「映画『マグダラのマリア』」のご紹介 [キリスト教関係事項・用語等]

映画『マグダラのマリア(Mary Magdalene)』は、新約聖書に記載されている聖マグダラのマリアを主人公とする英米共同製作の映画です。ヘレン・エドムンドソンとフィリッパ・ゴスレットの脚本に基づき、ガース・デイヴィスが監督を務めています。映画『キャロル』でカンヌ国際映画祭主演女優賞を受賞したルーニー・マーラがマグダラのマリア役で、映画『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』でゴールデングローブ賞主演男優賞を受賞したホアキン・フェニックスがイエス・キリスト役を演じています。2016年の夏に撮影が開始され、アメリカでは当初は2017年11月24日に公開予定でしたが延期となり、その後イギリスで2018年3月16日より、オーストラリアで同月22日より上映されました。
6CCB5D1C-16C6-4748-83B9-BB60AA01F316.jpeg
今までイエス・キリストの母親である聖母マリア様が主人公の映画はありましたが、マグダラのマリアが主人公の伝記的な映画は初めてではないでしょうか。特にこの映画は、最初から最後までマグダラのマリアの視点で画かれており、より人間的なイエス・キリストが画かれています………ということなのですが、映画のストーリーは聖書(福音書)の内容をほとんど飛ばしていますので、イエス・キリストが行った数々の奇跡、最後の晩餐、そして受難というものが、ものすごく粗い表現となっており、聖書を読んで知っている方はつまらないストーリーと思われるでしょう。( ̄◇ ̄;) また、それ以上に、聖書を読んだことのない方には、わけがわからないストーリーということになりかねません。ご紹介しておきながら誠に申し訳ないのですが、完全に期待を裏切られました(⌒-⌒; )

新約聖書では、マグダラのマリアは4つの福音書の中で①イエス・キリストに悪霊を追い払ってもらった女性、②イエス・キリストの磔刑(十字架の刑)に立ち会った女性、③復活したイエスに最初に出会った女性として記載されており、いずれもイエス・キリストの証人的存在な重要人物といて記載されています。『聖書協会共同訳聖書』から
◯新約聖書:マタイによる福音書・第27章・第56節
「その中には、マグダラのマリア、ヤコブとヨセフの母マリア、ゼベダイの子らの母がいた。」
同福音書・27章・61節
「マグダラのマリアともう一人のマリアとはそこに残り、墓に向かって座っていた。」
同福音書28章・1節
「さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。」
◯新約聖書:マルコによる福音書・第15章・第40節
「また、女たちも遠くから見守っていた。その中には、マグダラのマリア、小ヤコブとヨセの母マリア、そしてサロメがいた。」
同福音書・第15章・第47節
「マグダラのマリアとヨセの母マリアとは、イエスの納められた場所を見届けた。」
同福音書・第16章・第1節
「安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。」
同福音書・第16章・第9節
「週の初めの日、朝早く、イエスは復活して、まずマグダラのマリアにご自身を現された。このマリアは、以前イエスに七つの悪霊を追い出していただいた女である。」
◯新約聖書:ルカによる福音書・第8章第2節
「悪霊を追い出して病気を癒やしてもらった女たち、すなわち、七つの悪霊を追い出してもらったマグダラの女と呼ばれるマリア、」
同福音書・第24章・第10節
「それは、マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいたほかの女たちであった。女たちはこれらのことを使徒たちに話した。」
◯新約聖書:ヨハネによる福音書:第19章・25節
「イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。」
同福音書:第20章・第1節
「週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。」
同福音書・第20章・第18節
「マグダラのマリアは弟子たちのところに行って、「私は主を見ました」と告げ、また、主から言われたことを伝えた。」
nice!(0)  コメント(0) 

「聖スコラスチカおとめ」のお話し [聖人・福者・尊者]

またまた掲載するのを忘れていました( ̄▽ ̄;) 2月10日は、「聖スコラスチカおとめ」の祝日でした。聖スコラスチカ(イラリア:480年ごろ~542年ごろ)は、イタリア中部のヌルシアの裕福な信仰深い家に生まれ、ヨーロッパの修道院制を確立して「修道生活の父」と呼ばれる聖ベネディクトの妹です。
生後まもなく母を亡くし、父と兄によって育てられました。兄(聖ベネディクト)が山にこもって修道生活を始めると、スコラスチカも修道生活を送り、神に生涯をささげたいと望むようになりました。やがて兄が創設したモンテ・カッシーノ修道院の近くに家を建て、祈りと労働の生活を始めたところ、彼女のところに「祈りと労働に専念する生活をしたい。」と願う女性達が集まり、その家は修道院となって彼女は院長として会員たちを導きました。
聖スコラスチカ.jpg
当時、ベネディクト会修道院には異性が入ることはできなかったので、兄妹は年に1度、修道院の中間にある農家で出会い、神、祈りそして修道生活について語りあったそうです。死期が近づいたことを感じたスコラスチカは、兄ともっと神について語り明かしたいと思ったところ、彼女の切なる祈りが嵐を起こし、帰ろうとする兄の足を引きとめたといわれています。その3日後、彼女は息を引き取り天に召され、兄は妹の魂が白い鳩のように昇天していくのを見たそうです。兄妹はモンテ・カッシーノにある同じ墓に眠っています。
nice!(0)  コメント(0)