点では3月14日までの時間を区切っての対応としております。限定した期間が終了する前に今一度判断をいたしますが、行政からの積極的な自粛要請がある場合を除いて、感染期間中すべてに渡って、ミサを中止する考えはありません。感染拡大を食い止めるための、緊急避難措置とご理解いただければ幸いです。

もちろんわたしたちは祈りの力を信じています。病気が蔓延したからといって祈りを止めることはありません。感染に対応する様々な手段を講じる中に霊的な戦いをも含めていなければ、この世界に教会として存在する意味がありません。
「私の記念としてこれを行え」と命じられた主の言葉を思い起こすとき、ミサを中止にすると言うことは、霊的な敗北のように見えてしまいます。だからこそ、この危機に直面している時代には、通常以上に様々な祈りを捧げなければなりません。ミサの中止は敗北ではなく、祈りの持つ力を改めて認識し、祈りによって霊的に深めるための機会でもあること、また祈りの力を改めて認識する機会でもあることを心にとめたいと思います。
信仰におけるいのちへの希望を掲げながら、愛といつくしみの心を持って、感染した方々の回復と事態の収拾を、わたしたちの母である聖母マリアの取り次ぎのもと、父である神に祈りましょう。」
以上です。
nice!(0)  コメント(0) 

北大路魯山人のことば(第2日目) [非キリスト者(ノンクリスチャン)]

「日本人が常に刺身を愛し、常食する所以は、自然の味、天然の味を加工の味以上に尊重するからである。」

北大路魯山人のことは、「北大路魯山人のことば(第1日目)2020.2.25」をご覧ください。
私が思うに、日本料理の特徴は、自然(天然)の素材を生かし、料理方法が単純であることだと思います。それが日本料理の良さであり、美しさではないかと思います。
nice!(0)  コメント(0)