「サタンよ、退け!」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

私たち日本人は一般的に神道の民族であり、ほとんどは仏教徒であると思います。しかし、自分が仏教徒であると認識している人はどのくらいいるのでしょうか。そして、毎年の恒例行事のようにお正月になると初詣をしている人で、自分は「神道を信仰している。」と言える人はどのくらいいるのでしょうか。実際はよくわからないですね。一方、日本人は無神論者が多いということもよく聞きます。しかし、日本には山の神(大山津見神など)、海の神(大綿津見神など)、川の神(弥都波能売神など)、火の神、雷の神、食の神、農業の神、漁業の神などなど、 “ 八百万の神(やおろづのかみ) ” がいるといわれるほどの多神教国家なのです。まぁ、国民が認識していなくても自覚していなくても、とにかく信仰は存在しているわけです。

そのような日本人ですが、きちんと認識して自覚して強固な信念をもって信仰している人はいるわけです。でも、その数は国民総数から見て必ずしも多くはないと思います。しかし、ある意味、これはこれでとても良いことなのです………というのは、神様に対して強固な信仰を持つまでは、サタン(=悪魔)は人間に悪さをしないからです。ですから、無神論の仏教徒は、悪魔にとって何の不都合もないのです。しかし、クリスチャン(キリスト者)になると悪魔は困るのです。キリスト教(ユダヤ教も)では、サタンは神の敵対者ですから、その敵である神様を人間が強固な信念をもって信仰しているということは、サタンにとっては絶対に許されないことになるのです。ちなみに、イスラーム(イスラム教)ではサタンは人間の敵対者です。

ですから、サタンは人間の信仰を破壊しようと誘惑してくるわけです。聖書の福音書に書かれていますが、イエス・キリストも、洗礼を受け、聖霊を受け、断食して公生活に入ろうとされたとき、サタンがやってきて、イエス・キリストに3つの誘惑をしかけて試みました。
◯新約聖書:マタイによる福音書・第4章(マタイによる福音書の第4章は『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から引用、申命記は『新共同訳聖書』から引用しました。)
★誘惑その1:「石をパンにする奇跡を起こしてみろ」という誘惑
「もしあなたが神の子なら、これらの石がパンになるよう命じなさい。」
これに対してイエス・キリストは、「人はパンだけで生きるものではなくい。神の口から出るすべての言葉によって生きる。」と書いてあると言って退けました。
これは旧約聖書の『申命記』第8章・第3節の聖句です。
「主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。」

★誘惑その2:神殿の頂上に立たせて、「ここから飛び降りてみろ。天使が足を支えると聖書に書いてあるだろう」という誘惑
「もしあなたが神の子なら、ここから身を投げなさい。『神はあなたのためにみ使いに命じ、あなたの足が石に打ちあたらないよう、手であなたを支える』と書き記されている。」
これに対してイエス・キリストは、「あなたの神、主を試みてはならない」と書いてあると言って退けました
これは旧約聖書の『申命記』第6章・第16節の聖句です。
「あなたたちがマサにいたときにしたように、あなたたちの神、主を試してはならない。」

★誘惑その3:高い山の頂上に連れて行き、全世界の国とその栄華を見せ、「もしあなたがわたしにひれ伏して拝むなら、これらのものをみなあなたにあげましょう」という誘惑
「もしあなたがひれ伏して、わたしを礼拝するなら、これらのものすべてあなたに与えよう。」
これに対してイエス・キリストは、「サタンよ、退け、『あなたの神、主を礼拝し、ただ主にのみ仕えよ』と書いてある」と言って退けました。
これは旧約聖書の『申命記』第6章・第13節の聖句です。
「あなたの神、主を畏れ、主にのみ仕え、その御名によって誓いなさい。」

サタンは、人間の信仰を破壊しようと、悲しみ、失望、落胆、心配、不安、恐怖などを持って攻撃してくるわけです。甘い誘惑を仕掛けてくるわけです。例えば既婚の男女には、 “ 不倫 ” という異性の誘惑を仕掛けてくるわけです。あるいは不正な金銭を授受する誘惑であったり、隣人へ悪意を抱かせ人間関係を悪くしたり、 “ 七つの大罪(肉欲・貪欲・堕落・傲慢・憤怒・嫉妬・大食) ” を仕掛けたりするわけです。では、私たち人間は、このサタンの悪の誘惑をどのように防いだらよいのか?ということですが、宗教改革で有名なマルチン・ルターは「頭上をカラスが飛んでゆくのは防ぎようがない。しかし頭の中に巣を造るのは、自分の意志で阻止できる」と言ったそうです。確かに言葉のとおり!名言です。

サタンの撃退法は、人間の意思しだいということになるのですね。それはそのとおりですが、大切なことは、キリスト教の信徒であれば「聖書の聖句(言葉)」で撃退するということです。前述したイエス・キリストが使われた旧約聖書の『申命記』の3つの聖句は、サタンとの戦いで特に重要となりますが、一番大切なことは、イエス・キリストが発した「サタンよ、退け!」と命じることです。新約聖書の『ヤコブの手紙』の第4章・第7節にも「神にしたがい、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなた方から逃げ去ります。」とあります。イエス・キリストは、「サタンの誘惑に負けず、サタンに立ち向かう者でありなさい。」と説いておられるのです。「サタンよ、退け!」は、信徒必須の聖句です。

信仰心の厚い人で、「バカバカしい。サタンなどいるわけがないだろう!」という人もいますが、そういう人は、もうサタンの術中にはまっているかもしれません。信仰心のない人間、信仰心の薄い信徒にはサタンは見向きもしないでしょう。つまり<神の恩寵(おんちょう)>の外にいる人間は、サタンは相手にしません。サタンが狙っているのは、<神の恩寵>の中にいる人間です。つまりイエス・キリストの教えを守り、その教えを行っている信徒、善き行いをしている信徒に対して誘惑という攻撃を仕掛けてくるのです。神に守られている人間を<神の恩寵>の外に出さそうとしているのですね。ある方の話しでは、「天国の門前から地獄へ通じる道がある」そうです。天の国まであと一歩と思ったら、死の直前に誘惑に負けて地獄に落ちることもあります。心すべきことは、①誘惑に負けないこと、②サタンよ、退け!と唱えることです。

【恩寵】
恩寵については、このブログの2022年2月25日に掲載した「恩寵(おんちょう)のお話し」をお読みください。https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2022-02-25
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