今日の日記2023.9.19(関西土産!) [日記]

連休中に関西旅行をした同僚から、お土産に吉本興業の「面白い恋人」をいただきました。北海道・札幌のお土産として有名な「白い恋人」は何度も食べたことがありますし、札幌に行った折りにはお土産にもしていますが、この「面白い恋人」を食べたのは初めてです。
◯そういえば、この吉本興業の「面白い恋人」は裁判沙汰になったのですよね( ̄▽ ̄;) 北海道札幌市の石屋製菓から訴えられました。発売当時のパッケージから変わってますね。これは完全なパロディーです( ̄▽ ̄;)
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◯ちなみに、こちらが有名な石屋製菓(札幌市)の「白い恋人」です。こちらが元ですよね。念のため(*^▽^*)
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北海道札幌市の大人気お土産菓子「白い恋人」を製造販売する石屋製菓(札幌市)が、吉本興業(大阪市)が2011年に発売した菓子「面白い恋人」を巡って、パロディー商品「面白い恋人」を販売する吉本興業(大阪市)などに販売差し止めと損害賠償を求めた訴訟がありました。結果は、2013年に札幌地裁において和解が成立しています。
パロディー性については事実上認め、著名商標の販売への直接的な影響を回避する内容で、吉本興業側がパッケージデザインを変更した上で、原則として関西6府県での販売に限定(デパートが全国で開催する物産展で販売する場合は、北海道と青森県を除いて年36回まで認める)とし、また、吉本興業は賠償金を支払わないことになったそうです。
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教会日記2023.9.19(カトリック成城・聖タデオ教会「年間第24火曜日のミサ」火曜日) [教会日記]

今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会で7時からの「年間第24水曜日のミサ」に与りました。今日も朝から蒸し暑いですね〜(⌒-⌒; ) この蒸し暑さはまだ続きますね。こまめに水分補給をしましょう!

ミサでは、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。

そして、
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、

そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。

終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
今日も清々しい一日を迎えています!
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「イチジク」のお話し  [聖書]

今年も「イチジク」を食べました。
いちじくは漢字で「無花果」と書きますが、花がないわけではなく、実の中に小さな花をつけるため、外からは確認できないのです。果実を半分に切ると赤いつぶつぶがたくさんつまっていますが、それが花なのですね。分類はクワ科イチジク属で、原産地はアラビア半島南部、地中海沿岸地方です。日本では、5月ごろから11月くらいまでがシーズンです。ちなみに、イチジクという名前の由来は、毎日1つずつ熟すことから「一熟」→「イチジク」になったという説や、ひと月で実が熟すため「一熟」→「いちじるく」という説もあります。また呼び名としては南蛮柿(なんばんがき)、唐柿(とうがき)と呼ばれることもあります。
◯今日食べたのは和歌山県産のイチジクです!ちなみに和歌山県産は生産量全国1位です。甘くて美味しい!
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イチジクは、古代エジプトの壁画にもブドウと共に描かれており、さらには、聖書にも数多く登場する歴史ある果物なのです。あの旧約聖書の創世記に登場するアダムとイブが、裸を隠すのに使ったのもイチジクの葉でした!ご存知でしたか?(⌒-⌒; ) 新約聖書には「実のならなイチジクの木のたとえ」として、イチジクが登場しますね。はるか昔にアラビア半島で誕生したイチジクは、少なくとも6000年前には栽培が始まっていたといわれています。その後ヨーロッパからペルシャ、中国へと伝わり、日本へは江戸時代に中国から長崎に運ばれました。当初は薬用として栽培されていましたが、生産量が増えるにつれ食用として親しまれるようになったそうです。美味しい!\(^◇^)/

ところで、このイチジクが、次のとおり新約聖書に「実のならないイチジクの木のたとえ」として登場します。では、ご紹介しましょう!
◯新約聖書:ルカによる福音書・第13章・第6〜第9節
「それから、イエスは次のたとえ話された。「ある人がぶどう園にいちじくの木を植えておき、実を探しに来たが見つからなかった。そこで、園丁に言った。『もう三年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。切り倒してしまえ。なぜ、土地を無駄に使っているのか。』園丁は答えた。『ご主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥料をやってみます。もし来年実を結べばよし。それで駄目なら、切り倒してください』」
『聖書協会共同訳聖書』から

ぶどう園の持ち主が、ぶどう園にイチジクの木を植えていました。ぶどう園の持主(農夫)にとっては、普通の行為であって珍しいことではありません。イチジクの木は根を広く張りますので、実がならなければ、その木が占めている土地は無駄になってしまうのです。そのため、切り倒して他の実のなる木を植えることは理にかなったことです。この喩え話しは「実のならないこのイチジクの木を切り倒すことをもう少し待ってほしいという番人の願い」が聖句のポイントとなっています。喩え話しに出てくるほど、イチジクは当時から一般的だったのですね。この喩え話しの教えは次のとおりです。

イエス・キリストは、悔い改めない当時のユダヤ人への非難として、この喩え話しを語っておられます。「実のならないイチジクとは、神様の教えを守らずに背信し続けたイスラエルの民、つまり当時のユダヤ人を表しており、「実り」とは、悔い改め、隣人への愛、赦しのある行為のことを指しています。そして、「番人の願い」とは、忍耐と愛を持って実りを切望する神様の願いを表しています。また、ぶどう園の持ち主が父である神様だとすれば、ぶどう園は神様が造った世界を表しており、「番人」とはイエス・キリスト自身を表していますね。喩え話しに登場する人や物には意味があるのです。

実を実らせないという、神の教えを守らず背信しているイスラエルの民(当時のユダヤ人)を救うために、父である神様によって地上に降誕されたイエス・キリストは、逆に救おうとしたイスラエルの民(当時のユダヤ人)によって十字架に付けられて殺されてしまうのです。それは、すべての人々の罪を背負われてお亡くなりになったイエス・キリストの贖罪が、悔い改めた新しい民となり、イチジクの木に豊かな実がつく=悔い改め、隣人への愛、赦しのある行為を神様は忍耐を持って切望しているのですね。この喩え話しは、そのような神様の恵みと裁きの両方の意味をもって私たちに教えているのです。

この喩え話しによる教えは、昔のイスラエルの民(当時のユダヤ人)だけの昔話しではありません。現在を生きる私たちに与えられた教えでもあります。私たちは、いつも罪を犯してしまいます。でも、その度に何度でも繰り返し立ち直って、神様の恵みにふさわしい実を実らせる生活をしなければなりません。神様の恵みにふさわしい実を実らせることのできない者は、この聖句にあるとおり「もしそれでもだめなら、切り倒してください」となります。つまり、地獄行き!という言い方はどうかな?と思いますが、天の国で神様の食卓に与るという報いを受けることはできないということですね(⌒-⌒; )

【贖罪(しょくざい)】
広い意味では神の救済,償い,和解,ゆるしと同義ですが,イエス・キリストの生と死と復活を通じての神の恩恵として実現される人間の罪からの解放と、これによってもたらされる神との交わりの回復をいいます。
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