教会日記2023.11.18(カトリック成城・聖タデオ教会「年間第33主日のミサ)」土曜日) [教会日記]

今夜は、カトリック成城・聖タデオ教会で18時からの「年間第33主日のミサ」に与りました。その前に、来週25日(土)18時からの「王であるキリストの祭日のミサ」で聖歌奉仕を担当しますので、聖歌隊の練習がありました。寒くなりましたね〜帰ったら、妻と2人でいつもの1時間ウォーキングです!と思いきや、妻の仕事(保育園・保育士)の残業が長引いており、久しぶりに中止となりました(⌒-⌒; )
◯来週25日(土)の聖歌奉仕で聖歌隊の歌う聖歌は次のとおりです。
入祭の歌:典礼聖歌集・第25番「栄光は世界におよび」
答唱詩編:典礼聖歌集・第123番「主はわれらの牧者」①③
アレルヤ唱:典礼聖歌集・第266番「王であるキリスト」
奉納の歌:典礼聖歌集・第171番「わたしたちは神の民」
拝領の歌:典礼聖歌集・第392番「週のはじめ」
拝領後の歌:カトリック聖歌集・第281番「あめつちをつくり」

ミサでは、「貧しい人のための世界祈願(11月19日)」と「聖書週間(11月19日(日)~26日(日))」の始まりにあたりお祈りを捧げました。また、カトリック東京大司教区と姉妹教会関係にあるミャンマーの教会と信徒のためにもお祈りを捧げました。(東京大司教区は、11月の第三主日をミャンマーデーとしています。)なお、「貧しい人のための世界祈願」と「聖書週間」の詳細については、明日このブログに掲載いたします。
そして、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。

そして、
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、

そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。

終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
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今日の日記2023.11.18(みどり寿司!) [日記]

今日のお昼は、私が所属しているホームレス支援活動団体の「山谷夜回りの会」の仲間2人と、世田谷区梅ヶ丘にある「みどり寿司」でお寿司を食べまくりました(^◇^)2人は長男と三男の兄弟で、今年、東京都の中高英語教諭の採用試験に合格して採用が決まった兄と、昨年、私が勤務する大学を受験して合格をしたのですが、辞退してより上位大学を目指している受験生の弟です。2人とも所属教会はカトリック板橋教会です。
◯超特選にぎりや極上マグロづくしなどを食べ、さすがにお腹いっぱいです!美味しかった〜!今月末は結婚祝いでご夫妻をお招きし、妻と4人で来ます!
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「サタンよ、退け!」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

私たち日本人は一般的に神道の民族であり、ほとんどは仏教徒であると思います。しかし、自分が仏教徒であると認識している人はどのくらいいるのでしょうか。そして、毎年の恒例行事のようにお正月になると初詣をしている人で、自分は「神道を信仰している。」と言える人はどのくらいいるのでしょうか。実際はよくわからないですね。一方、日本人は無神論者が多いということもよく聞きます。しかし、日本には山の神(大山津見神など)、海の神(大綿津見神など)、川の神(弥都波能売神など)、火の神、雷の神、食の神、農業の神、漁業の神などなど、 “ 八百万の神(やおろづのかみ) ” がいるといわれるほどの多神教国家なのです。まぁ、国民が認識していなくても自覚していなくても、とにかく信仰は存在しているわけです。

そのような日本人ですが、きちんと認識して自覚して強固な信念をもって信仰している人はいるわけです。でも、その数は国民総数から見て必ずしも多くはないと思います。しかし、ある意味、これはこれでとても良いことなのです………というのは、神様に対して強固な信仰を持つまでは、サタン(=悪魔)は人間に悪さをしないからです。ですから、無神論の仏教徒は、悪魔にとって何の不都合もないのです。しかし、クリスチャン(キリスト者)になると悪魔は困るのです。キリスト教(ユダヤ教も)では、サタンは神の敵対者ですから、その敵である神様を人間が強固な信念をもって信仰しているということは、サタンにとっては絶対に許されないことになるのです。ちなみに、イスラーム(イスラム教)ではサタンは人間の敵対者です。

ですから、サタンは人間の信仰を破壊しようと誘惑してくるわけです。聖書の福音書に書かれていますが、イエス・キリストも、洗礼を受け、聖霊を受け、断食して公生活に入ろうとされたとき、サタンがやってきて、イエス・キリストに3つの誘惑をしかけて試みました。
◯新約聖書:マタイによる福音書・第4章(マタイによる福音書の第4章は『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から引用、申命記は『新共同訳聖書』から引用しました。)
★誘惑その1:「石をパンにする奇跡を起こしてみろ」という誘惑
「もしあなたが神の子なら、これらの石がパンになるよう命じなさい。」
これに対してイエス・キリストは、「人はパンだけで生きるものではなくい。神の口から出るすべての言葉によって生きる。」と書いてあると言って退けました。
これは旧約聖書の『申命記』第8章・第3節の聖句です。
「主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。」

★誘惑その2:神殿の頂上に立たせて、「ここから飛び降りてみろ。天使が足を支えると聖書に書いてあるだろう」という誘惑
「もしあなたが神の子なら、ここから身を投げなさい。『神はあなたのためにみ使いに命じ、あなたの足が石に打ちあたらないよう、手であなたを支える』と書き記されている。」
これに対してイエス・キリストは、「あなたの神、主を試みてはならない」と書いてあると言って退けました
これは旧約聖書の『申命記』第6章・第16節の聖句です。
「あなたたちがマサにいたときにしたように、あなたたちの神、主を試してはならない。」

★誘惑その3:高い山の頂上に連れて行き、全世界の国とその栄華を見せ、「もしあなたがわたしにひれ伏して拝むなら、これらのものをみなあなたにあげましょう」という誘惑
「もしあなたがひれ伏して、わたしを礼拝するなら、これらのものすべてあなたに与えよう。」
これに対してイエス・キリストは、「サタンよ、退け、『あなたの神、主を礼拝し、ただ主にのみ仕えよ』と書いてある」と言って退けました。
これは旧約聖書の『申命記』第6章・第13節の聖句です。
「あなたの神、主を畏れ、主にのみ仕え、その御名によって誓いなさい。」

サタンは、人間の信仰を破壊しようと、悲しみ、失望、落胆、心配、不安、恐怖などを持って攻撃してくるわけです。甘い誘惑を仕掛けてくるわけです。例えば既婚の男女には、 “ 不倫 ” という異性の誘惑を仕掛けてくるわけです。あるいは不正な金銭を授受する誘惑であったり、隣人へ悪意を抱かせ人間関係を悪くしたり、 “ 七つの大罪(肉欲・貪欲・堕落・傲慢・憤怒・嫉妬・大食) ” を仕掛けたりするわけです。では、私たち人間は、このサタンの悪の誘惑をどのように防いだらよいのか?ということですが、宗教改革で有名なマルチン・ルターは「頭上をカラスが飛んでゆくのは防ぎようがない。しかし頭の中に巣を造るのは、自分の意志で阻止できる」と言ったそうです。確かに言葉のとおり!名言です。

サタンの撃退法は、人間の意思しだいということになるのですね。それはそのとおりですが、大切なことは、キリスト教の信徒であれば「聖書の聖句(言葉)」で撃退するということです。前述したイエス・キリストが使われた旧約聖書の『申命記』の3つの聖句は、サタンとの戦いで特に重要となりますが、一番大切なことは、イエス・キリストが発した「サタンよ、退け!」と命じることです。新約聖書の『ヤコブの手紙』の第4章・第7節にも「神にしたがい、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなた方から逃げ去ります。」とあります。イエス・キリストは、「サタンの誘惑に負けず、サタンに立ち向かう者でありなさい。」と説いておられるのです。「サタンよ、退け!」は、信徒必須の聖句です。

信仰心の厚い人で、「バカバカしい。サタンなどいるわけがないだろう!」という人もいますが、そういう人は、もうサタンの術中にはまっているかもしれません。信仰心のない人間、信仰心の薄い信徒にはサタンは見向きもしないでしょう。つまり<神の恩寵(おんちょう)>の外にいる人間は、サタンは相手にしません。サタンが狙っているのは、<神の恩寵>の中にいる人間です。つまりイエス・キリストの教えを守り、その教えを行っている信徒、善き行いをしている信徒に対して誘惑という攻撃を仕掛けてくるのです。神に守られている人間を<神の恩寵>の外に出さそうとしているのですね。ある方の話しでは、「天国の門前から地獄へ通じる道がある」そうです。天の国まであと一歩と思ったら、死の直前に誘惑に負けて地獄に落ちることもあります。心すべきことは、①誘惑に負けないこと、②サタンよ、退け!と唱えることです。

【恩寵】
恩寵については、このブログの2022年2月25日に掲載した「恩寵(おんちょう)のお話し」をお読みください。https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2022-02-25
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