教会日記2023.11.11(カトリック成城・聖タデオ教会「年間第32主日のミサ」土曜日) [教会日記]

今夜は、カトリック成城・聖タデオ教会で18時からの「年間第32主日のミサ」に与りました。今日は、祭壇奉仕(侍者)を担当したのですが、大失敗してしまいました!( ̄◇ ̄;) それも3箇所も(T_T) 前回と同じで集中力を欠いていました( i _ i )学習能力のないただのアホでした。次回は完璧にこなしリベンジです。まぁ、完璧にやって当たり前なのですが(⌒-⌒; )
さて、久しぶりに寒さを感じる一日でしたね。午前中はゆっくりして午後一番で理髪店で髪を切り、そしてボランティア活動の会合に出席し、終わってからミサに与りました。帰宅後は、妻といつものウォーキングです!ミサの反省をしながら1時間歩いて汗をかいてきます!

ミサでは、祭壇奉仕(侍者)を担当しました。
そして、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。

そして、
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、

そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。

終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
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今日の日記2023.11.11(シナモンロール!) [日記]

午後からボランティア活動の会合です。その前にスタバでコーヒーと大好きなシナモンロールで小休憩しました!
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「聖マルティヌス司教」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日11月11日は、「聖マルティヌス司教」の記念日です。
フランス中部にあるトゥールのマルティヌス(マルタン又はマルチノともいいます)は、キリスト教カトリックの聖人に列せられています。316年ごろ、ローマ帝国領パンノニア州(現在のハンガリー)サバリアに生まれ、397年トゥーレーヌのカンドで亡くなりました。ローマ帝国軍の将校であった父親の転任で、幼少期にパヴィーアへ移住し、のちにローマ軍に入隊しました。所属する連隊が、しばらくしてガリア(現在のフランス地域のこと)のフランス北部のアミアンに派遣された時、有名な『マントの伝説』が起こりました。

ある非常に寒い日のこと、マルティヌスがアミアンの城門を出たところで、半裸で震えている物乞いを見つけました。この寒さの中で可哀想だと思い、着けていたマントを剣で2つに引き裂いて半分を物乞いに与えました。その夜見た夢に、物乞いに与えたマントの半分を身にまとったイエス・キリストが現れ、引き連れていた天使達に向かって、「ここにいるのは、まだ洗礼を受けていないローマの兵マルティヌス、私にマントを与えた者である。」とおっしゃられました。なんと!あの物乞いはイエス様だったのです。これがキリスト教の受洗(洗礼を受けること)のきっかけとなり、その後に軍隊を除隊しました。マルティヌスが持っていた方の半分は、「聖マルティヌスのマント」として、フランク王国(フランス)の歴代国王の礼拝堂に保管されたそうです。

◯アミアンの城門を出たところで、自分のマントを剣で切り裂いて寒さに震えている物乞いに、マントの半分を与えるローマ兵のマルティヌスです。
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◯真夜中、マルティヌスが寝ているところに、天使たちを率いて現れたイエス・キリストです。その御身(おんみ)には、マルティヌスからもらったマントの半分をまとっています。
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軍隊を除隊すると、マルティヌスは、361年にポワティエから少し離れた地域(フランス北部のリグージェ)をキリスト教に教化する許可を得て活動し、多くの修道士が彼の周りに集まったそうです。これが、西方キリスト教会初の修道院、リグージェ修道院です。その後、トゥールの司教となり積極的に活動しました。81歳で亡くなったマルティヌスは、その謙遜と禁欲を重視した生き方で人々の崇拝の対象となり、偉大な聖人と称えられました。また、生前あるいは死後に起きたマルティヌスによる奇跡についての記録も多く残っています。キリスト教カトリック教会の聖名祝日は11月11日です。この日は命日とも、埋葬された日とも、また誕生日であるともいわれています。

聖マルティヌスの行為は、人の為に善い行いをすること。特に虐げられている人達、貧困に喘いでいる人達、病に苦しんでいる人達のために善い行いをすることです。聖書には次のとおり書かれています。
◯新約聖書:マタイによる福音書・第25章・第31~第46節
「人の子が栄光に包まれ、すべてのみ使いを従えて来るとき、人の子は栄光の座に着く。そして、すべての民衆がその前に集められ、羊飼いが羊と山羊を分けるように、人の子は彼らを二つに分、羊を右に、山羊を左に置く。その時、王は自分の右側の者に言う、『わたしの父に祝福された者たち、さあ、世の初めからあなた方のために用意されている国を受け継ぎなさい。あなた方は、わたしが飢えていた時に食べさせ、渇いていた時に飲ませ、旅をしていた時に宿を貸し、裸の時に服を着せ、病気の時に見舞い、牢獄に牢にいた時に訪ねてくれたからである。』すると、正しい人たちは答える。『主よ、いつわたしたちはあなたが飢えておられるのを見て食べさせ、渇いておられるのを見て飲ませましたか。いつ あなたが旅をしておられるのを見て宿を貸し、裸でおられるのを見て服をお着せしましたか。また、いつあなたが病気であったり、牢獄におられるのを見て、あなたをお訪ねしましたか。』すると王は答えて言う。『あなたがたによく言っておく。これらのわたしの兄弟、しかも最も小さい者の一人にしたことは、わたしにしたのである。』
それから、王はまた左側の者にも言う、『呪われた者たち、わたしから離れ去り、悪魔とその使いのために用意されている永遠の火に入れ。 お前たちは、わたしが飢えていた時に食べさせず、渇いた時に飲ませず、旅をしていた時に宿を貸さず、裸の時に服を着せず、病気の時、牢獄にいた時に、訪ねてくれなかったからである。』その時、彼らもまた答えて言う。『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしていたり、裸であったり病気であったり、牢獄におられたりしたのを見ても、お世話をしませんでしたか。』 すると、王は答えて言う。『お前たちによく言っておく。これらの最も小さい者の一人にしなかったことは、わたしにしなかったのである。』こうして、これらの者たちは永遠の刑罰に、正しい人たちは永遠の命に入る。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から
注)①「人の子」とは、イエス・キリストのこと。②「永遠の刑罰」とは、地獄で苛まれること。③「永遠の命」とは、天国で安息を得ること。

解釈をしますと、冒頭にある「人の子が栄光に包まれ、すべてのみ使いを従えて来るとき」というのは、終末(この世の終わり)に、イエス・キリストが再臨するということです。その時に天使たちを従えて来て“最後の審判”をするのです。分かりやすく説明すると、この世の終わりに、イエス・キリストが再び現れて、最終的に天国に入る者と地獄に落ちる者とを選別するということです。「王」とは、イエス・キリストのことです。「わたしの兄弟、しかも最も小さい者」とは、虐げられている人達、貧困に喘いでいる人達、病に苦しんでいる人達など、神様に救いを求めている人達のことです。「永遠の刑罰」というのは地獄に落ちるということで、「永遠の命に入る」というのは天国に入るということです。
この聖句の中に、「裸の時に服を着せ」とあります。聖マルティヌスが物乞いにマントの半分を与えたことですね。自分のためではなく、人の為に善い行いをすること。特に虐げられている人達、貧困に喘いでいる人達、病に苦しんでいる人達のために善い行いをすることです。それがイエス様にすることになるのですね。信じることだけでは信仰とはいえません。善い行いが伴って初めて信仰と言えるのです。

◯「聖マルティヌスの日」
前述のとおり、今日はカトリック教会では「聖マルティヌス司祭の記念日」ですが、ヨーロッパ諸国では、「聖マルティヌスの日」とし特別にお祝いする日でもあります。各国の言語の違いで「聖マーティンの日」、「サン・マルタンの日」などとも呼ばれます。この「聖マルティヌスの日」は、民俗行事としては収穫祭が行われる日であり、冬の始まりの日とされます。ちなみに、11月11日は聖マルティヌスの命日とされていますが、この日は埋葬日という説と誕生日という説があるそうです。

昔は農民たちが一年を締めくくる日でもあり、元々クリスマスに行われていた雇用契約の更新や地代の支払いもこの日に行われるようになりました。子供たちは、ランタンに火をともして、自分が住む町の市長が扮する聖マルティヌスを教会に案内し、その見返りとしてパンをもらう。また、家々を一軒ずつ回って祝福の言葉を述べ、その家の人が、パンや菓子を与えるといった風習があり、スイスでは、カブやカボチャをくりぬいてランタンを作り、山車に乗せて行進が行われたりするそうです。

この日はまた、ガチョウを食べる日でもあり、脂の乗ったガチョウをローストして、紫キャベツとジャガイモのダンプリングを付け合わせて食べます。ガチョウを食べる理由としては、かつて聖マルティヌスがトゥールの司教を依頼されたもののその気になれず、使いに見つからないようにガチョウ小屋に隠れていたのを、ガチョウが騒ぎ立てたために見つかってしまい、結局司教に就任せざるを得なくなったため、「罰」として、ガチョウを食べるようになったというエピソードがあるそうです。

ドイツ南部では、この日の前夜に「狼払い」が行われます。若者や子供たちがご馳走を食べた後、聖マルティヌスに扮装して、カウベルや鞭、場所によっては太鼓を鳴らして「狼よ、出て行け!」と叫びます。元は悪魔払いだそうです。スペインでは、この日にブタを屠殺・解体して冬に備える慣わし「マタンサ」があり、このため、「それぞれのブタにサン・マルティンの日が来る」ということわざがあります。ブタのような見下げ果てた人間にもいずれ悪事のツケが廻ってくるという意味です。
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