旧約聖書:詩編・第23編・第1〜第6節 [聖書]

「主は羊飼い、
わたしには何も欠けることがない。
主はわたしを青草の原に休ませ
憩いの水のほとりに伴い
魂を生き返らせてくださる。
主は御名にふさわしく
わたしを正しい道に導かれる。
死の陰の谷を行くときも
わたしは災いを恐れない。
あなたがわたしと共にいてくださる。
あなたの鞭、あなたの杖それがわたしを力づける。
わたしを苦しめる者を前にしてもあなたはわたしに食卓を整えてくださる。
わたしの頭に香油を注ぎ
わたしの杯を溢れさせてくださる。
命のある限り恵みと慈しみはいつもわたしを追う。
主の家にわたしは帰り生涯、そこにとどまるであろう。」
以上は、カトリック教会及びプロテスタント教会などが共同で翻訳した『新共同訳聖書』から掲載しました。

次は、カトリック教会の修道会であるフランシスコ会に附属しているフランシスコ会聖書研究所が翻訳した『原文校訂による口語訳フランシス会聖書研究所訳注聖書』から掲載します。
「主はわたしの牧者。
わたしには乏しいことがない。
主はわたしを緑の牧場に憩わせ、
わたしを静かな水辺に伴い、
魂を生き返らせ、
み名にふさわしく正しい道に導かれる。
わたしは死の影の谷を歩む時でさえ、
災いを恐れない、
あなたがともにおられるから。
あなたの杖、あなたの牧杖こそ、わたしを安心させる。
あなたは敵の見ている前で、わたしのために食事を調え、
わたしの頭に香油を注がれた。
わたしの杯は溢れた。
恵みと慈しみは生涯わたしに伴う。
わたしは主の家にとこしえに住む。」

新共同訳とは所々のく訳に違いがありますね。私は、フランシスコ会訳の方が親しみやすくて好きです。この部分は主(神)への賛歌で、キリスト教だけでなく、ユダヤ教でも有名な祈りとなっています。
このブログで以前にご説明しましたが、キリスト教では「旧約聖書」と言っていますが、ユダヤ教では聖書です。つまり、キリスト教の聖書は、「新約聖書」と「旧約聖書」を合わせて聖書といいますが、ユダヤ教は、聖書と言えばキリスト教でいうところの「旧約聖書」を指します。要は、キリスト教の「旧約聖書」は、ユダヤ教の聖書(内容はほとんど同じ)をもちいているということです。
また、この部分はカトリック教会のミサの中で歌われる「典礼聖歌集第123番」になっています。主(神)が牧者(羊飼い)で、私たち信徒が羊ということですね。なにもかも主(神)に委ね、主の恵みと慈しみに身をまかせること。これは祈りの言葉であり、私たちの信仰告白でもあります。
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