今日の日記2023.11.13(ミサ欠席(T . T)) [日記]

今朝は、JR横浜線が車両故障・点検で相原駅午前6時2分発の電車が大幅に遅れたため、成城教会での7時からの「年間第32月曜日のミサ」に間に合わず、ミサに与ることができませんでした( i _ i )もうこれは残念としか言いようがありませんね。
自宅と教会が遠距離だと、たまに電車の運行の遅れでミサを欠席することになります。ですから、先唱奉仕や朗読奉仕を担当する日は、遅れたり欠席するわけにはいきませんので1本早い電車に乗ることになり、4時30分起きとなります( ̄▽ ̄;)

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新約聖書:ヨハネの黙示録・第13章・第15~18節 [聖書]

「第二の獣は、獣の像に息を吹き込んで、獣の像がものを言うことさえできるようにし、獣の像を拝もうとしない者があれば、皆殺しにさせた。また、小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由人にも奴隷にも、すべての者にその右手か額に刻印を押させた。
そして、この刻印のある者でなければ、物を買うことも、売ることもできないようにした。この刻印とはあの獣の名、あるいはその名の数字である。ここに知恵がある。理解ある者は、獣の数字の持つ意味を考えるがよい。数字は人間を指している。そして、その数字は六百六十六である。」
『聖書協会共同訳聖書』から

このブログに4回目の掲載となります。聖書(旧約聖書+新約聖書)をとおして最も難解なのが、この「ヨハネの黙示録」です。はっきり言って信徒でも、何が書いてあるのか?何を言っているのか?まったく分かりません!「注解書」がないと解読できないのに、初めて聖書を読む方は間違いなく理解できません。だから「黙示録」なんだという方もいますが……。でも、聖書を真剣に読み出して7年経って、やっと書かれていることが理解できるようになりました。では、次に「黙示(アポカリプス)」とは何か?について説明をしますね。

黙示とは、初期のユダヤ教及びキリスト教において、“神が選ばれた預言者に与えたとする「秘密の暴露」、またそれを記録したもの”ということになります。黙示を記録した書を「黙示文学」といいます。黙示文学は、天地創造以来、現代を経て終末に至るまでの時代区分の説明、善と悪の対立、現代が悪の支配する時代であるという認識、終末による悪の時代の終焉、死者の復活、最後の審判、天国と地獄などの教義が書かれています。

この黙示文学の1つの書が「ヨハネの黙示録」です。新約聖書が成立したのは3世紀終わりごろですが、当時、「ヨハネの黙示録」の扱いは、キリスト教徒の間でも、その解釈と正典への受け入れをめぐって多くの論議を呼び起こし、大いに揉めたという記録があります。伝統的に『黙示録』の成立は、ローマ皇帝ドミティアヌス帝時代の紀元96年辺りであると考えられてきましたが、中にはネロ帝時代の69年頃と考える聖書学者もいます。

今日は解釈ではなく、最後のところにある「666」の数字についてご説明します。この「666」は、オカルト映画では度々“悪魔の数字”とされており、その代表的な映画「オーメン」は、頭に「666」のアザを持つ悪魔の子ダミアンを巡る物語です。では、なぜ悪魔の数字になのか?!と言いますと、現在の多くの聖書学者や研究者の一致した解釈では、この「666」はローマ帝国第5代皇帝であった「ネロ」のことだとしています。

皇帝ネロは、史実としてキリスト教徒を大迫害、大虐殺したことで悪名を残しています。ローマ市内の大きな競技場に貴族や市民を集め、キリスト教徒がライオンに食い殺されるところを見世物にしたり、木に縛りつけて火炙りにして焼死するところを見世物にしたり、残忍極まりないことをした記録が残っています。まぁ、古代は現代のような理性のない時代だったのです。このことから皇帝ネロ=悪魔・獣=666という図式になるのです。

なぜ666が皇帝ネロなのか?ネロ(Nero Caesar)のギリシア語表記(Νέρων Καίσαρ, Nerōn Kaisar)をヘブライ文字に置き換え(נרון קסר, Nrwn Ksr)、これを数値化し、その和が「666」になるというものです。ヘブライ文字はギリシア文字のように、それぞれの文字が数値を持っており、これによって数記が可能となります。「数字は人間を指している。そして、数字は666である。」は、つまり皇帝ネロということです。

【黙示、黙示録、黙示文学】
紀元前200年頃~200年頃の約400年間にユダヤ・キリスト教文化圏で書かれた一連の宗教的文学ジャンルの総称です。内容は、未来の出来事、特にこの“世の終末”の時のありさまについての秘密の知識を超人間的な手段で知り、これを象徴によって人々に語り、最後まで忠実である人々を神が劇的に救済するという匿名の (ときに高名な預言者の名を借りた) 書物が中心です。宗教的圧迫や政治的苦難を社会的背景として生れ、民衆の間に広がりました。またエッセネ派や原始キリスト教に深い影響を与えました。聖書正典としては旧約の『ダニエル書』,新約の『ヨハネの黙示録』が代表的です。その他聖書、外典を問わずこの文学に属する文書又は断片は少なくありません。これらの文学の解釈をめぐっては,未来を予言するとするもの、荒唐無稽とするものなどさまざまな立場があります。19世紀以来この種の文学が復活し、現代のSFにもこの傾向がみられるようです。
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