今日の日記2023.11.17(信仰と疑心暗鬼) [日記]

一昨日から、あることで疑心暗鬼になってしまいました。要するに疑って信じる心を失ったということですね。キリスト者(クリスチャン)として日々の生活を送っているということは、神を信じて神に自分のすべてお預けして全幅の信頼を寄せているということですから、なにも疑心暗鬼に陥ることはないのです。
神がよい方向に導いてくださると信じるからこそ、いつも心に平安を保つことができるのです。それを神により頼むことをせず、妄想を抱いて悩むわけです。何のために信仰しているのか?ですね。聖書のイエス様の聖句に「信仰の薄い者よ………思い悩むな。」とあります。あぁ神よ、私の信仰心を強めてください!

【疑心暗鬼(ぎしんあんき)】
疑心暗鬼とは、疑いの心があると、なんでもないことでも怖いと思ったり、疑わしく感じることのたとえです。疑いの深さからあらぬ妄想にとらわれるたとえのことですね。疑いの心をもっていると、いもしない暗闇くらやみの亡霊が目に浮かんでくる意から。▽「疑心」は疑う心。「暗鬼」は暗闇の中の亡霊の意。「疑心暗鬼を生ず」の略です。「暗」は「闇」とも書きます。
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今日の日記2023.11.17(少し重いモーニング!) [日記]

今日は、振替休日で仕事はお休みをいただきました。カトリック成城・聖タデオ教会での年間第32金曜日のミサに与り、終わってから小田急成城学園前駅構内にあるフォレスティカフェ 成城店で、モーニングを食べました!昨夜は仕事が終わってから、ホームレス支援のボランティア活動で夕飯を食べ損ねましたから、少々重めの朝食となりました(⌒-⌒; )
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教会日記2023.11.17(カトリック成城・聖タデオ教会「聖エリザベト修道女の記念日のミサ(年間第32金曜日のミサ)」金曜日) [教会日記]

今日は、11月3日(祝日)に出勤した振替休日で仕事はお休みですが、カトリック成城・聖タデオ教会で7時からの「聖エリザベト修道女の記念日のミサ(年間第32金曜日のミサ)」に与りました。昨夜は、「山谷夜回りの会」のホームレス支援活動に参加し、帰宅したのが午前0時近く、就寝したのは午前0時30分で、今朝起床したのが午前4時30分ですから4時間ほどしか寝ていません。眠いです( -_- )zzz 今から予約している病院&整体院巡りとなります!(⌒-⌒; )

ミサでは、先唱奉仕を担当し、
そして、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。

そして、
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、

そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。

終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
今日も清々しい一日を迎えています!
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「聖エリザベト修道女」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日11月17日は、「聖エリザベト修道女」の記念日です。
エリザベト(1207年~1231年)は、ハンガリー王エンドレ2世とメラーノ公女ゲルトルードの娘で、テューリンゲン方伯ルートヴィヒ4世の妻です。ローマ教皇グレゴリウス9世によって列聖され、ドイツ語名の聖エリザベトの他に、聖エルジェーベト、聖エリーザベト、聖エリザベートとして知られています。カトリック教会、聖公会、プロテスタントのルーテル教会で聖人となっています。

ハンガリー王女として生まれ、4歳の時にドイツのテューリンゲンのヘルマン伯の子息ルートヴィヒと婚約し、将来皇后としての必要な教育を身につけるため、ヘルマン伯の城で教育されました。幼いときから敬虔であり、宮廷内の批判を受けることもありましたが、ヘルマン伯とルートヴィヒによって大切に保護されました。1221年に結婚して1男2女をもうけ、子どもたちをよく教育しました。祈りと節制に励む一方、貧しい人や病人を見舞いました。

カール・フォン・ブラース作の「聖エリザベートのバラの奇跡」1839年
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しかし、1227年、夫が十字軍の遠征中に病死するという不幸な出来事が起こると、夫の兄弟たちは、後継者として立とうとして、エリザベトと子どもたちを城外に追放しました。彼女たちは、アイゼナハに逃れましたが、町の人びとからは受け入れられず、苦しい立場に置かれました。しかし、幸いなことに教皇のとりなしによって、子どもが後継者として認められました。彼女自身は、宮廷から退き、聖フランシスコの第三会に入り、持っている財産で病院を建て、そこで貧しい人びとの看護にあたりました。それから4年後に、24年の生涯を閉じました。エリザベトは、ドイツの人びとから親しまれている聖人のひとりであり、ドイツにはその名を取った病院や施設が多いそうです。未亡人、病人、パン焼き職人、織師の守護聖人とされています。なお、聖エリザベトは、カトリック教会の教会暦では修道女となっていますが、修道女ではありません。
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