教会日記2020.2.19(カトリック礼拝会修道院「平日のミサ」水曜日) [教会日記]

今日は、出勤する前に小田急線喜多見駅で途中下車し、カトリック女子修道会の礼拝会修道院での7時からの平日のミサに与りました。礼拝会修道院は、昨年の11月6日以来、約3ヶ月半ぶりの訪問となりました。今朝も寒いですが、私は清々しい朝を迎えています!

7時からのミサではご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、行方不明となっている小学一年生の小倉美咲ちゃんが、元気な姿で両親の元に帰れるようにお祈りし、同僚の病が癒されますように、同僚のお嬢さんの病気が完治しますようにと心を込めてお祈りしました。
では、仕事に行ってまいります!
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水野源三のことば・詩(第1日目) [キリスト者(クリスチャン)]

“瞬き(まばたき)の詩人”水野源三の詩
『キリストを知るためだと分かりました』 
「病に倒れたその時には、涙流して悲しんだが、
霊の病いやしたもうキリストを知るためだとわかり、
喜びと感謝に変わりました。
友にそむかれたその時には、夜も眠れずに恨んだが、
とわに変わらない友なるキリストを知るためだとわかり、
喜びと感謝に変わりました。
過ち犯したその時には、心を乱してくやんだが、
すべてをば償いたもうキリストを知るためだとわかり、
喜びと感謝に変わりました。」

水野源三は、キリスト教プロテスタントのクリスチャンで詩人です。長野県埴科郡坂城町に生まれ、9歳の時に赤痢に罹ってその高熱によって脳性麻痺を起こし、やがて見ること聞くことの機能以外のすべてを失いました。話すことも書くことも出来なくなりましたが、母親が何とか彼と意思の疎通をしようと五十音順を指で指し示したところ、目の動きで応答し、これが47才で天に召されるまで彼の唯一のコミュニケーション能力となりました。「瞬き(まばたき)の詩人」と呼ばれるようになったのはそのためです。

12才の時、偶然にも牧師(ぼくし:プロテスタント教会は「牧師」で、カトリック教会は「神父(しんぷ)」といいます。)が置いていった聖書を読み、ラジオでキリスト教放送を聴き、キリスト教の通信教育も受けて13才でクリスチャンとなり、18才の時からは詩作を開始し多くの作品を生み出しました。その詩風は神への喜びを表す純粋な詩で、彼のその姿は、クリスチャンはもとより多くの人々の感動を呼びました。この詩は、キリスト教の信仰に生涯を捧げられた水野さんの人柄が偲ばれる詩ですね。

水野源三詩集です。すべて「アシュラム・センター」から出版されています。
『わが恵み汝に足れり―水野源三第一詩集』(1975年)
『主にまかせよ汝が身を―水野源三第二詩集 』(1978年)
『今あるは神の恵み―水野源三第三詩集』(1981年)
『み国をめざして―水野源三第四詩集』(1984年)
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