教会日記2023.9.7(カトリック成城・聖タデオ教会「年間第22月木曜日のミサ」木曜日) [教会日記]
今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会で7時からの「年間第22木曜日のミサ」に与りました。今夜は、5か月ぶりに山谷夜回りの会のホームレッス支援活動に復帰しようと思ったのですが、暑さによる疲労と睡眠時間確保のことで今一つ不安がありますので、活動再開は涼しくなる10月からに延期することにしました。ホームレス支援活動に従事する人たちの健康が守られ、皆さんの上に神のご加護がありますようにお祈りいたします。
ミサでは、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。
そして、
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、
そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。
終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
今日も清々しい一日を迎えています!
ミサでは、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。
そして、
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、
そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。
終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
今日も清々しい一日を迎えています!
徳川家康のことば(第4日目) [非キリスト者(ノンクリスチャン)]
「大将というのは敬われているようで、
たえず家来に落ち度を探られているものである。
恐れられているようで、あなどられ、
親しまれているようで、憎まれている。
だから大将というのは
勉強しなければならないし、
礼儀をわきまえなければいけない。
いい家来を持とうと思ったら、
自分の食を減らしても
家来にはひもじい思いをさせてはいけない。
家来というのは録でつないではいけないし、
油断させてもいけないし、
近づけても遠ざけてもいけない。
家来はほれさせなければならない。」
徳川家康のことは、「徳川家康のことば(第1日目)2023.8.31」をご覧下さい。
さすがに徳川家康公は乱世における大将です。小さい時から苦労をしてきた経験があるだけに、組織のトップとしての要諦をきちんと心得ていますね。言葉にある「大将」を、私の場合は、職場における「部長」と置き換えて読んでいます。「家来」は社会活動の構成員、職場の同僚・部下のことですね。この言葉は、すべて的を得ていると思います。言葉の最後にある「ほれさせなければならない」が一番難しいところと自覚しています。
65歳になっても私にはまだまだですね( ̄▽ ̄;)
たえず家来に落ち度を探られているものである。
恐れられているようで、あなどられ、
親しまれているようで、憎まれている。
だから大将というのは
勉強しなければならないし、
礼儀をわきまえなければいけない。
いい家来を持とうと思ったら、
自分の食を減らしても
家来にはひもじい思いをさせてはいけない。
家来というのは録でつないではいけないし、
油断させてもいけないし、
近づけても遠ざけてもいけない。
家来はほれさせなければならない。」
徳川家康のことは、「徳川家康のことば(第1日目)2023.8.31」をご覧下さい。
さすがに徳川家康公は乱世における大将です。小さい時から苦労をしてきた経験があるだけに、組織のトップとしての要諦をきちんと心得ていますね。言葉にある「大将」を、私の場合は、職場における「部長」と置き換えて読んでいます。「家来」は社会活動の構成員、職場の同僚・部下のことですね。この言葉は、すべて的を得ていると思います。言葉の最後にある「ほれさせなければならない」が一番難しいところと自覚しています。
65歳になっても私にはまだまだですね( ̄▽ ̄;)