手持ち十字架のお話し [聖品紹介]

いつもカバンに入れて持ち歩いている十字架です。
こげ茶色のところは木製で、その縁を金属の枠で囲んでいます。十字架には聖ベネディクトのメダイがはめ込んであります。この十字架は、出張などで宿泊するホテルの部屋でお祈りする時にデスクの上に置いたり、たまにですが、不安を感じる時は手に持って眺めたりします。とにかく落ち着きます。
縦:15.5cm
横:8cm
この十字架は悪魔払いに使えそうですね~( ̄▽ ̄;) 私はただのカトリック教会の信徒で、司祭(神父)ではありませんのでエクソシストにはなれませんね(⌒-⌒; ) ちなみに、カトリック教会の十字架は、必ずイエス・キリストの体がついていますが、プロテスタント教会の十字架に体はありません。
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【聖ベネディクトのメダイ】
聖ベネディクトのメダイの詳しいことは、このブログの2022年7月11日に記載した「聖ベネディクトのメダイのお話し」をお読みください。次のアドレスをクリックしてください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2022-07-11-12
【エクソシスト】
エクソシストの詳しいことは、このブログの2022年2月27日に記載した「エクソシスム及びエクソシストのお話し」をお読みください。次のアドレスをクリックしてください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2022-02-27
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教会日記2023.11.10(カトリック成城・聖タデオ教会「聖レオ一世教皇教会博士の記念日のミサ(年間第31金曜日のミサ)」金曜日) [教会日記]

今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会で7時からの「聖レオ一世教皇教会博士の記念日のミサ(年間第31金曜日のミサ)」に与りました。今日は、最高気温が17度と20度代を割りました。これで秋も深まりますね。芸術の秋、読書の秋、食欲の秋などいろいろな秋がありますが、私の場合はもちろん食欲の秋です!(⌒-⌒; )

ミサでは、先唱奉仕を担当しました。
そして、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。

そして、
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、

そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。

終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
今日も清々しい一日を迎えています!
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「聖レオ一世教皇教会博士」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日11月10日は、「聖レオ一世教皇教会博士」の記念日です。
聖レオ一世教皇は、390年にイタリアのピサ近郊で生まれました。440年に教皇として即位し、地方教会の改革や教皇権の強化などに務め、教義論争でも異端説を弾圧して正統論を確立しました。聖レオ一世教皇の功績は、なんといってもゲルマン民族の大移動による紛争時代に、イタリア(ローマ)に侵入してくるフン族などと常に平和的な解決に努めてたことです。これについて、よく知られている次の史実があります。
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フン族の首長・アッティラがイタリアに侵攻してきましたが、レオ一世教皇はアッティラと会見して平和的解決を図りました。中世ハンガリーの年代記によると、教皇はアッティラに「もしも平和裏にローマから去るならば、彼の後継者の一人が「聖なる王冠」を受け取るであろう。」と約束し、その結果、452年にアッティラはローマから撤退しています。実際には、フン族の陣営に疫病と飢餓が発生していたと見られています。ヨーロッパでは、「ローマ教皇の忠告を守らなかったアッティラに神の天罰が下って死亡し、残された軍勢は天罰を恐れてローマ教皇の忠告を守り、夕日を背にして生まれ故郷の東方に帰っていった。」という非常に有名な伝承が残っています。455年にヴァンダル族の王ガイセリックの軍勢がローマに侵攻してきた時も、その司令官と会見することで虐殺やローマの破壊をしないよう要請して平和的な解決に努めています。キリスト教側は、これらの事件を布教活動に利用し、ヨーロッパでその後1,000年近く続くことになった「王や諸侯よりも強大なキリスト教(教皇)の権威が生まれるきっかけ」となりました。また、レオ一世教皇は、司祭はもちろん、副助祭に至るまで聖職者のあらゆる結婚を禁じています。武力による解決を好まず、常に平和な世の中になるように尽くしたため、後に「大教皇」と称されています。
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