今日の日記その二2023.10.23(パンプキンパイ!) [日記]

いつもの勤務する大学のすぐ近くにあるパン屋さんで買いました。毎年ハロウィンの季節限定パイです!とっても美味しいですね~(*^▽^*) パイ好きの私にはたまりません!
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◯このブログにいろいろなパイの記事を掲載しています!アドレスをクリックしてお読みください。
1.今日の日記2023.8.29(ミートパイ!)
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2023-08-30-7
2.今日の日記2023.9.2(レモンパイ!)
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2023-09-02-1
3.今日の日記2023.9.6(マロンパイ!)
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2023-09-06-4
4.今日の日記2023.9.8(アップルパイ!)
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2023-09-08-4
5.今日の日記2023.9.8(あらびきソーセージパイ!)
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2023-09-18-2
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教会日記2023.10.23(カトリック成城・聖タデオ教会「年間第29月曜日のミサ」月曜日)  [教会日記]

教会日記2023.10.23(カトリック成城・聖タデオ教会「年間第29月曜日のミサ」月曜日) 

今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会で7時からの「年間第29月曜日のミサ」に与りました。もう10月も下旬となりました。11月に入るともう待降節が待ち遠しくなりますね。健康に留意して寒さに負けず毎日を過ごしましょう!

ミサでは、10月が「ロザリオの月」であることから『アヴェ・マリアの祈り』をお祈りしました。
そして、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と、まず主を讃えて祈り
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。

そして、
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、

そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。

終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
今日も清々しい一日を迎えています!
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ミサの祭器・祭具:その10「鐘楼・鐘」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

キリスト教会の「鐘」とは、一般的に教会と言う建築物に付随する塔 = 鐘(かね)を設置する「鐘楼(しょうろう)」という建築物にある鐘を指します。鐘楼は、イタリア語で「カンパニーレ(campanile)」という語ですが、独立して建てられた鐘楼については、他言語でも多くイタリア語であるカンパニーレの語が用いられています。ちなみに、東京の千代田区麹町にあるカトリック麹町・聖イグナチオ教会は、毎日午前7時、正午12時、午後6時に、教会の鐘楼から「アンジェラスの鐘」を鳴らしています。同時にこの時刻にミサの開式されますが、開式直前に教会の鐘楼から響き渡るアンジェラスの鐘を聴きながら『お告げの祈り』を会衆全員でお祈りしています。
◯イタリアのヴェネツィアにある修道会のベネディクト会の教会である「サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂」です。サン・ジョルジョ・マッジョーレ島に1566年~1610年に建設されました。
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鐘楼の鐘です。歴史を感じさせる鐘ですね。
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◯イタリア、スペインやフランスなどのカトリック教国では、どこの町や村でもそびえ立つ鐘楼(塔)が町や村の中心部又は小高い丘の上にありますから、どこに教会があるかよくわかりますね。
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◯私が所属するカトリック成城・聖タデオ教会ですの鐘楼です。教会聖堂に隣接していますが、独立した鐘楼(塔)となっています。塔の最上部にある十字架は、小田急線の電車からも観れます。
(この写真は2018年7月20日のブログ記事用に撮影したのもです。)
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聖母マリア様のご像が歩道側を向いていますので、通行される方が立ち止まってご像に手を合わせてお祈りをされるのを見かけることがあります。信徒ではない方もお祈りされているようですよ。
(次の2枚の写真は2023年3月16日のブログ記事用に撮影したのもです。)
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この鐘は、成城教会の聖堂入口付近に置いてある元カトリック喜多見教会にあった鐘です。成城教会と喜多見教会の統合で、現在は成城教会に安置して主日のミサの開式を告げ知らせる鐘として鳴らしています。とても澄んだ美しい音色がします。この鐘の詳しいことは、次にご紹介する成城教会のホームページに掲載された記事をお読みください。
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「成城教会の鐘」と題して成城教会の鐘の写真を紹介しています。そして、なんと!成城教会の素晴らしい鐘の音が聴けます!
https://www.seijo-church.com/about/bell/
成城教会主任司祭の山本量太郎神父様が書かれた記事がありますので是非お読みください。
「喜多見の鐘の音」2017年12月1日
https://www.seijo-church.com/news/message/308/
「寄せ鐘とカンパヌラ」2018年1月1日
https://www.seijo-church.com/news/message/755/
◯なお、『お告げの祈り』については、このブログの2023年4月18日に掲載した「お告げの祈りのお話し」に書いてありますのでお読みだください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2023-04-18

◯次の記事もお読みください。
・ミサの祭器・祭具:その1「アルバ」のお話し
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2023-06-24-3
・ミサの祭器・祭具:その2「アミクトゥス」と「チングルム」のお話し
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2023-08-26-2
・ミサの祭器・祭具:その3「カンパヌラ」のお話し
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2023-09-09-1
・ミサの祭器・祭具:その4「カリス」お話し
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2023-10-06
・ミサの祭器・祭具:その5「パテナ」お話し
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2023-10-08
・ミサの祭器・祭具:その6「ローソク」お話し
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2023-10-11
・ミサの祭器・祭具:その7「プリフィカトリウム、バラ、コルポラーレ」のお話し 
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2023-10-13
・ミサの祭器・祭具:その8「聖櫃(せいひつ)」と「ご聖体(ホスチア)」のお話し
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2023-10-16
・ミサの祭器・祭具:その9「香部屋(こうべや)」のお話し
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2023-10-21
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新約聖書:マタイによる福音書・第26章・第41節 その他 [聖書]

◯新約聖書:マタイによる福音書・第26章・第41節
「誘惑に陥らないよう、目を覚まして祈りなさい。心ははやっていても、肉体は弱いものだ。」

◯新約聖書:マルコによる福音書・第14章・第38節
「誘惑に陥らないように、目を覚まして祈りなさい。心ははやっていても、肉体は弱いものだ。」

◯新約聖書:ルカによる福音書・第22章・第40節・第46節
「誘惑に陥らないように祈りなさい。」、「誘惑に陥らないように、起きて祈りなさい。」
以上の聖句は、『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

この聖句(イエス・キリストの言葉)は、イエス・キリストが磔刑(たっけい:十字架の刑)に処せられる前夜、ゲッセマネの園で律法学者やファリサイ派の人々に捕らえられる直前、弟子達に「誘惑に陥らないように祈りなさい」と説かれた場面でのことです。
誘惑は、サタン(悪魔)の仕業(しわざ)と捉えます。サタンの存在理由は、人間を罪に陥らせるためです。そのための方法が誘惑なのです。私達が誘惑に抵抗して戦う時、なによりの武器となるのが“祈り”です。それがどのような誘惑であろうと、祈りは欠かすことのできない私たちの武器となります。ロザリオの祈りも然りです。
サタンが人間を誘惑する目的は、私たちを罠にはめて<神の恩寵(おんちょう)から遠ざける>ことなのです。「神の恩寵から遠ざける。」とは、言い方を変えると、誘惑に陥って「悪い行いをさせる。(してしまう。)」ということになるです。

祈りは神様との交わりであり、誘惑の目的と正反対のものです。祈りは、私達から神様への交わりをつなげてくれます。その祈りの中で神様に近づく時、神様から与えられる慈しみ、慰めと愛、そして敵に立ち向かう勇気を与えてくれるのですね。
ここでは、誘惑は弟子達が陥る可能性のあるものであり、それに対する正しい対応は祈りであることが語られています。ですから、祈りと誘惑は正反対のものなのです。もし彼らが祈らなければ、誘惑に陥る結果になることは明らかだったのです。

祈りの中で神様との交わりを持ち、神様とつながり、自分の必要な励ましや助けを祈りの中でいただくことは、誘惑への防御となります。決して誘惑が来ないという意味ではありません。誘惑は、常に私たちを取り巻いています。しかし、ここで確かなのは、もし誘惑が来たら、もしくは誘惑が来る時、祈りは私達の信仰を堅固にさせると共に、誘惑の罠にはまることから逃れさせてくれるのです。このことは、私の最も自戒とすることです。

【誘惑】
心をまどわせ、悪い道へさそいこむこと。また、そのさそい。「悪い仲間に-される」、「-にうちかつ」
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「世界宣教の日」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

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今日10月22日は「世界宣教の日」です。また、この10月は「世界宣教月間」となっており、毎週の主日のミサで世界を大陸別に分けてお祈りを捧げています。
毎年、10月の最後から2番目の主日(日曜日)は、「世界宣教の日」として、全世界のカトリック教会で記念される日と定められています。福音を宣教することは、ひとり司祭や修道者の固有の使命ではなく、すべての信徒(キリスト者)、教会共同体の大切な使命です。
次の文書は、フランシスコ教皇のメッセージです。カトリック中央協議会のホームページに掲載されていますので、長い文章ですが是非お読みください。アドレスは次のとおりです。
「2023年「世界宣教の日」教皇メッセージ(2023.10.22)「燃える心、踏み出す足」(ルカ24・13−35参照)」https://www.cbcj.catholic.jp/2023/07/27/27462/

◯関連して福音宣教のための「派遣の祝福のお話し」です。
このブログの4月13日に掲載した「派遣の祝福のお話し」を再掲載いたします。それでは、まず「派遣の祝福」が行われるミサの式次第を見てみましょう。ミサの最後のところで、ミサに与って(出席して)いる会衆(信徒)全員がご聖体を拝領した後、「拝領祈願」が行われ、続いて「閉祭の儀」が行われます。次のとおりの式次第となります。

ご聖体を拝領した後からミサの終わりまでの式次第
◯拝領祈願
典礼係:「立ちましょう。」
司 祭:「祈りましょう。」
※沈黙のうちに、しばらく祈ります。
司 祭:「(前文はその主日ごとにかわります。)……わたしたちの主イエス・キリストによって。」
会 衆:「アーメン。」
◯閉祭の儀
お知らせ:必要な場合には、ここで短いお知らせが行われます。
典礼係:お知らせで座った場合「立ちましょう。」
司 祭:「派遣の祝福を行います。」
<派遣の祝福>
司 祭:「主は皆さんとともに。」
会 衆:「また、あなたとともに。」
司 祭:「全能の神、父と子と聖霊の祝福が皆さんの上にありますように。」
※司祭は、祝福しながら会衆に向けて十字架のしるしをします。
会 衆:「アーメン。」
<閉祭のあいさつ>
司祭「感謝の祭儀を終わります。行きましょう、主の福音を告げ知らせるために。」
会衆「神に感謝。」
<閉祭の歌>
※聖歌を歌いながら退堂する司祭を見送ります。
以上のとおりです。

拝領祈願が終わってから、教会行事などに係る短いお知らせの後、司祭は「全能の神、父と子と聖霊の祝福が皆さんの上にありますように。」と会衆に派遣の祝福を与え、会衆は「アーメン」と応えます。続いて司祭は、「行きましょう、主の福音を告げ知らせるために。」という派遣の言葉をもってミサを結びます。
「ミサ」という名称は、式の最後のラテン語の言葉「Ite, missa est.」(ite = 行きなさい、missa est = 派遣である)というフレーズの中の語に由来し、missa(ミサ)は、ラテン語で「派遣」を意味する missio(ミッシオ)に由来すると言われています。 これは、ミサをとおしてミサに与る信徒達が聖化され、イエス・キリストの教えを宣教するために世界に派遣されるということです。ミサの最後のところで、司祭(神父様)が信徒たちに「派遣の祝福」をすることでも分かります。ミサの中で、御言葉(みことば)と命のパン(ご聖体)によってイエス・キリストと結ばれた私達は、この派遣の祝福によって、イエス・キリストによる “ 福音(救いの良き知らせ)” を人々にもたらすために、信徒各々の生活する場に派遣されていきます。

<派遣の祝福>は、つまり神様からの祝福です。ヨハネによる福音書の第20章・第21節に「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなた方を遣わす。」とおっしゃられたイエス・キリストご自身が、私たち人間の罪を贖い、私たちが住むこの地上に神の国を建設するために御父(おんちち)から派遣されて来られたように、私たちもイエス・キリストによって派遣されて行くのです。

イエス・キリストは、天に上げられる前に、マタイによる福音書の第28章・第19~第20節にある「あなた方は行って、すべての国の人々を弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名に入れる洗礼を授け、わたしがあなた方に命じたことを、すべて守るように教えなさい。わたしは代の終わりまで、いつもあなたが方とともにいる。」とおっしゃられ、使徒(弟子)達にその使命を与えられました。

洗礼を受け私たち信徒は、イエス・キリストの教えを直接受けた使徒をはじめ、現代の司祭や修道士と同じように福音を述べ伝える使命(ミッション)を担っています。不幸な境遇にある人々、病に苦しむ人々、貧困にあえぐ人々に、キリスト者(クリスチャン)は、聖書にある福音書に書かれた聖句(イエス・キリストの言葉)を告げ知らせることによって希望をもたらすことができるのです。

ルカによる福音書の第10章・第4節に「あなた方は財布も袋、また履き物も携えてはならない。」とおっしゃられ、使徒(弟子)たちを派遣される際の主の御言葉は “ 神のみを頼りにしなさい ” という派遣の原点となるものでした。私たちは、生活の場である家庭、生活の糧を得る職場において、あるいはボランティアなどの社会活動において、自分にできる言葉と善き行いをもって伝えるのです。

とは言っても、では具体的にどうするの?ですよね。それは上記に書いた「自分にできる言葉と善き行いをもって、イエス・キリストの教えを伝えること。」ということに尽きます。それが福音を述べ伝えることになります。でも、突如として聖書の福音書に書かれている「殺すなかれ、盗むなかれ、姦淫するなかれ。」と話したところで、なかなか聞いてもらえないですよね……と言うより、

私の場合、ただでさえ怪しいおじさんと思われているのに、ますます怪しいおじさんになってしまいますね( ̄▽ ̄;) 話すのは簡単ですが、これを聞いて理解して実践してもらうには、話す機会を考えるとか、もっと優しい言葉に言い換えるとか、何かの話しに混ぜて話すなどの工夫も必要になります。これは私の職場での経験ですが、同僚から「あいつは絶対に赦さない!」という怒りに満ちた言葉がありました。そこで私は「今まで生きてきて、赦してもらいたいと思ったことの一つや二つはあったよね。これからも赦してもらいたいと思うことは必ずありますよ。だったら今、その人を赦すべきではないですか。」と諭しました。これはイエス・キリストの「赦し」の教えですね。イエス・キリストの教えを伝えることが、なによりも立派な宣教となることを改めて認識した機会でした。

そして、善き行いを自ら実行してまわりの人に影響を与え、善き行いをする仲間を増やすことも大切なことですね。ホームレスなど困っている人を助けるボランティアに参加するとか、困っている人を救済するための支援募金をするなど、日常において実践することです。もっと簡単なことでは、高齢者が横断歩道を渡ろうとしていたら、手を差し伸べて一緒に渡るとか、階段で難儀をしている人の荷物を持ってあげるとか、ちょっとした親切(=愛)も福音につながるものがあるのではないでしょうか。ちなみに私の場合は、このブログに聖書の聖句、偉人の名言、世の中の格言、キリスト教に関連する話しなどを掲載することが、福音を述べ伝える宣教方法の一つとなっています。

また、人(=隣人)のために祈ることは福音に通じることです。人のために祈ることはイエス・キリストが説いておられる「隣人への愛」となります。これは大切なことですね。弛まず祈ることは私達信徒にとって当たり前の務めですが、自分のためでなく、困っている弱い立場の人々のために祈ることは、これも福音の述べ伝えることに通じるものがあります。
私は、毎日朝夕に。
「慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
とお祈りしています。

◯補足説明
間違ってはいけないのは、聖書の福音書に書かれている「福音(救いの良き知らせ)」を述べ伝えることが宣教(目的)であって、決して勧誘することではありません。これを間違う人がいるのですね。勧誘するために派遣されるのではありません。福音を聴いた人が自ら納得して洗礼を希望することは正解ですが、勧誘するために福音を述べ伝えるのではありませんから………勧誘ありきでは、どこぞの新興宗教団体と同じになってしまいます(; ̄O ̄)

◯私の<教会用(信仰生活用)>の名刺です。
旧約聖書:イザヤ書・第6章・第8節の「ここにわたしがおります。このわたしを遣わしてください」と書いてあります。これは、神が「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わっていくだろうか。」と言われた時に、イザヤが応えた言葉です。イザヤが預言者として神から召命される場面ですね。ちなみに、アウグスティヌスは私の洗礼名です。
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今日の日記2023.10.21(ウォーキング!) [日記]

もう日付が変わって22日(日)になってしまいました(⌒-⌒; ) 昨夜は、毎週土曜日の恒例になった妻と2人のウォーキングでした。自宅を20時40分に出発し、帰宅したのは22時40分でしたから2時間でした!………でも、その内の50分はコメダ珈琲店にいました( ̄◇ ̄;)
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ウォーキングルートに都合よくコメダ珈琲店があるのです。ですから、歩いたのは1時間10分ですね。私も妻も平日は朝が早く、帰りは遅いものですから、お互いに日曜日とかこういう機会にまとめて話しをします。しかし、2時間もず〜っと喋りっぱなしとは………ね(⌒-⌒; )
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教会日記2023.10.21(カトリック成城・聖タデオ教会「年間第29主日のミサ」土曜日)  [教会日記]

今日は、仕事を少し早退して病院に寄り、終わってからカトリック成城・聖タデオ教会で18時からの「年間第29主日のミサ」に与りました。その前に、28日(土)18時からの「聖シモン・聖ユダの祝日のミサ」で聖歌奉仕を担当しますので、聖歌隊の練習がありました。
◯来週の28日(土)の聖歌奉仕で聖歌隊の歌う聖歌は次のとおりです。
入祭の歌:教会聖歌集・第0番「聖なるタデオ使徒ユダ賛歌」
答唱詩編:典礼聖歌集・第56番「神のみ旨を行うことは」①②③
アレルヤ唱:典礼聖歌集・第277番「シモン・ユダ」
奉納の歌:典礼聖歌集・第322番「愛といつくしみのあるところ」
拝領の歌:讃美歌・第21番543「キリストの前に」
拝領後の歌:カトリック聖歌集・第12番「われ神をほめ」①②③

ミサでは、祭壇奉仕(侍者)を担当し、10月が「ロザリオの月」であることから『アヴェ・マリアの祈り』をお祈りしました。
そして、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。

そして、
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、

そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。

終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
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ミサの祭器・祭具:その9「香部屋(こうべや)」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今日は、祭器や祭具のことではありませんが、カトリック教会では、ミサで使用する祭具、祭服やその他の教会の備品などを保管する部屋の名称を一般的に「香部屋」と呼んでいます。その香部屋ですが、正教会においては「祭具室」、プロテスタント教会のルター派では「準備室」、聖公会では「サクリスティ」とさまざまな名称で呼ばれています。香部屋を担当する奉仕者の役目は大きいものがあり、ミサにおける祭壇奉仕者(侍者)、先唱奉仕者や朗読奉仕者に影響を与えますから重要な役割といえます。

香部屋に係る規定は、次のとおり『ローマ・ミサ典礼書の総則(暫定版)』に書いてあります。司祭のために書かれたものですが、信徒でミサなどの奉仕に関わる方は、一度は読んでおいた方がいいと思います。なお、このブログ記事に各章・各番号の文章を掲載すると長くなりますから、カトリック中央協議会のホームページをありますので是非お読みください。全文が掲載されています。アドレスは次のとおりです。いずれにしても、その教会の主任司祭のご指導のもとに奉仕することが一番大切ですね。
https://www.cbcj.catholic.jp/wp-content/uploads/2004/05/sosoku2.pdf
◯左側はカトリック中央協議会発行の『ローマ・ミサ典礼書の総則(暫定版)』で、右側は『新しい ローマ・ミサ典礼書の総則に基づく変更箇所』です。両方ともカトリック中央協議会の発行で、今はともにカトリック中央協議会のホームページからダウンロードできます。
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◯『ローマ・ミサ典礼書の総則(暫定版)』(主な規定です)
第4章「ミサの種々の形成」
第⒈「会衆の参加するミサ」
〈準備〉
117番〜第119番(337〜341参照)
第6章「ミサをささげるために必要なもの」
第Ⅰ「感謝の祭儀のためのパンとぶどう酒」
319番〜324番
第Ⅱ「備品一般」
325番、第326番
第Ⅲ「祭器」
327番〜第334番(280参照)
第Ⅳ「祭服」
335番〜347番
第Ⅴ「その他の教会用具」
第348番〜第351番

◯香部屋奉仕者のための参考図書
『香部屋係のハンドブック(改訂新版)-主よ、どこに過越の準備を-』
<教文館のホームページから>
「香部屋係のためのハンドブック。福岡サンスルピス大神学院典礼学教授の白浜満神父が「カトリック新聞」に連載した記事と、長年、香部屋係として奉仕してこられた齊藤賀壽子さんの体験メモが一つになった書籍です。」
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書名:『香部屋係のハンドブック(改訂新版)-主よ、どこに過越の準備を-』
著者・編集:白浜満、齊藤賀壽子
出版:教友社
発刊:2018年11月4日
頁数:A5版・122頁
価格:1,430円(税込)

◯次の記事もお読みください。
・ミサの祭器・祭具:その1「アルバ」のお話し
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2023-06-24-3
・ミサの祭器・祭具:その2「アミクトゥス」と「チングルム」のお話し
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2023-08-26-2
・ミサの祭器・祭具:その3「カンパヌラ」のお話し
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2023-09-09-1
・ミサの祭器・祭具:その4「カリス」お話し
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2023-10-06
・ミサの祭器・祭具:その5「パテナ」お話し
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2023-10-08
・ミサの祭器・祭具:その6「ローソク」お話し
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2023-10-11
・ミサの祭器・祭具:その7「プリフィカトリウム、バラ、コルポラーレ」のお話し 
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2023-10-13
・ミサの祭器・祭具:その8「聖櫃(せいひつ)」と「ご聖体(ホスチア)」のお話し
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2023-10-16

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教会日記2023.10.20(カトリック成城・聖タデオ教会「年間第28金曜日のミサ」金曜日)  [教会日記]

今日は、仕事は有給休暇をいただいてお休みで、朝から病院3院&整体院の一日となります。その前にカトリック成城・聖タデオ教会で7時からの「年間第28金曜日のミサ」に与りました。
午前中は、まずは勤務する大学近くにある皮膚科医院で、アトピー性皮膚炎(両足のふくらはぎ・足首)の定期健診と塗薬の処方箋、次に整形外科医院で湾曲性膝関節症のリハビリ、午後からは歯科医院で定期健診と歯垢除去、そして整体院で治療です。今日は一日長丁場となります!

ミサでは、先唱奉仕を担当し、10月が「ロザリオの月」であることから『アヴェ・マリアの祈り』をお祈りしました。
そして、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。

そして、
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、

そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。

終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
今日も清々しい一日を迎えています!
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旧約聖書:詩編・第23編・第1〜第6節 [聖書]

「主は羊飼い、
わたしには何も欠けることがない。
主はわたしを青草の原に休ませ
憩いの水のほとりに伴い
魂を生き返らせてくださる。
主は御名にふさわしく
わたしを正しい道に導かれる。
死の陰の谷を行くときも
わたしは災いを恐れない。
あなたがわたしと共にいてくださる。
あなたの鞭、あなたの杖それがわたしを力づける。
わたしを苦しめる者を前にしてもあなたはわたしに食卓を整えてくださる。
わたしの頭に香油を注ぎ
わたしの杯を溢れさせてくださる。
命のある限り恵みと慈しみはいつもわたしを追う。
主の家にわたしは帰り生涯、そこにとどまるであろう。」
以上は、カトリック教会及びプロテスタント教会などが共同で翻訳した『新共同訳聖書』から掲載しました。

次は、カトリック教会の修道会であるフランシスコ会に附属しているフランシスコ会聖書研究所が翻訳した『原文校訂による口語訳フランシス会聖書研究所訳注聖書』から掲載します。
「主はわたしの牧者。
わたしには乏しいことがない。
主はわたしを緑の牧場に憩わせ、
わたしを静かな水辺に伴い、
魂を生き返らせ、
み名にふさわしく正しい道に導かれる。
わたしは死の影の谷を歩む時でさえ、
災いを恐れない、
あなたがともにおられるから。
あなたの杖、あなたの牧杖こそ、わたしを安心させる。
あなたは敵の見ている前で、わたしのために食事を調え、
わたしの頭に香油を注がれた。
わたしの杯は溢れた。
恵みと慈しみは生涯わたしに伴う。
わたしは主の家にとこしえに住む。」

新共同訳とは所々のく訳に違いがありますね。私は、フランシスコ会訳の方が親しみやすくて好きです。この部分は主(神)への賛歌で、キリスト教だけでなく、ユダヤ教でも有名な祈りとなっています。
このブログで以前にご説明しましたが、キリスト教では「旧約聖書」と言っていますが、ユダヤ教では聖書です。つまり、キリスト教の聖書は、「新約聖書」と「旧約聖書」を合わせて聖書といいますが、ユダヤ教は、聖書と言えばキリスト教でいうところの「旧約聖書」を指します。要は、キリスト教の「旧約聖書」は、ユダヤ教の聖書(内容はほとんど同じ)をもちいているということです。
また、この部分はカトリック教会のミサの中で歌われる「典礼聖歌集第123番」になっています。主(神)が牧者(羊飼い)で、私たち信徒が羊ということですね。なにもかも主(神)に委ね、主の恵みと慈しみに身をまかせること。これは祈りの言葉であり、私たちの信仰告白でもあります。
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