今日の日記2023.9.16(ウォーキング!) [日記]
今夜は、妻と一緒にウォーキングしました!
今回も隣町の相模原市橋本のJR横浜線橋本駅近くまで足を延ばし、実質の所要時間50分ほどのウォーキングでしたが……途中にある「コメダ珈琲店」に寄ってしまいましたー!( ̄◇ ̄;) 40分ほどいたかな〜?思いもしなかった休憩所になりました(⌒-⌒; ) 家を出発して1時間30分ほどかかって帰宅しました。
今回も隣町の相模原市橋本のJR横浜線橋本駅近くまで足を延ばし、実質の所要時間50分ほどのウォーキングでしたが……途中にある「コメダ珈琲店」に寄ってしまいましたー!( ̄◇ ̄;) 40分ほどいたかな〜?思いもしなかった休憩所になりました(⌒-⌒; ) 家を出発して1時間30分ほどかかって帰宅しました。
教会日記2023.9.16(カトリック成城・聖タデオ教会「年間第24主日のミサ」土曜日) [教会日記]
今日は、仕事は指定休でお休みをいただいています。夕方から自宅を出て、カトリック成城・聖タデオ教会で18時からの「年間第24主日のミサ」に与りました。その前に17時から30分ほど、来週23日(土)の「年間第25主日のミサ」で聖歌奉仕を担当するため、成城教会の聖タデオ聖歌隊の練習がありました。聖歌隊復帰は約半年ぶりです…………やはり聖歌を歌うのはいいですね〜(^◇^)さて、昨夜は夜中まで読書三昧だったため、久しぶりにお昼前まで寝ました( ̄◇ ̄;) 今夜は、21時から妻とウォーキングです!夫婦揃って減量中です!(⌒-⌒; )
ミサでは、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。
そして、
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、
そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。
終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
ミサでは、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。
そして、
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、
そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。
終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
「聖コルネリオ教皇・聖チプリアノ司教殉教者」のお話し [聖人・福者・尊者]
今日9月16日は、「聖コルネリオ教皇・聖チプリアノ司教殉教者」の記念日です。
聖コルネリオ教皇は、カルタゴ(現在のチュニジア共和国)に生まれ、キリスト教徒ではありませんでしたが、成人してから洗礼を受けて司祭への道を志しました。叙階されて249年ごろ、カルタゴの司教になりました。ローマ帝国のデキウス帝の迫害によって苦しむ信徒たちを心にかけ、司教として励ましました。250年1月20日に教皇ファビアノが殉教し、その後、コルネリオが教皇に選ばれました。
◯右側が聖コルネリオ教皇、左側が聖チプリアノ司教です。
コルネリオが教皇の在位中に「大罪のゆるし」と「迫害のときに棄教した信徒の教会復帰」が問題となりました。コルネリオ教皇は「司教によれば、大罪をゆるすことができる」と主張し、カルタゴの司教チプリアノがこれを支持しました。しかし、ノヴァティアヌスはコリネリオの主張に反対し、自らが教皇であると宣言して対立教皇となりました。しかし、251年にコルネリオ教皇はカルタゴに司教たちを集め、棄教者がゆるしの秘跡を受け、償いのわざを行えば教会に戻ることができることを確認し、これによってノヴァティアヌス派は排斥されました。
同じ9月16日に記念するチプリアノ司教は、コリネリオ教皇をあらゆる面でよく助け、教会が一つであるために、使徒ペトロの後継者である教皇のもとに、司教、信徒たちが一致することの大切さを強調しました。ローマ帝国のデキウス帝の死後、ペストが流行し、民衆の不満はキリスト教徒に向けられました。そのため、トレボニアヌス帝もキリスト教を弾圧し、コリネリオ司教は捕らえられました。彼は、追放されたチェントゥリチェッレ(現在のチヴィタヴェッキア)で253年に亡くなりました。
聖コルネリオ教皇は、カルタゴ(現在のチュニジア共和国)に生まれ、キリスト教徒ではありませんでしたが、成人してから洗礼を受けて司祭への道を志しました。叙階されて249年ごろ、カルタゴの司教になりました。ローマ帝国のデキウス帝の迫害によって苦しむ信徒たちを心にかけ、司教として励ましました。250年1月20日に教皇ファビアノが殉教し、その後、コルネリオが教皇に選ばれました。
◯右側が聖コルネリオ教皇、左側が聖チプリアノ司教です。
コルネリオが教皇の在位中に「大罪のゆるし」と「迫害のときに棄教した信徒の教会復帰」が問題となりました。コルネリオ教皇は「司教によれば、大罪をゆるすことができる」と主張し、カルタゴの司教チプリアノがこれを支持しました。しかし、ノヴァティアヌスはコリネリオの主張に反対し、自らが教皇であると宣言して対立教皇となりました。しかし、251年にコルネリオ教皇はカルタゴに司教たちを集め、棄教者がゆるしの秘跡を受け、償いのわざを行えば教会に戻ることができることを確認し、これによってノヴァティアヌス派は排斥されました。
同じ9月16日に記念するチプリアノ司教は、コリネリオ教皇をあらゆる面でよく助け、教会が一つであるために、使徒ペトロの後継者である教皇のもとに、司教、信徒たちが一致することの大切さを強調しました。ローマ帝国のデキウス帝の死後、ペストが流行し、民衆の不満はキリスト教徒に向けられました。そのため、トレボニアヌス帝もキリスト教を弾圧し、コリネリオ司教は捕らえられました。彼は、追放されたチェントゥリチェッレ(現在のチヴィタヴェッキア)で253年に亡くなりました。